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2014年07月09日

リスボンと契約した田中順也

リスボンと契約した田中順也という男



6月29日、
ポルトガルのスポルティング・リスボンが、
柏レイソルから田中順也を獲得したと発表した。
違約金約83億円、
5年契約という数字に、
日本国内のみならず海外からも驚きの声が挙がっている。



田中は身体能力が高く、
スピードとスタミナを兼ね備えたアタッカーであるが、
最大の持ち味は何と言っても強烈な左足シュートにある。
遠目の位置でもコースを見出せば、
躊躇なく左足を振り抜く。
昨季まで柏に在籍していた左利きの名手、
ジョルジ・ワグネルをして
「僕が移籍した後のプレースキッカーは順也に任せる」
と言わしめたほど、
田中の左足は世界水準にある。



しかし、
田中ほど
“彗星のごとく現れた”
という表現が相応しい選手もそうはいない。
思い出されるのは2011年FIFAクラブワールドカップ準決勝のサントス戦前日。
会見に臨んだ田中は、
ブラジル人記者から選手としてのキャリアを聞かれ、
苦笑いを浮かべながら
「僕は無名の存在です」
と答えた。



それは必ずしも謙遜ではなかった。
三菱養和SCユース時代には、
その強烈な左足シュートから
“三菱養和のアドリアーノ”
との異名こそ取ったものの、
年代別日本代表はおろか選抜の経験も持たない田中は、
全国的には無名の存在だった。
順天堂大学へはスポーツ推薦ではなく、
一般入試の末に入学し、
大学サッカーでも取り立てて目立った功績を残したわけではなかった。



転機は訪れたのは、
田中が大学2年の時だ。
柏のスカウトが、
田中の2学年上の先輩にあたる
村上佑介(現愛媛FC)の視察に訪れていた時、
ひと際強烈な左足のシュートを放つ田中の存在に目を奪われ、
彼を柏の練習参加に誘った。
その後、
数回の練習参加を経て、
田中は2009年の大学4年時に柏の特別指定選手になる。
さらに、
ここで彼の人生を大きく変える出会いが待ち受けていた。
名将ネルシーニョとの邂逅である。
ネルシーニョは、
李忠成(現浦和)、フランサといった絶対的なアタッカーをスタメンから外し、
無名の現役大学生である田中をいきなりスタメンで起用するサプライズを見せた。



当時としては無謀にも思える抜擢だが、
田中の秘めたるポテンシャルをネルシーニョがすでに見抜いていたのならば、
今となれば十分に納得できる起用である。



「ネルシーニョ監督に出会ってサッカー観が変わりました。
僕はそれまで頭を使ってサッカーをやってこなかったので」。
過去には、
そう自虐的に語ったこともあるように、
身体能力高さと左足シュートに頼りきりだった田中は、
ネルシーニョの施す緻密な戦術に触れ、
次第に秘めたるポテンシャルを開花させていった。



田中は一見して粗削りだが、
リフティングの技術はピカイチで、
繊細なボールタッチも売りだ。
ネルシーニョの指導によって、彼が元来持っている
“剛”
の部分と、
“柔”
の部分が劇的な融合を果たすと、
プロ2年目の2011年に一気にブレイクを果たした。
同年、
Jリーグでは13ゴールを挙げて、
柏のリーグ初制覇に大きく貢献した。
さらに日本代表に招集されるに至り、
2012年2月のアイスランド戦では代表初キャップを刻んだ。
柏では、
常に外国籍の選手とポジションを争い、
開幕当初はスタメンから外れたとしても、
最終的には定位置を確保し、
その熾烈な争いに勝つことで自らの成長につなげてきた。



とはいえ、
代表1キャップしか持たない田中に、
なぜスポルティング・リスボンが興味を示したのかは不明である。
だが、
かつてネルシーニョが田中の素質を見抜いたように、
彼の体内に眠る可能性をスポルティング・リスボン側が見出したのならば、
それはあながち分からない話ではない。
田中としても、
柏時代に仲の良かったチームメイト、
大津祐樹、
酒井宏樹が次々と海外へと渡っていく姿を見て、
彼自身も海の向こうへの憧れや夢を、
大きく膨らませていったのだろう。



今回の移籍は、
柏とスポルティング・リスボンとの間で、
以前から交渉が行われていたのではなく、
代理人を通じて水面下での交渉を続け、
話が具現化した6月下旬に、
初めて柏へオファーが届いた。



したがって報道が出るや否や、
韓国で行われていたキャンプを一足先に切り上げ、
数日後にはポルトガルへ渡るという急転直下の展開を迎えたわけだが、
サプライズ続きの彼のこれまでのキャリアを振り返ってみても、
今回の一連の顛末は、
ある意味田中らしい移籍の仕方でもある。



その豪快なプレースタイルや天然気質で何事にも動じない飄々とした性格など、
その端正な顔立ちを含めて、
田中は海外の水が合うのではないかと思う。
「僕は、
自分で晩成型だと思っています」。



これは、
プロ加入当初に田中が口にした言葉である。
今年で27歳。
彼が本当に晩成型の大器ならば、
ポルトガルの地こそ、
田中にとってのキャリア絶頂期が訪れるはずだ。

eca
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