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2014年06月13日
細かいことは以外と知らないFIFAワールドカップとは?A
前回投稿の続きです!
賞金
以前はFIFAからの優勝賞金は0円であり、各国のサッカー協会が個々に協賛スポンサーを募り成績に応じて自国のチームに贈ることが多かった。現在は、FIFAがワールドカップ本大会出場国に成績に準ずる賞金を支給する。 2006年のドイツ大会では、32か国の全ての出場チームに準備金として100万スイス・フラン(約9000万円)、グループリーグ全3試合分のマッチフィーとして、600万スイスフラン(約5億4千万円)、合わせて700万スイスフラン(約6億3千万円)を支給。これが本大会出場国の最低保障となる。以後勝ち上がるごとに、賞金は増えていく。決勝トーナメント進出(ベスト16)で850万スイスフラン(約7億6500万円)。ベスト8で1150万スイスフラン(約10億3500万円)。ベスト4で2150万スイスフラン(約19億3500万円)。優勝すれば2450万スイスフラン(約22億500万円)。ちなみに、2002年の日韓大会の優勝賞金は1620万スイスフラン(約14億5500万円)。FIFAがドイツ大会で支払った賞金などの総額は3億3200万スイスフラン(約298億8000万円)。ユーロや米ドルではなく、スイスフランで支払われるのは、FIFA本部がスイスのチューリッヒにあるためである。
2010年の南アフリカ大会では、優勝賞金を3000万ドル(約26億4000万円)にするとFIFAが2009年12月3日に発表した。また、準優勝のチームには2400万ドル(約21億1200万円)、3位2000万ドル(約18億円)、4位1800万ドル(約16億円)、グループリーグ敗退国(17位〜32位)も、800万ドル(約7億円)を受け取る。さらに、全出場チームには経費として100万ドル(約8837万円)ずつが支払われる。賞金総額は、前回のドイツ大会に比べて61%増の4億2000万ドル(約369億6000万円)になる見通し[1]。また、同日FIFAは南アフリカ大会に出場する選手の各所属クラブに、総額約4000万ドル(約35億円)の補償金(怪我に対する保険金)が支払われると発表した。各クラブには所属する選手1人につき、大会期間中1日1600ドル(約14万円)が支払われる。補償金制度は2014年のブラジル大会でも採用される予定である。
開催方式
開催国立候補の条件
現FIFA会長ゼップ・ブラッターは、アフリカでワールドカップを開催するために「ワールドカップ持ち回りシステム(ローテーションシステム)」を提案し、理事会にかけてFIFAの正式な方針とした[3]。そこで、2010年の第19回南アフリカ大会から、原則的に開催は6大陸での持ち回りで行われると決まり、2014年の第20回記念大会はこの原則に基づきブラジル(南アメリカ大陸)で開催される事になった。
しかし、その後2007年10月29日のFIFA理事会において、2014年大会開催国の正式立候補国がブラジルとコロンビアしか出なかった事を問題視。表向きは開催立候補国を多く出させ易くする為という理由でこの原則が見直され、直近の2大会の開催地のある大陸以外から立候補国を募るという事に改正された。
なお、ブラッターはワールドカップ持ち回りシステム破棄の理由として「持ち回りシステムの採用は、これまで開催がなかったアフリカ、そして1978年以来30年以上もワールドカップを開催していない南米にもっていくための方便だった」と説明しており、持ち回りシステム破棄は当初からの既定路線だった可能性も高い。
この改正により、例えば2018年の第21回大会の開催国への立候補は2010年と2014年に開催地となったアフリカと南米以外のFIFA加入国ならば、制度上はどの国でも立候補が可能となった。2002年の開催国のひとつである日本が再び開催地に立候補するには旧原則下では2022年以降にアジアに開催国立候補権の順番が回ってくるまで待たねばならなかったが、4年早まって2018年大会から立候補する事も可能となった。ただし、日本は2018年の立候補は見送り、2022年への専念を表明している(その後、ヨーロッパ以外のほかの立候補国も2018年を事実上離脱し、2022年のみに専念することになり、実質、2018年はヨーロッパ、2022年は欧州・南米以外からの開催が必然的に決まった)[4]。 それでも、大陸持ち回りのカラーは比較的強く残しており2018年大会に日本が立候補しようとした際に、プラッター会長から「政治的色合いを強く感じた」と日本サッカー協会の犬飼会長は語っている(FIFA側としては、2018年大会の開催はユーラシア大陸に戻したい意向<2006年大会以降、FIFA加盟協会のおよそ4分の1相当を擁するヨーロッパから大会が離れているため>であると感じたそうである)。
開催スタジアムに要求される施設面の必要要件は日韓大会の頃より更に厳しくなっている。収容4万人以上の会場が12カ所必要で、開幕戦と決勝戦は8万人以上・準決勝は6万人以上が観戦可能な規模の競技場で行う事が基準となる。更に屋根が客席を覆う範囲、控室の設備、さらには観客が利用する場内のトイレ、バリアフリーなどに至るまで細かい条件が設けられている。つまり、FIFAワールドカップを開催する為には開催国において数多くのサッカー競技場施設の新設や大規模な改良が必要になる。
その為、裏を返せば、開催国のサッカー界にとっては、FIFAワールドカップを開催する事によって、政府や行政の大幅な協力を得て自国のサッカー関連施設の水準を一気に世界の最高水準に引き上げ、なおかつサッカーに対して国家レベルでの大規模な強化支援を受ける事が可能となるわけで、各国のサッカー協会にとってはこれもワールドカップ開催の立候補への大きな動機となる。また、この様な大規模な支援が国家・行政レベルで行われる事も、現在では開催立候補に際しての事実上の必要条件となっている。
