2012年11月04日
渡辺和子 「置かれた場所で咲きなさい」 「目に見えないけれど大切なもの」 「人として大切なこと」 「愛と励ましの言葉366日」 「忘れかけてた大切なこと」は、確かにいい!!
渡辺和子
「置かれた場所で咲きなさい」
「目に見えないけれど大切なもの」
「人として大切なこと」
「愛と励ましの言葉366日」
「忘れかけてた大切なこと」は、確かにいい!!
文学は実用的でないという言い方があります。
経済や科学や法律が実学なのだと。
文学は直接には何も経済的な利益、社会的な利益を生み出さない。
その通りだと思います。
でも、実は一番人間にとって実用的なのが文学だとも言えます。
言葉の力こそ、生きていく力を与えてくれるのだと。
「はじめにことばあり」そんな言葉もありました。
言霊ともいいます。
祈り、呪い、祝詞、感謝、呪文、お経、聖典。
すべて、言葉が人生に影響を及ぼすことが前提の存在です。
人間は言葉に励まされ、言葉に絶望する動物でもあります。
言葉に希望をみつけ、言葉に絶望する。
言葉の持つ力こそ、実は経済や法律や科学よりも
人間に直接、強力に影響をあたえる。
そんな、力が秘められた言葉がたくさん、
渡辺和子さんの著作には溢れています。
僕はキリスト教徒ではありません。
あえて、ことあげすれば、仏教徒です。
そして時々、排他的な宗教者のもつ、排他的、独善的な主張に疑問をもつこともあります。
仏教だって結構排他的です。
Imagine there's no country.
No Religion, too! ( "Imagine" by John Lennon & Yoko Ono )
宗教なんてないほうが世界は平和かも?
人を幸せにする筈の宗教のために
今まで流されて来た血のことを考えると、そんな思いを禁じ得ません。
でも、何らかの形で人は宗教を必要としています。
それは、愛する人の死や、生きることの苦しさ、理不尽を消化し昇華するための
必要悪なのかもしれません。
人間、生まれながらに不平等。
理不尽で非情で豊穣な神的存在にみちたこの世界。
人は誰しも、この世の中の非合理、不合理、理不尽と折り合っていかねばなりません。
強く生き抜くために。
そんなとき、渡辺和子さんの言葉は
真摯に人生に向き合って来た一宗教家の言葉として
心に響きます。
一つの宗教を極めることで、
すべての宗教が目指している一つの境地なり、
姿勢のようなものに至る。
そんなことを考えました。
どんな宗教を信じている人にも同感できる、共感できる境地、考え方、構えが示されています。
宗教は時に人を分つ。
素晴らしい本質を極めたことばは、人をつなぐ。
そんなことを考えました。
人をつなぐことばを紡ぎたい。大切にしたい。
Bloom where God has planted you.
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。
時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。
置かれたところで咲いていてください
結婚しても、就職しても、子育てをしても、
「こんなはずじゃなかった」と思うことが、
次から次に出てきます。
そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、
そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、
根を張るのです。
次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。
いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。
「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること。
あいさつをしたのに、会釈すら返してもらえなかった時。
他人から辛辣なことを言われたり、そういうことを人づてに聞かされた時。
「私はもっといい仕事ができたはずなのに」と自信をなくした時――
傷いっぱいの日々を生きるあなたの心を支える言葉が、ここにあります。
本書は、「信仰があっても、なくても、人間、落ち込むことに変わりはないのです」という
シスター渡辺が、「ひとりの人間」としての日常や、心と体の病から立ち直った経験から
学んだことを、飾らない筆致で綴ったエッセイ集。あなたの生き方、考え方を励まします。
「そんな自分を嫌わず、いじめず」「したい性と主体性」「なぜ人を殺してはいけないのか」
「好き嫌いを乗り越える」……など、ふと感じるみじめさやむなしさ、孤独感は、
たくましくしなやかな自分を育てる糧になるということを教えてくれる48篇を収録。
心に穴があきそうなあなたに読んでほしい、珠玉の随想集、待望の文庫化!
