2014年07月14日
病と闘う母のために 松山の那須英介主将
<高校野球>病と闘う母のために 松山の那須英介主将
病気と闘う母を甲子園に連れて行く―。
誰より強い決意で最後の夏に臨むのは、
松山の主将を務める那須英介選手(18)。
自分のため、
仲間のため、
母のため、
那須選手にとって負けられない夏が幕を開けた。
12日、
松山の応援スタンドに看護師らに付き添われ、
息子を見守る母の姿があった。
母は那須選手が埼玉選抜に選ばれ、
昨年12月に越谷で行われたオーストラリア遠征の壮行試合に駆け付けて以来、
必ず球場で応援している。
夏場の観戦は本人の強い意思があってこそだ。
那須選手は時折スタンドへ視線を送る。
「母の姿を見て打席に入ると集中できる」。
捕手で5番打者。
攻守の要を担う存在だ。
同校の滝島監督は
「多くのものを一身に背負って苦しいはずだが、
重圧を乗り越えてもらうしかない」
と期待を寄せる。
バッテリーを組む青貫翔投手をはじめとするナイン、
特に事情をよく知る3年生は
「那須のために」
と気合十分だ。
帰宅後は父、
祖母と交代しながら付きっきりで看病している。
「家に帰ったら一番にただいまと声を掛ける。
たまに(母が)泣いている時は自分がずっとそばにいる」
と那須選手。
小学1年のときに地元・嵐山の少年野球チームで野球を始めた。
「試合前日や弁当にカツ丼を作ってくれた」
と元気だった母の手料理を懐かしむ。
野球をやめたくなったときにも
「私の誇りだよ」
と声を掛けてくれた。
「母が励ましてくれたから今の自分がある」と、
一番の理解者である母に感謝している。
「(病気になってから)埼玉から出たことがない。
ほかの景色も見せてあげたい」。
目指すは甲子園。
自分が聖地で躍動する姿こそ、
何よりの薬になると信じている。
<高校野球>大宮西・山田武蔵主将、けがを越え仲間に恩返し
野球ができない間、
仲間たちから多くのことを学んだチームの大黒柱は感謝の思いを胸に、
初の甲子園を目指す。
それは3月の出来事だった。
遠征先の関西で行った練習試合。
捕手の山田主将は守備の際、
本塁上で相手選手と接触し、
大けがを負った。
主将が動揺すると、チームにも伝わってしまう。
仲間の前では明るく振る舞ったが、
本心は違った。
1年夏から試合に出場し、
現チームでは主将、
捕手、
4番打者を担う大黒柱。
そんな自分が、
最後の大会に出られないかもしれない。
悔しさから人知れず、
学校の帰り道や自宅で涙したこともあった。
ベンチに入れず、
スタンドから見守った春の大会では、
対戦校の情報を収集。
練習の手伝いをするなど、
サポート役に徹した。
そんなある日、
仲間が声を掛けてくれた。
「俺らが頑張るから、
もっと頼りにしていいんだぞ」。
仲間の優しさが胸に刺さった。
けがも回復し、
5月ごろからは試合に出られるようになったとき、
新たな心配事がチームを襲う。
学校が中高一貫の中等教育学校を設置することになり、
新入生の募集を停止することが発表された。
このままでは学校の、
野球部の伝統が途絶えてしまう可能性がある。
「自分たちにできることは甲子園に出て、
西高の名を広めること」。
勝利への、
甲子園への思いは強くなった。
この日は1回に先制の適時内野安打を放つと、
逆転された6回には先頭打者として二塁打で出塁。
同点のホームを踏んだ。
守りでも声を出して仲間を鼓舞。
チームを勝利に導いた。
試合後は
「自分のことより、メンバーを外れた部員がサポートしてくれた。
感謝と恩返しの思いしかない」
ときっぱり。
けがやメンバー外を経験したことで、
仲間への思いは強くなった。
「次もスタンド、ベンチ一体となった試合がしたい」。
そして勝利し、
甲子園へ行く。
思いをかなえるその日まで、
チームの大黒柱は本塁を守り続ける。
いいプレーを期待しています。