賞金
以前はFIFAからの優勝賞金は0円であり、各国のサッカー協会が個々に協賛スポンサーを募り成績に応じて自国のチームに贈ることが多かった。現在は、FIFAがワールドカップ本大会出場国に成績に準ずる賞金を支給する。 2006年のドイツ大会では、32か国の全ての出場チームに準備金として100万スイス・フラン(約9000万円)、グループリーグ全3試合分のマッチフィーとして、600万スイスフラン(約5億4千万円)、合わせて700万スイスフラン(約6億3千万円)を支給。これが本大会出場国の最低保障となる。以後勝ち上がるごとに、賞金は増えていく。決勝トーナメント進出(ベスト16)で850万スイスフラン(約7億6500万円)。ベスト8で1150万スイスフラン(約10億3500万円)。ベスト4で2150万スイスフラン(約19億3500万円)。優勝すれば2450万スイスフラン(約22億500万円)。ちなみに、2002年の日韓大会の優勝賞金は1620万スイスフラン(約14億5500万円)。FIFAがドイツ大会で支払った賞金などの総額は3億3200万スイスフラン(約298億8000万円)。ユーロや米ドルではなく、スイスフランで支払われるのは、FIFA本部がスイスのチューリッヒにあるためである。
2010年の南アフリカ大会では、優勝賞金を3000万ドル(約26億4000万円)にするとFIFAが2009年12月3日に発表した。また、準優勝のチームには2400万ドル(約21億1200万円)、3位2000万ドル(約18億円)、4位1800万ドル(約16億円)、グループリーグ敗退国(17位〜32位)も、800万ドル(約7億円)を受け取る。さらに、全出場チームには経費として100万ドル(約8837万円)ずつが支払われる。賞金総額は、前回のドイツ大会に比べて61%増の4億2000万ドル(約369億6000万円)になる見通し[1]。また、同日FIFAは南アフリカ大会に出場する選手の各所属クラブに、総額約4000万ドル(約35億円)の補償金(怪我に対する保険金)が支払われると発表した。各クラブには所属する選手1人につき、大会期間中1日1600ドル(約14万円)が支払われる。補償金制度は2014年のブラジル大会でも採用される予定である。
開催方式
開催国立候補の条件
現FIFA会長ゼップ・ブラッターは、アフリカでワールドカップを開催するために「ワールドカップ持ち回りシステム(ローテーションシステム)」を提案し、理事会にかけてFIFAの正式な方針とした[3]。そこで、2010年の第19回南アフリカ大会から、原則的に開催は6大陸での持ち回りで行われると決まり、2014年の第20回記念大会はこの原則に基づきブラジル(南アメリカ大陸)で開催される事になった。
しかし、その後2007年10月29日のFIFA理事会において、2014年大会開催国の正式立候補国がブラジルとコロンビアしか出なかった事を問題視。表向きは開催立候補国を多く出させ易くする為という理由でこの原則が見直され、直近の2大会の開催地のある大陸以外から立候補国を募るという事に改正された。
なお、ブラッターはワールドカップ持ち回りシステム破棄の理由として「持ち回りシステムの採用は、これまで開催がなかったアフリカ、そして1978年以来30年以上もワールドカップを開催していない南米にもっていくための方便だった」と説明しており、持ち回りシステム破棄は当初からの既定路線だった可能性も高い。
この改正により、例えば2018年の第21回大会の開催国への立候補は2010年と2014年に開催地となったアフリカと南米以外のFIFA加入国ならば、制度上はどの国でも立候補が可能となった。2002年の開催国のひとつである日本が再び開催地に立候補するには旧原則下では2022年以降にアジアに開催国立候補権の順番が回ってくるまで待たねばならなかったが、4年早まって2018年大会から立候補する事も可能となった。ただし、日本は2018年の立候補は見送り、2022年への専念を表明している(その後、ヨーロッパ以外のほかの立候補国も2018年を事実上離脱し、2022年のみに専念することになり、実質、2018年はヨーロッパ、2022年は欧州・南米以外からの開催が必然的に決まった)[4]。 それでも、大陸持ち回りのカラーは比較的強く残しており2018年大会に日本が立候補しようとした際に、プラッター会長から「政治的色合いを強く感じた」と日本サッカー協会の犬飼会長は語っている(FIFA側としては、2018年大会の開催はユーラシア大陸に戻したい意向<2006年大会以降、FIFA加盟協会のおよそ4分の1相当を擁するヨーロッパから大会が離れているため>であると感じたそうである)。
開催スタジアムに要求される施設面の必要要件は日韓大会の頃より更に厳しくなっている。収容4万人以上の会場が12カ所必要で、開幕戦と決勝戦は8万人以上・準決勝は6万人以上が観戦可能な規模の競技場で行う事が基準となる。更に屋根が客席を覆う範囲、控室の設備、さらには観客が利用する場内のトイレ、バリアフリーなどに至るまで細かい条件が設けられている。つまり、FIFAワールドカップを開催する為には開催国において数多くのサッカー競技場施設の新設や大規模な改良が必要になる。
その為、裏を返せば、開催国のサッカー界にとっては、FIFAワールドカップを開催する事によって、政府や行政の大幅な協力を得て自国のサッカー関連施設の水準を一気に世界の最高水準に引き上げ、なおかつサッカーに対して国家レベルでの大規模な強化支援を受ける事が可能となるわけで、各国のサッカー協会にとってはこれもワールドカップ開催の立候補への大きな動機となる。また、この様な大規模な支援が国家・行政レベルで行われる事も、現在では開催立候補に際しての事実上の必要条件となっている。
2014年06月10日
細かいことは以外と知らないFIFAワールドカップとは?