小さな誤解をうけて心が波立つ時。
思いがけない挫折にあい、人生にポッカリ穴があいたような気がする日―人は皆、
傷いっぱいの日常を生きています。あなたのみじめさやむなしさ、孤独感はきっと、
たくましくしなやかな自分を育てる糧になるでしょう。
本書は、ひとりの人間としてのシスターの日常や、病の経験から学んだことを飾らず、
ありのまま綴る珠玉の随想集。愛と励ましの言葉がここにあります。
傷つきたいなどと夢にも思わない。でも、傷つきやすい自分を大切にして生きている…。
みじめさ、むなしさ、孤独感。傷いっぱいの日常を、たくましくしなやかに生きるために、
励ましの言葉を贈るエッセイ集。渡辺和子のロングセラーです。
帯にはこうあります。
許すことによって、私たちは自由になる。
表紙裏にはこんな告白が。
修道者であっても、この世に生きている限り、
煩わしいことに無縁であろうはずはなく、
生身の人間である限り、傷つかないで生きられるものではない。
言うも恥ずかしいような些細なことで心が波立つことがある。
傷つきたいなどと夢にも思わない。
でも私は、傷つきやすい自分を大切にして生きている。
たった一度の人生を輝かせたい。
そう願いながらも、せっかくの一日をつまらなく過ごしてしまうことがあります。
心が晴れない時や生き方に迷う時、「自分らしさ」を見失わないための人生論です。
一人格としての「わたし」と成長、他人を理解するということ、人間の尊さ、
“当たり前”を輝かせることを知る「力としての愛」、自由と責任……など、
ノートルダム清心女子大学で30年以上続く名講義「人格論」を完全収録した貴重な一冊。
シスター渡辺の、おだやかで凛とした言葉にきっと励まされます。
科学や技術の発達によって人間に取って替わるものが発明され、痛ましい事件があとを
絶たない「今」こそ、人間の尊厳や愛について深く考えるべき時なのでしょう。
この本は、あなたの心の「現代の忘れ物」を思い出させてくれるはずです。
生きる意味を見直したい人、新しい気持ちで明日を迎えたい人におすすめします。
『人間としてどう生きるか』を改題。
この本では、あらゆる局面に出遭ったとき、喜びも苦しみもすべてを受容し、
自分を、人を愛するために必要な心のあり方を示しています。
心ふさぐ日や人生に迷う日も、「ありのままの自分」を認め、
かけがえのない"今"を自分らしく生きるための指針となる日々の言葉。
本当に、1月1日から12月31日まで366日(閏年)、
毎日読める励ましの言葉が366文、収録されています。
毎日、一つ読むのも味があるかな。
お気に入りの言葉をみつけて、人に贈るものいいかも。
たとえば、幾つか選ぶとこんな感じです。
*私は私しか生きられない一生を、
私らしく生きることが一番大切なことなのです。
もちろん、私らしく生きるために他人という鏡が必要だし、
他人からいろいろ啓発されたり、
時には軽蔑されたりすることがありますけれども、
私は私なんだという、
その自覚を持って生きることがたいせつです。
*「自分らしく」ということの中には、特に努力せずとも、
自分が生かせて生きられる時間もありますけれども、
時には自分で必死になって自分を輝かせて、生かしていかないといけない
時もあるのです。
*私たちは、愛する者を持っていない淋しさも味わいますが、
反対に、愛する者を持ってしまったがゆえに味わわねばならない淋しさ、
孤独もあるのです。それに耐えるのも愛の一つの姿だと知りましょう。
*「してもらうのが当たり前」という気持ちは人を醜くする。
なぜならそこには「感動」がないからであり、
不平しか残らないからである。
*「誰かの役に立ちたい」「人にやさしくしたい」「人を好きになりたい」
そう思いながらも、誰かにつらくあたったり、逆に不用意なひとことに傷つけられたり、
心穏やかに過ごせない日があります。そんなときこそ、心を鎮めて、
ほほえむことのできる「強さ」を持ちましょう。
*理解されたいと願う人は、理解する人になること、慰められてうれしかったら、
他人にもやさしい言葉をかけること
*人生においてたいせつなことは倒れないことではなく、起き上がること、
そして倒れたことによって、強くなってゆくこと
*宝石に見せかけるのではなく、宝石になる努力を惜しまないこと
愛する人との別れ、いわれなき中傷、不本意な選択など、
人生とは「こんなはずではなかった」の連続なのでしょう。