ecar
病気と闘う母を甲子園に連れて行く―。
誰より強い決意で最後の夏に臨むのは、
松山の主将を務める那須英介選手(18)。
自分のため、
仲間のため、
母のため、
那須選手にとって負けられない夏が幕を開けた。
12日、
松山の応援スタンドに看護師らに付き添われ、
息子を見守る母の姿があった。
母は那須選手が埼玉選抜に選ばれ、
昨年12月に越谷で行われたオーストラリア遠征の壮行試合に駆け付けて以来、
必ず球場で応援している。
夏場の観戦は本人の強い意思があってこそだ。
那須選手は時折スタンドへ視線を送る。
「母の姿を見て打席に入ると集中できる」。
捕手で5番打者。
攻守の要を担う存在だ。
同校の滝島監督は
「多くのものを一身に背負って苦しいはずだが、
重圧を乗り越えてもらうしかない」
と期待を寄せる。
バッテリーを組む青貫翔投手をはじめとするナイン、
特に事情をよく知る3年生は
「那須のために」
と気合十分だ。
帰宅後は父、
祖母と交代しながら付きっきりで看病している。
「家に帰ったら一番にただいまと声を掛ける。
たまに(母が)泣いている時は自分がずっとそばにいる」
と那須選手。
小学1年のときに地元・嵐山の少年野球チームで野球を始めた。
「試合前日や弁当にカツ丼を作ってくれた」
と元気だった母の手料理を懐かしむ。
野球をやめたくなったときにも
「私の誇りだよ」
と声を掛けてくれた。
「母が励ましてくれたから今の自分がある」と、
一番の理解者である母に感謝している。
「(病気になってから)埼玉から出たことがない。
ほかの景色も見せてあげたい」。
目指すは甲子園。
自分が聖地で躍動する姿こそ、
何よりの薬になると信じている。
<高校野球>大宮西・山田武蔵主将、けがを越え仲間に恩返し
野球ができない間、
仲間たちから多くのことを学んだチームの大黒柱は感謝の思いを胸に、
初の甲子園を目指す。
それは3月の出来事だった。
遠征先の関西で行った練習試合。
捕手の山田主将は守備の際、
本塁上で相手選手と接触し、
大けがを負った。
主将が動揺すると、チームにも伝わってしまう。
仲間の前では明るく振る舞ったが、
本心は違った。
1年夏から試合に出場し、
現チームでは主将、
捕手、
4番打者を担う大黒柱。
そんな自分が、
最後の大会に出られないかもしれない。
悔しさから人知れず、
学校の帰り道や自宅で涙したこともあった。
ベンチに入れず、
スタンドから見守った春の大会では、
対戦校の情報を収集。
練習の手伝いをするなど、
サポート役に徹した。
そんなある日、
仲間が声を掛けてくれた。
「俺らが頑張るから、
もっと頼りにしていいんだぞ」。
仲間の優しさが胸に刺さった。
けがも回復し、
5月ごろからは試合に出られるようになったとき、
新たな心配事がチームを襲う。
学校が中高一貫の中等教育学校を設置することになり、
新入生の募集を停止することが発表された。
このままでは学校の、
野球部の伝統が途絶えてしまう可能性がある。
「自分たちにできることは甲子園に出て、
西高の名を広めること」。
勝利への、
甲子園への思いは強くなった。
この日は1回に先制の適時内野安打を放つと、
逆転された6回には先頭打者として二塁打で出塁。
同点のホームを踏んだ。
守りでも声を出して仲間を鼓舞。
チームを勝利に導いた。
試合後は
「自分のことより、メンバーを外れた部員がサポートしてくれた。
感謝と恩返しの思いしかない」
ときっぱり。
けがやメンバー外を経験したことで、
仲間への思いは強くなった。
「次もスタンド、ベンチ一体となった試合がしたい」。
そして勝利し、
甲子園へ行く。
思いをかなえるその日まで、
チームの大黒柱は本塁を守り続ける。
いいプレーを期待しています。
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