FIFAワールドカップは、予選大会と本大会で構成されており、本大会は4年ごとに開催される(夏季五輪の中間年、1994年から冬季五輪と同年)。1930年にウルグアイで第1回大会が行われ、この大会を企画・発案した当時のFIFA会長・ジュール・リメの寄贈した「ジュール・リメ・トロフィー」をかけて争われた。
参加できるのは国またはそれに準ずる地域であり、より厳密にはFIFAに加盟したサッカー協会を単位とする。例えば、イギリスは単一の国家ながら本土4協会(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)と海外領土6協会(モントセラト、イギリス領ヴァージン諸島、ケイマン諸島、タークス・カイコス諸島、バミューダ諸島、アンギラ)による計10代表チームがあり、日本は日本サッカー協会の唯一の代表である。そして、胸にそのエンブレムをつけたユニフォームを着用する。また、香港やマカオのように、FIFAが加盟を承認したサッカー協会を持つ地域にも、それぞれに出場権がある。
これまでの優勝国は、最多となる5回の優勝を誇るブラジルを筆頭に、イタリア(4回)、ドイツ(3回)、ウルグアイ、アルゼンチン(各2回)、イングランド、フランス、スペイン(各1回)の8か国・地域である。なお、2002年大会までは前回優勝国が地域予選を免除されていたが、それに伴う強化不足や収入減少の懸念や、予選枠拡大の要望などから、2006年大会からは廃止となった。
優勝国にはFIFAワールドカップトロフィーが贈られる。これは1970年大会でブラジルが3回目の優勝を成し遂げた際、規定で「ジュール・リメ・トロフィー」が永久保持となったため、それに代わる優勝トロフィーのデザインを一般から公募したものである。イタリア人の彫刻家、シルビオ・ガザニガのデザインによるこの優勝杯は当該大会の優勝決定後、優勝国のサッカー協会に保存され、4年後の本大会開会式の際に返還されていたが、2005年に純金製の3代目トロフィーが製作されたのをきっかけに、保安上の理由からドイツ大会以後は優勝国へのトロフィーの授与は行うものの、それ以後の優勝国への保存はなくなり、閉会式終了後再びFIFAが管理することとなる。なお、優勝国にはトロフィーのレプリカが贈賞される。
名称
1904年のFIFA創立時の要綱には世界選手権(英: World Championship)を行う旨が記載されており、1928年のFIFAのアムステルダム総会において大会名称を「ワールドカップ」とすることが定められ、ジュール・リメの寄贈したカップも「ワールドカップ」と呼ばれたが、まもなくカップは「ジュール・リメカップ」と呼ばれるようになった。これは第二次世界大戦の終了まで続いたが、1946年7月25日のFIFA第25回ルクセンブルク総会で「ジュール・リメ杯世界選手権大会」(英: World Championship -Jules Rimet Cup-)を正式名称とした。1970年のメキシコ大会まではこれが正式名称であったが、ジュール・リメカップがブラジルにより永久保持となり、新しいカップが作られたのに伴い、1974年の西ドイツ大会以降「FIFAワールドカップ」が正式名称となった。それ以外の表記は日本国内では公式には認められていないが、雑誌や新聞等では文字数制約などの問題から「W杯」と略されることも多い(ただし、ドイツにおいては正式名称変更後も世界選手権を意味する"Weltmeisterschaft"が使われており、一部ワールドカップと世界選手権が並立しているバレーボールなどでは英語表記が使われている)。なお、「ワールドカップ」の名称を世界で最初に用いたのはサッカーである。但し、大会正式名としては、1966年開始のアルペンスキーのワールドカップが世界で最初である。
参加できるのは国またはそれに準ずる地域であり、より厳密にはFIFAに加盟したサッカー協会を単位とする。例えば、イギリスは単一の国家ながら本土4協会(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)と海外領土6協会(モントセラト、イギリス領ヴァージン諸島、ケイマン諸島、タークス・カイコス諸島、バミューダ諸島、アンギラ)による計10代表チームがあり、日本は日本サッカー協会の唯一の代表である。そして、胸にそのエンブレムをつけたユニフォームを着用する。また、香港やマカオのように、FIFAが加盟を承認したサッカー協会を持つ地域にも、それぞれに出場権がある。
これまでの優勝国は、最多となる5回の優勝を誇るブラジルを筆頭に、イタリア(4回)、ドイツ(3回)、ウルグアイ、アルゼンチン(各2回)、イングランド、フランス、スペイン(各1回)の8か国・地域である。なお、2002年大会までは前回優勝国が地域予選を免除されていたが、それに伴う強化不足や収入減少の懸念や、予選枠拡大の要望などから、2006年大会からは廃止となった。