幼き日に遭遇した2・26事件で最愛の父を目の前で失い、
母の反対を押し切ってキリスト教に入信、そして修道院へ。
「こんなはずではなかった」出来事の一つ一つと向き合い、受けとめるすべを、
未熟だった自分がどのように身につけていったのか。
本書は、ノートルダム清心学園理事長である著者が、
傷つき疲れてもほほえみを忘れずに生きるためのヒントを、
日々の思いとともに綴る珠玉のエッセイ集です。
日常の困難を乗りこえて、心の凪を取り戻したい。
そんなときこそ、ほほえみや感謝、譲り合いなど<当たり前のこと>に目を向けましょう。
「与えられた人を豊かにしながら、与える人は何も失わない。それがほほえみなのです」
そんなシスターの “心のもち方” “気づき” に触れ、苦しみも “生きる勇気” に
変えることができる、恵みの1冊。
渡辺和子
1927年2月、教育総監・渡辺錠太郎の次女として生まれる。
51年、聖心女子大学を経て、54年上智大学大学院修了。
56年、ノートルダム修道女会に入りアメリカに派遣されて、
ボストン・カレッジ大学院に学ぶ。
74年、岡山県文化賞(文化功労)、79年、山陽新聞賞(教育功労)、
岡山県社会福祉協議会より済世賞、86年、ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞、
89年三木記念賞受賞。
ノートルダム清心女子大学(岡山)教授を経て、90年3月まで同大学学長。
現在、ノートルダム清心学園理事長。
主な著書に、『愛と祈りで子どもは育つ』『目に見えないけれど大切なもの』
『美しい人に』『愛と励ましの言葉366日』『幸せのありか』
『マザー・テレサ 愛と祈りのことば<翻訳>』(以上、PHP研究所)他多数がある。
「置かれた場所で咲きなさい」
「目に見えないけれど大切なもの」
「人として大切なこと」
「愛と励ましの言葉366日」
「忘れかけてた大切なこと」は、確かにいい!!
文学は実用的でないという言い方があります。
経済や科学や法律が実学なのだと。
文学は直接には何も経済的な利益、社会的な利益を生み出さない。
その通りだと思います。
でも、実は一番人間にとって実用的なのが文学だとも言えます。
言葉の力こそ、生きていく力を与えてくれるのだと。
「はじめにことばあり」そんな言葉もありました。
言霊ともいいます。
祈り、呪い、祝詞、感謝、呪文、お経、聖典。
すべて、言葉が人生に影響を及ぼすことが前提の存在です。
人間は言葉に励まされ、言葉に絶望する動物でもあります。
言葉に希望をみつけ、言葉に絶望する。
言葉の持つ力こそ、実は経済や法律や科学よりも
人間に直接、強力に影響をあたえる。
そんな、力が秘められた言葉がたくさん、
渡辺和子さんの著作には溢れています。
僕はキリスト教徒ではありません。
あえて、ことあげすれば、仏教徒です。
そして時々、排他的な宗教者のもつ、排他的、独善的な主張に疑問をもつこともあります。
仏教だって結構排他的です。
Imagine there's no country.
No Religion, too! ( "Imagine" by John Lennon & Yoko Ono )
宗教なんてないほうが世界は平和かも?
人を幸せにする筈の宗教のために
今まで流されて来た血のことを考えると、そんな思いを禁じ得ません。
でも、何らかの形で人は宗教を必要としています。
それは、愛する人の死や、生きることの苦しさ、理不尽を消化し昇華するための
必要悪なのかもしれません。
人間、生まれながらに不平等。
理不尽で非情で豊穣な神的存在にみちたこの世界。
人は誰しも、この世の中の非合理、不合理、理不尽と折り合っていかねばなりません。
強く生き抜くために。
そんなとき、渡辺和子さんの言葉は
真摯に人生に向き合って来た一宗教家の言葉として
心に響きます。
一つの宗教を極めることで、
すべての宗教が目指している一つの境地なり、
姿勢のようなものに至る。
そんなことを考えました。
どんな宗教を信じている人にも同感できる、共感できる境地、考え方、構えが示されています。
宗教は時に人を分つ。
素晴らしい本質を極めたことばは、人をつなぐ。
そんなことを考えました。
人をつなぐことばを紡ぎたい。大切にしたい。
Bloom where God has planted you.
