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2015年09月14日

満洲事変&昭和陸軍全史


昭和陸軍全史/川田稔
 2014-12-23 18:53:14 | 参考資料−昭和(前期)
 http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/c2c7b50948be437132a2adddaa08afb4

日本ではこれまで、永田は、ルーデンドルフの総力戦計画、政治支配に惹かれたと考えられているわけだけど、私は陸軍の中には確実にドイツ参謀本部が第一次世界大戦の、とりわけロシアとの関係で何をしたかに「惹かれた」人たちがいたんだろうと思うわけです。

それはどういうことかといえば、何度も書いている通り、いわゆる「ロシア革命」というのは、ユダヤの金持が資金を出して、ロシア周辺のよく言えば独立志向、悪くいえば他者の破壊を厭わない奴らをかき集めて行われたロシア簒奪だった。そしてそれはドイツ帝国の参謀本部の協力なしには成功していない。つまり、合作のクーデターによる政権奪取こそこの「ロシア革命」だったわけですね。



帝国陸軍による「防共回廊」問題は今後もっと研究されるべきでしょう。

しかも、我が陸軍は共産勢力の南下を恐れてという理由から、モンゴル、チベット、ウイグルと連携して「防共回廊」を作ろうという構想まであったらしいんですよ。こうなると国防というより、共産主義を地球上から撲滅するための十字軍みたいじゃないかとさえ思うし、そんなの日本がやらないとならないわけ?とちょっと戸惑う私。しかも、西のドイツがそもそも促進したからこそ共産主義革命なるものがこの世に現れたというのに!



満州事変 永田鉄山が仕掛けた下克上の真実/川田稔
 2015-03-29 09:49:41 | 参考資料−昭和(前期)
 http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/06f9dbace8d75bf9b8ed3f63c5ea0f81

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タグ:満洲事変
posted by DTJ3 at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 満洲事変

2015年09月13日

満蒙は日本の生命線


「戦後秩序からの脱却」と「満蒙は日本の生命線」
2015-01-15 22:51:16 | 参考資料−昭和(前期)
http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/c22dd555ffc27a298d7fcb12b986092f

柳条湖事件が関東軍の謀略だと知っていたジャーナリストは当時から存在していたがそれはオフレコだった。一般人は太平洋戦争終結までほぼ知らされいない。山本七平の「ある異常体験者の偏見」によれば、終戦直後のマニラの収容所の中で早くも将兵らが柳条湖は謀略だったと語っている記述があった(軍の中では噂があったのか)。また、その同じ収容所であった体験として、中村大尉事件(一般住民が広く満洲での関東軍の行動を支持し、幣原の弱腰をなじるきっかけとなった事件)さえ軍の謀略なんじゃないかと疑ってる人がいたという記述もあった。

自分が信じていたものの多くが嘘だったとしった後、つまるところ夢から覚めた後、ありとあらゆるものが信じられなくなる状態にいた人は多数いらしたんだろうと改めて思う。

(右派の人が好む、戦後日本人はNHK他の左翼に洗脳されて戦前はすべて悪いと思ってる、ってのは半分正しいけど半分は嘘ですよ。戦争に行った人たちは一体何が起ったのかを知りたくて、あるいは知りたくなくて、いくばくかの時間過去の政権に対して不信感を抱いていた、これが根本的な理由だと思います。)




軍政下だと思えば不思議もない
2015-09-08 22:18:10 | 太平洋情勢乱雑怪奇
http://blog.goo.ne.jp/deeplyjapan/e/eb4d6b88cc64bb9ac6337f056d05858d

山本七平氏の「ある異常体験者の偏見 (文春文庫)」からの引用。

占領地統治は、どのような外観を飾ろうと結局は「軍政」である。軍政はどいういう形態をとろうと、もちろん何もかも軍人がやるというわけではない。軍隊には行政能力はなく、治安の維持という警察の機能ももたない。これはよく誤解されるが−。いわば常に「面」は支配しえないのである。一個師団といっても一万五千人にすぎず、ちょっとした球場のスタンドすら満員にできない数である。これを民衆という大会にばらまいても何の威力も発揮しえないから、占領地の「原住民の政府」の背後にあってこれを威圧統制し、同時に民衆を間接的に威圧するという形になる、が、同時に自分はなるべく姿を現さない。これがいわば軍政の基本型で、この基本型においては、マックも日本軍も同じである。

軍政と民主主義とはもちろん絶対に相いれない。「原住民の政府」がいかに民主的外見を装っても、最終的な決定権は「軍」が握っているのであって、投票が握っているのではない。ところが戦後の日本は、軍政と民主主義の両存・並立という非常に奇妙な形で出発した… (p.223 - 224)











タグ:山本七平
posted by DTJ3 at 21:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 満洲事変
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