優勝国にはFIFAワールドカップトロフィーが贈られる。これは1970年大会でブラジルが3回目の優勝を成し遂げた際、規定で「ジュール・リメ・トロフィー」が永久保持となったため、それに代わる優勝トロフィーのデザインを一般から公募したものである。イタリア人の彫刻家、シルビオ・ガザニガのデザインによるこの優勝杯は当該大会の優勝決定後、優勝国のサッカー協会に保存され、4年後の本大会開会式の際に返還されていたが、2005年に純金製の3代目トロフィーが製作されたのをきっかけに、保安上の理由からドイツ大会以後は優勝国へのトロフィーの授与は行うものの、それ以後の優勝国への保存はなくなり、閉会式終了後再びFIFAが管理することとなる。なお、優勝国にはトロフィーのレプリカが贈賞される。
名称
1904年のFIFA創立時の要綱には世界選手権(英: World Championship)を行う旨が記載されており、1928年のFIFAのアムステルダム総会において大会名称を「ワールドカップ」とすることが定められ、ジュール・リメの寄贈したカップも「ワールドカップ」と呼ばれたが、まもなくカップは「ジュール・リメカップ」と呼ばれるようになった。これは第二次世界大戦の終了まで続いたが、1946年7月25日のFIFA第25回ルクセンブルク総会で「ジュール・リメ杯世界選手権大会」(英: World Championship -Jules Rimet Cup-)を正式名称とした。1970年のメキシコ大会まではこれが正式名称であったが、ジュール・リメカップがブラジルにより永久保持となり、新しいカップが作られたのに伴い、1974年の西ドイツ大会以降「FIFAワールドカップ」が正式名称となった。それ以外の表記は日本国内では公式には認められていないが、雑誌や新聞等では文字数制約などの問題から「W杯」と略されることも多い(ただし、ドイツにおいては正式名称変更後も世界選手権を意味する"Weltmeisterschaft"が使われており、一部ワールドカップと世界選手権が並立しているバレーボールなどでは英語表記が使われている)。なお、「ワールドカップ」の名称を世界で最初に用いたのはサッカーである。但し、大会正式名としては、1966年開始のアルペンスキーのワールドカップが世界で最初である。
2014年06月06日
ミスが響いたアトレティコの残酷な結末A
クラックの力で勝利をもぎ取ったレアル・マドリー
決勝ではミスがあったものの、アトレティコ・マドリーが素晴らしいシーズンを過ごしたことに変わりない。シメオネは困難を乗り越えるべく新たな仕事に取り掛かることだろう
優勝したレアル・マドリーは奇妙なチームだった。決勝の彼らはチームとしてのバランスや完成度の高さを示した訳ではなく、ベイルやクリスティアーノ・ロナウド、ラモス、ディ・マリアといった単独で試合を決められるクラック(名手)たちの攻撃力に頼ることで勝利をもぎ取ったからだ。
今季のレアル・マドリーはシーズンを通してディフェンスラインの守備が安定せず、フォーメーションも変わりがちで、中盤から前線へのパスの供給はたびたび途切れ、イスコのような組み立て役が不在のまま個人技任せの攻撃を繰り返すことも多かった。そしてこれまでビッグゲームでは必ず決定的な役割を果たしてきたカシージャスまでもが、決勝では不安定なプレーに終始していた。
長期離脱明けのサミ・ケディラを決勝で先発起用したことは、カルロ・アンチェロッティ監督に迷いが生じていたことをよく表している。彼はプレーの構築よりグループやロッカールームのマネジメント術に長ける監督ではあるが、勝つためにはパーフェクトな試合を全うし、かつ多少の幸運にも恵まれなければならないことをよく知っている監督でもあった。
アトレティコはうまくレアル・マドリーをコントロールしていたが、このような相手に対してはさ細なミスでさえも大きな代償となるものだ。相手のミスを利用するスペシャリストであるレアル・マドリーは、最終的に4−1でも物足りないくらいの印象を与えるほどにアトレティコを圧倒した。だがそのうちの3ゴールは相手が力つきた延長戦に入ってから生まれたものであり、攻め手を見いだせぬまま過ごした90分の間に決めることはできなかった。
シメオネはまた新たな仕事に取り掛かる
これだけ偉大なクラックたちを擁しているにも関わらず、悲願のタイトルを手にする過程で確固たる強さを印象づけることができなかったという意味で、レアル・マドリーは不思議なチャンピオンだった。だが今回の決勝が示した通り、フットボールにおいてはそういった要素が常に重要性を持つとは限らない。もちろんそれは、勝つために必要ないくつかの要素を兼ね備えていればの話である。
コパデルレイは準決勝で、CLでは決勝の終了2分前に喫した失点によって同じ町のライバルに敗れたものの、2つのモンスタークラブ(レアル・、マドリーとバルセロナ)を抑えてリーガ・エスパニョーラを制したアトレティコの今季はエクセレントなシーズンだったと言える。
だが、またしても“ロス・コルチョネロス(アトレティコの愛称)”はフットボールから残酷な仕打ちを受けた。シーズンを通して素晴らしい戦いを見せてきた彼らにとって、このような結末は相応しいものではなかった。しかも今季は終了間際の失点に泣いたバイエルン・ミュンヘンとのチャンピオンズカップ決勝からちょうど40年目のシーズンだった。歴史は当時と極めてよく似た形で繰り返されたのである。
とはいえ、すべてが偶然だったわけではない。シメオネは必ずやリスボンでの敗因を分析、修正し、また1つ困難を乗り越えるべく新たな仕事に取り掛かることだろう。
2014年06月03日
ミスが響いたアトレティコの残酷な結末
CLを制した奇妙な王者レアル・マドリー
その影で・・・!?