置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。
咲けない時は、根を下へ下へと降ろしましょう。
時間の使い方は、そのまま、いのちの使い方なのですよ。
置かれたところで咲いていてください
結婚しても、就職しても、子育てをしても、
「こんなはずじゃなかった」と思うことが、
次から次に出てきます。
そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。
どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、
そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、
根を張るのです。
次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。
現実が変わらないなら、悩みに対する心の持ちようを変えてみる。
いい出会いにするためには、自分が苦労をして出会いを育てなければならない。
心にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。
信頼は98%。あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておく。
「ていねいに生きる」とは、自分に与えられた試練を感謝すること。
あいさつをしたのに、会釈すら返してもらえなかった時。
他人から辛辣なことを言われたり、そういうことを人づてに聞かされた時。
「私はもっといい仕事ができたはずなのに」と自信をなくした時――
傷いっぱいの日々を生きるあなたの心を支える言葉が、ここにあります。
本書は、「信仰があっても、なくても、人間、落ち込むことに変わりはないのです」という
シスター渡辺が、「ひとりの人間」としての日常や、心と体の病から立ち直った経験から
学んだことを、飾らない筆致で綴ったエッセイ集。あなたの生き方、考え方を励まします。
「そんな自分を嫌わず、いじめず」「したい性と主体性」「なぜ人を殺してはいけないのか」
「好き嫌いを乗り越える」……など、ふと感じるみじめさやむなしさ、孤独感は、
たくましくしなやかな自分を育てる糧になるということを教えてくれる48篇を収録。
心に穴があきそうなあなたに読んでほしい、珠玉の随想集、待望の文庫化!
小さな誤解をうけて心が波立つ時。
思いがけない挫折にあい、人生にポッカリ穴があいたような気がする日―人は皆、
傷いっぱいの日常を生きています。あなたのみじめさやむなしさ、孤独感はきっと、
たくましくしなやかな自分を育てる糧になるでしょう。
本書は、ひとりの人間としてのシスターの日常や、病の経験から学んだことを飾らず、
ありのまま綴る珠玉の随想集。愛と励ましの言葉がここにあります。
傷つきたいなどと夢にも思わない。でも、傷つきやすい自分を大切にして生きている…。
みじめさ、むなしさ、孤独感。傷いっぱいの日常を、たくましくしなやかに生きるために、
励ましの言葉を贈るエッセイ集。渡辺和子のロングセラーです。
帯にはこうあります。
許すことによって、私たちは自由になる。
表紙裏にはこんな告白が。
修道者であっても、この世に生きている限り、
煩わしいことに無縁であろうはずはなく、
生身の人間である限り、傷つかないで生きられるものではない。
言うも恥ずかしいような些細なことで心が波立つことがある。
傷つきたいなどと夢にも思わない。
でも私は、傷つきやすい自分を大切にして生きている。
たった一度の人生を輝かせたい。
そう願いながらも、せっかくの一日をつまらなく過ごしてしまうことがあります。
心が晴れない時や生き方に迷う時、「自分らしさ」を見失わないための人生論です。
一人格としての「わたし」と成長、他人を理解するということ、人間の尊さ、
“当たり前”を輝かせることを知る「力としての愛」、自由と責任……など、
ノートルダム清心女子大学で30年以上続く名講義「人格論」を完全収録した貴重な一冊。
シスター渡辺の、おだやかで凛とした言葉にきっと励まされます。
科学や技術の発達によって人間に取って替わるものが発明され、痛ましい事件があとを
絶たない「今」こそ、人間の尊厳や愛について深く考えるべき時なのでしょう。