シメオネが犯した3つのミス
CL10度目の優勝を果たしたレアル・マドリー。後半のアディショナルに追いつき、延長戦では破壊的な攻撃力を見せつけた
CL10度目の優勝を果たしたレアル・マドリー。後半のアディショナルに追いつき、延長戦では破壊的な攻撃力を見せつけた
偉大な監督であるディエゴ・シメオネは、必ずや24日のチャンピオンズリーグ(CL)決勝で犯したミスを2度と繰り返さぬよう、しっかりと心に書き留めたことだろう。宿敵レアル・マドリーに残り2分の時点でトロフィーをかすめ取られたこの一戦において、彼はそのミスにより高い代償を払うことになったからだ。
リスボン(ポルトガル)で行われたファイナルにおいて、アトレティコ・マドリーは1−4という最終スコアとは裏腹にチームとしてライバルを上回っただけでなく、今大会をとおしてCLを制するに相応しい戦いを見せてきた。攻撃の要であるアルダ・トゥランとジエゴ・コスタをケガで欠きながら、決勝まで無敗を貫いてきたのはアトレティコだけだ。
しかし、シメオネは決勝でいくつかのディテールにおいて過ちを犯し、それが結果的に重要な影響をもたらした。その1つは、まず回復は不可能だと見られていたコスタを先発起用した結果、10分と経たぬうちに交代枠を1つ失ってしまったこと。2つ目は、これはレアル・マドリー側のメリットでもあるのだが、破壊的な攻撃力を持つ相手に対して守備ラインを下げ過ぎてしまったこと。そして3つ目は、後半途中(21分)にホセ・ソサを投入したことだ。
恐らくシメオネは、2006年に率いたエストゥディアンテス時代の感覚でソサの起用に全てをかけたのだろう。だが実際の彼は大役に応えることができず、他の選手よりずっとフレッシュだったにもかかわらず、ボールを受けては失い、対面するサイドバック(マルセロ)を止めることもできなかった。
精神的ダメージの大きかった同点ゴール
アトレティコの先制点を決めたのは、またしてもディエゴ・ゴディンの頭だった。奇妙だったのはあのゴールがイケル・カシージャスの協力の下で生まれたことだ。ゴディンの柔らかなシュートは、飛び出しの判断を誤った彼の頭上を越えてゴールネットへと吸い込まれている。
先制したアトレティコは精神面で優位に立っていたものの、レアル・マドリーは信じられないシュートミスを繰り返したガレス・ベイル、その止めようがないスピードによりマンオブザマッチに選ばれたアンヘル・ディ・マリアらを通して数度のゴールチャンスを作っていた。
しかもスター選手の回復が軒並み間に合ったレアル・マドリーに対し、アトレティコはライバルほど決勝へ向けた準備期間を取ることができなかった。その結果、ゲーム終盤には両チームのフィジカルコンディションに埋めようのない差が生じることになる。
セルヒオ・ラモスが力強く決めた同点ゴールの残酷さは、それが決まった時間帯に因るところが大きかった。同点のまま迎えた延長戦において、ここまで明確な結果が出ることは非常に珍しい。それだけあのゴールがアトレティコに与えた精神的ダメージは大きかった。あの時点で彼らは、数分前まで手にしていたチャンスを再びつかむのが極めて難しいことをよく理解していたのだ。
2014年06月02日
天皇杯沖縄県予選 VS FC那覇
ハイサイ!こんばんは!
シエスタ読谷広報担当です!
シエスタ読谷は、昨日の天皇杯予選で九州リーグに所属するFC那覇と対戦し、3−2で勝利しました。
前半開始10分にエース棚原が脱臼で救急搬送されるも、チーム一丸となって戦い、見事勝利をもぎ取りました!
次戦は、同じく九州リーグの海邦銀行SCとの試合です!
海邦銀行SCも県内屈指の強さを誇る格上のチームなので、エース不在でシエスタ読谷がどこまでやれるか試すことのできるチャンスでもあります!
是非皆さん応援に足を運んでいただければと思います!
■第19回タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会(準々決勝)
6月1日(日) 沖縄国際大学グランド
シエスタ読谷 3-2(1-1) FC那覇
海邦銀行SC 4-1(1-0) 沖縄国際大学
シエスタ読谷広報担当です!
シエスタ読谷は、昨日の天皇杯予選で九州リーグに所属するFC那覇と対戦し、3−2で勝利しました。
前半開始10分にエース棚原が脱臼で救急搬送されるも、チーム一丸となって戦い、見事勝利をもぎ取りました!
次戦は、同じく九州リーグの海邦銀行SCとの試合です!
海邦銀行SCも県内屈指の強さを誇る格上のチームなので、エース不在でシエスタ読谷がどこまでやれるか試すことのできるチャンスでもあります!
是非皆さん応援に足を運んでいただければと思います!
■第19回タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会(準々決勝)
6月1日(日) 沖縄国際大学グランド
シエスタ読谷 3-2(1-1) FC那覇
海邦銀行SC 4-1(1-0) 沖縄国際大学
2014年05月31日
天皇杯予選IN沖縄県 2014
ハイサイ!こんばんは!
シエスタ読谷広報担当です!
本日は最近周知していなかったシエスタ読谷の近状について掲載しておきます!
現在、沖縄県では、天皇杯予選が行われておりまして、
その大会に出場しているシエスタ読谷は、
1回戦 VS 糸満SC(0−0PK勝ち)
2回戦 VS 琉球大学(4−2)
っと、苦しみながらもコマを進めております!
明日6/1(日)は、九州リーグに参戦しているFC那覇との試合です!
FC那覇にはシエスタ読谷は1度も勝利しておりません。
相手はシエスタ読谷が苦手とするポゼッションタイプのチームでなので、苦戦が予想されますが、チーム一丸となって挑み、撃破したいと考えます!
どうぞ応援よろしくお願い致します!
でわでわ〜♪
シエスタ読谷広報担当です!
本日は最近周知していなかったシエスタ読谷の近状について掲載しておきます!
現在、沖縄県では、天皇杯予選が行われておりまして、
その大会に出場しているシエスタ読谷は、
1回戦 VS 糸満SC(0−0PK勝ち)
2回戦 VS 琉球大学(4−2)
っと、苦しみながらもコマを進めております!
明日6/1(日)は、九州リーグに参戦しているFC那覇との試合です!
FC那覇にはシエスタ読谷は1度も勝利しておりません。
相手はシエスタ読谷が苦手とするポゼッションタイプのチームでなので、苦戦が予想されますが、チーム一丸となって挑み、撃破したいと考えます!
どうぞ応援よろしくお願い致します!
でわでわ〜♪
2014年05月29日
フロートとは無我の境地のことか!?A
前回のフローについての続きです!
チクセントミハイは、集団が全体として作用して、ひとりひとりのメンバーがフローに達するようないくつかの道筋を示した。このような集団の特徴には、以下のものが含まれる。
創造的空間配置:椅子、コルクボード、図表。机は置かない。そうすれば立って動きながらの活動が主体となる。
活動の場のデザイン:情報を書き込む図表、流れ図、企画の概要、熱狂(ここでは熱狂も場所を占める)、安全な場所(ここでは他に何が考えられるかを誰でも言うことができる)、結果掲示板、オープントピック
並行した、組織だった作業
グループの集中を目標に定める
存在しているもの(原型)の発達
視覚化による効率の増加
参加者の意見の違いはチャンス
この概念は西欧心理学の中ではチクセントミハイによってはじめて示したと言える。しかし、彼はこの心理現象に気づき、それに基づく技術を開発したのは、ほぼ間違いなく彼が最初ではないと、彼自身、躊躇なく認めている。
2500年以上前、仏教や道教といった東洋の精神的な伝統の実践者は、この訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いた。日本の実践者は、そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生け花までを含む、芸術の形式(芸道など)を習得するために学んだ。
あまりに使われすぎた慣用句「ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス」(物と一体化する)も、この概念を説明するのに使われる。
教育にあっては、過剰学習の概念があり、これは、この技術に重要な要素となっているように思われる−少なくとも肉体的な技能を学んでいる場合には。それに加えて、多くの現代のスポーツ選手は、よくこの「ゾーンに入る」(何もかもがうまくいく)という現象を経験する。
基本的な発想が東洋と西洋とで同じであったり自然科学者、霊的指導者、スポーツ選手の間で共有されているということに価値があるわけではない。チクセントミハイは、他の者が精神的な発展や肉体的な熟達や他の自己改善の形式の発展性に集中している一方で、活動の場のデザインのような現代西洋文化要素の改良について、これから結論を描いただけであろう。実際、東洋の精神的な実践者は、現在の科学的な心理学者たちが用いようと試みてきた組織的な厳密さや制御とは異なる方法で試験し改善してきたにしても、この主題を中心にして、非常に徹底的で全人的な理論の集成を発展させてきた。
チクセントミハイは、集団が全体として作用して、ひとりひとりのメンバーがフローに達するようないくつかの道筋を示した。このような集団の特徴には、以下のものが含まれる。
創造的空間配置:椅子、コルクボード、図表。机は置かない。そうすれば立って動きながらの活動が主体となる。
活動の場のデザイン:情報を書き込む図表、流れ図、企画の概要、熱狂(ここでは熱狂も場所を占める)、安全な場所(ここでは他に何が考えられるかを誰でも言うことができる)、結果掲示板、オープントピック
並行した、組織だった作業
グループの集中を目標に定める
存在しているもの(原型)の発達
視覚化による効率の増加
参加者の意見の違いはチャンス
この概念は西欧心理学の中ではチクセントミハイによってはじめて示したと言える。しかし、彼はこの心理現象に気づき、それに基づく技術を開発したのは、ほぼ間違いなく彼が最初ではないと、彼自身、躊躇なく認めている。
2500年以上前、仏教や道教といった東洋の精神的な伝統の実践者は、この訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いた。日本の実践者は、そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生け花までを含む、芸術の形式(芸道など)を習得するために学んだ。
あまりに使われすぎた慣用句「ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス」(物と一体化する)も、この概念を説明するのに使われる。
教育にあっては、過剰学習の概念があり、これは、この技術に重要な要素となっているように思われる−少なくとも肉体的な技能を学んでいる場合には。それに加えて、多くの現代のスポーツ選手は、よくこの「ゾーンに入る」(何もかもがうまくいく)という現象を経験する。
基本的な発想が東洋と西洋とで同じであったり自然科学者、霊的指導者、スポーツ選手の間で共有されているということに価値があるわけではない。チクセントミハイは、他の者が精神的な発展や肉体的な熟達や他の自己改善の形式の発展性に集中している一方で、活動の場のデザインのような現代西洋文化要素の改良について、これから結論を描いただけであろう。実際、東洋の精神的な実践者は、現在の科学的な心理学者たちが用いようと試みてきた組織的な厳密さや制御とは異なる方法で試験し改善してきたにしても、この主題を中心にして、非常に徹底的で全人的な理論の集成を発展させてきた。
2014年05月26日
フローとは無我の境地のことか?サッカーでも使えるかも!