この本は、あなたの心の「現代の忘れ物」を思い出させてくれるはずです。
生きる意味を見直したい人、新しい気持ちで明日を迎えたい人におすすめします。
『人間としてどう生きるか』を改題。
この本では、あらゆる局面に出遭ったとき、喜びも苦しみもすべてを受容し、
自分を、人を愛するために必要な心のあり方を示しています。
心ふさぐ日や人生に迷う日も、「ありのままの自分」を認め、
かけがえのない"今"を自分らしく生きるための指針となる日々の言葉。
本当に、1月1日から12月31日まで366日(閏年)、
毎日読める励ましの言葉が366文、収録されています。
毎日、一つ読むのも味があるかな。
お気に入りの言葉をみつけて、人に贈るものいいかも。
たとえば、幾つか選ぶとこんな感じです。
*私は私しか生きられない一生を、
私らしく生きることが一番大切なことなのです。
もちろん、私らしく生きるために他人という鏡が必要だし、
他人からいろいろ啓発されたり、
時には軽蔑されたりすることがありますけれども、
私は私なんだという、
その自覚を持って生きることがたいせつです。
*「自分らしく」ということの中には、特に努力せずとも、
自分が生かせて生きられる時間もありますけれども、
時には自分で必死になって自分を輝かせて、生かしていかないといけない
時もあるのです。
*私たちは、愛する者を持っていない淋しさも味わいますが、
反対に、愛する者を持ってしまったがゆえに味わわねばならない淋しさ、
孤独もあるのです。それに耐えるのも愛の一つの姿だと知りましょう。
*「してもらうのが当たり前」という気持ちは人を醜くする。
なぜならそこには「感動」がないからであり、
不平しか残らないからである。
*「誰かの役に立ちたい」「人にやさしくしたい」「人を好きになりたい」
そう思いながらも、誰かにつらくあたったり、逆に不用意なひとことに傷つけられたり、
心穏やかに過ごせない日があります。そんなときこそ、心を鎮めて、
ほほえむことのできる「強さ」を持ちましょう。
*理解されたいと願う人は、理解する人になること、慰められてうれしかったら、
他人にもやさしい言葉をかけること
*人生においてたいせつなことは倒れないことではなく、起き上がること、
そして倒れたことによって、強くなってゆくこと
*宝石に見せかけるのではなく、宝石になる努力を惜しまないこと
愛する人との別れ、いわれなき中傷、不本意な選択など、
人生とは「こんなはずではなかった」の連続なのでしょう。
幼き日に遭遇した2・26事件で最愛の父を目の前で失い、
母の反対を押し切ってキリスト教に入信、そして修道院へ。
「こんなはずではなかった」出来事の一つ一つと向き合い、受けとめるすべを、
未熟だった自分がどのように身につけていったのか。
本書は、ノートルダム清心学園理事長である著者が、
傷つき疲れてもほほえみを忘れずに生きるためのヒントを、
日々の思いとともに綴る珠玉のエッセイ集です。
日常の困難を乗りこえて、心の凪を取り戻したい。
そんなときこそ、ほほえみや感謝、譲り合いなど<当たり前のこと>に目を向けましょう。
「与えられた人を豊かにしながら、与える人は何も失わない。それがほほえみなのです」
そんなシスターの “心のもち方” “気づき” に触れ、苦しみも “生きる勇気” に
変えることができる、恵みの1冊。
渡辺和子
1927年2月、教育総監・渡辺錠太郎の次女として生まれる。
51年、聖心女子大学を経て、54年上智大学大学院修了。
56年、ノートルダム修道女会に入りアメリカに派遣されて、
ボストン・カレッジ大学院に学ぶ。
74年、岡山県文化賞(文化功労)、79年、山陽新聞賞(教育功労)、
岡山県社会福祉協議会より済世賞、86年、ソロプチミスト日本財団より千嘉代子賞、
89年三木記念賞受賞。
ノートルダム清心女子大学(岡山)教授を経て、90年3月まで同大学学長。
現在、ノートルダム清心学園理事長。
主な著書に、『愛と祈りで子どもは育つ』『目に見えないけれど大切なもの』
『美しい人に』『愛と励ましの言葉366日』『幸せのありか』
『マザー・テレサ 愛と祈りのことば<翻訳>』(以上、PHP研究所)他多数がある。
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