皆さん、フローという言葉を知っていますか?
スポーツ心理学におけるワードででてくるのですが、この境地に入ったことがある人も多くいらっしゃるのではないでしょうか?本日は、この原理について少しご紹介いたします。
フロー (英: Flow) とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。ZONE、ピークエクスペリエンスとも呼ばれる。心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。
チクセントミハイが見たところによれば、明確に列挙することができるフロー体験の構成要素が存在する。彼は8つ挙げている。
1.明確な目的(予想と法則が認識できる)
2.専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
3.自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。
4.時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
5.直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
6.能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
7.状況や活動を自分で制御している感覚。
8.活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。
フローを経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。
フローに入るためのもう一つの重要な条件に、他者に妨害されない環境がある。電話がかかってきたり、だれかが部屋に入ってきたりといったいかなる妨害であっても、おそらくフロー経験から引きずり出され、それに対応するモードに移行してしまうだろう。
フローはチクセントミハイの1975年のインタビューにおいて、幾人かが彼らの「フロー」体験を、ずっと彼らを運んでいる流れという隠喩を使って描写したために名付けられた。「活動に没入する」という「フロー」の心理学的な概念は、「時代の流れに従う」という意味の「ゴー・ウィズ・ザ・フロー」という従来の慣用句とは無関係である。
スポーツ心理学におけるワードででてくるのですが、この境地に入ったことがある人も多くいらっしゃるのではないでしょうか?本日は、この原理について少しご紹介いたします。
フロー (英: Flow) とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。ZONE、ピークエクスペリエンスとも呼ばれる。心理学者のミハイ・チクセントミハイによって提唱され、その概念は、あらゆる分野に渡って広く論及されている。
チクセントミハイが見たところによれば、明確に列挙することができるフロー体験の構成要素が存在する。彼は8つ挙げている。
1.明確な目的(予想と法則が認識できる)
2.専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
3.自己に対する意識の感覚の低下、活動と意識の融合。
4.時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
5.直接的で即座な反応(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
6.能力の水準と難易度とのバランス(活動が易しすぎず、難しすぎない)
7.状況や活動を自分で制御している感覚。
8.活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。
フローを経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。
フローに入るためのもう一つの重要な条件に、他者に妨害されない環境がある。電話がかかってきたり、だれかが部屋に入ってきたりといったいかなる妨害であっても、おそらくフロー経験から引きずり出され、それに対応するモードに移行してしまうだろう。
フローはチクセントミハイの1975年のインタビューにおいて、幾人かが彼らの「フロー」体験を、ずっと彼らを運んでいる流れという隠喩を使って描写したために名付けられた。「活動に没入する」という「フロー」の心理学的な概念は、「時代の流れに従う」という意味の「ゴー・ウィズ・ザ・フロー」という従来の慣用句とは無関係である。
2014年05月24日
我らがFC琉球を徹底解剖!A
2003年 2月
沖縄初のJリーグ参入を目指すサッカークラブとして発足。
500円のTシャツに背番号を付けたユニフォームで沖縄県3部リーグを舞台に活動スタート
【主な大会成績】
第26回 沖縄県社会人サッカー選手権大会 優勝
第39回 九州社会人サッカー選手権大会 Dブロック 準優勝
第8回 タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会兼天皇杯沖縄予選準決勝進出
第32回 OTV杯争奪沖縄県サッカーリーグ3部北 優勝
2004年
沖縄からJリーグチーム誕生を願う3万人の署名を得て、沖縄県サッカー協会社会人連盟の推薦により、沖縄県1部リーグへの特別参入が決定
2月
元日本代表・与那城ジョージ氏が監督就任
4月
バルセロナ五輪代表・藤吉信次選手が入団
地元沖縄出身選手やJリーグ経験者などで構成されチームの戦力が更に充実
【主な大会成績】
第27回 沖縄県社会人サッカー選手権大会 優勝
第9回 タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会兼天皇杯沖縄県予選 優勝
第84回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 3回戦進出
第33回 OTV杯争奪沖縄県サッカーリーグ1部 優勝
第28回 九州各県サッカーリーグ決勝大会 優勝
2005年 1月
九州各県リーグ決勝大会を21得点0失点で圧勝。九州リーグ(KYUリーグ)昇格決定。
4月
九州リーグ(KYUリーグ)開幕。ホーム開幕戦で3,128人(リーグ過去最高)を動員
6月
バルセロナ五輪代表・永井秀樹選手が入団
九州リーグホームゲーム5試合平均4,020人の動員を記録
九州リーグ全18試合14勝(PK勝1含)4敗(PK敗1含)61得点12失点で終了。
リーグ準優勝
12月
第29回全国地域リーグ決勝大会で優勝。2006年度JFLへの昇格が決定。
【主な大会成績】
第10回 タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会兼天皇杯沖縄予選 優勝
第85回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 3回戦進出
第41回 全国社会人サッカー選手権大会 2回戦進出
第33回 九州サッカーリーグ(KYUリーグ) 準優勝
第29回 全国地域リーグ決勝大会 優勝
2006年
沖縄県のクラブとしては初の全国リーグに参戦
年間54,213名の観客動員、1,200名以上のボランティアスタッフがJFL・ホームゲームを支えJFLより『ベストサポーター賞』を受賞
【主な大会成績】
第8回 日本フットボールリーグ(JFL) 14位
第86回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 2回戦進出
2007年 第8回 JFL最優秀監督賞 吉澤英生氏が監督に就任
12月
フィリップ・トルシエ氏が総監督に就任
第9回 日本フットボールリーグ(JFL) 17位
2008年
第10回 日本フットボールリーグ(JFL) 16位
2009年
創立時からFC琉球を支えてきた新里裕之氏が監督就任
第11回 日本フットボールリーグ(JFL)16位
2010年
運営会社が株式会社 沖縄ドリームファクトリーに変わりゼロからのスタート。
8・9月 「沖縄初のJリーグチームを誕生させる会」が発足し、“沖縄県総合運動公園陸上競技場”のJ規格への早期改修工事を求める署名に164,856名の署名が集まり、県総の改修工事が決定され、J参入に大きな一歩となる。
第12回 日本フットボールリーグ(JFL)10位
2011年
元日本代表・我那覇和樹が加入。 J昇格に向け優勝を目指す。
2012年
松田岳夫が監督就任
11,658名が8月4日に県総合運動公園で行われたFC琉球vs藤枝MYFCの「全島サッカー1万人祭り」に来場。
FC琉球クラブ創立10周年で初めて1万人を超える観客動員。
第14回 日本フットボールリーグ(JFL)9位
2013年
薩川了洋が監督就任
9月1日より琉球フットボールクラブ株式会社へ運営を移管
沖縄初のJリーグ参入を目指すサッカークラブとして発足。
500円のTシャツに背番号を付けたユニフォームで沖縄県3部リーグを舞台に活動スタート
【主な大会成績】
第26回 沖縄県社会人サッカー選手権大会 優勝
第39回 九州社会人サッカー選手権大会 Dブロック 準優勝
第8回 タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会兼天皇杯沖縄予選準決勝進出
第32回 OTV杯争奪沖縄県サッカーリーグ3部北 優勝
2004年
沖縄からJリーグチーム誕生を願う3万人の署名を得て、沖縄県サッカー協会社会人連盟の推薦により、沖縄県1部リーグへの特別参入が決定
2月
元日本代表・与那城ジョージ氏が監督就任
4月
バルセロナ五輪代表・藤吉信次選手が入団
地元沖縄出身選手やJリーグ経験者などで構成されチームの戦力が更に充実
【主な大会成績】
第27回 沖縄県社会人サッカー選手権大会 優勝
第9回 タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会兼天皇杯沖縄県予選 優勝
第84回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 3回戦進出
第33回 OTV杯争奪沖縄県サッカーリーグ1部 優勝
第28回 九州各県サッカーリーグ決勝大会 優勝
2005年 1月
九州各県リーグ決勝大会を21得点0失点で圧勝。九州リーグ(KYUリーグ)昇格決定。
4月
九州リーグ(KYUリーグ)開幕。ホーム開幕戦で3,128人(リーグ過去最高)を動員
6月
バルセロナ五輪代表・永井秀樹選手が入団
九州リーグホームゲーム5試合平均4,020人の動員を記録
九州リーグ全18試合14勝(PK勝1含)4敗(PK敗1含)61得点12失点で終了。
リーグ準優勝
12月
第29回全国地域リーグ決勝大会で優勝。2006年度JFLへの昇格が決定。
【主な大会成績】
第10回 タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会兼天皇杯沖縄予選 優勝
第85回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 3回戦進出
第41回 全国社会人サッカー選手権大会 2回戦進出
第33回 九州サッカーリーグ(KYUリーグ) 準優勝
第29回 全国地域リーグ決勝大会 優勝
2006年
沖縄県のクラブとしては初の全国リーグに参戦
年間54,213名の観客動員、1,200名以上のボランティアスタッフがJFL・ホームゲームを支えJFLより『ベストサポーター賞』を受賞
【主な大会成績】
第8回 日本フットボールリーグ(JFL) 14位
第86回 天皇杯全日本サッカー選手権大会 2回戦進出
2007年 第8回 JFL最優秀監督賞 吉澤英生氏が監督に就任
12月
フィリップ・トルシエ氏が総監督に就任
第9回 日本フットボールリーグ(JFL) 17位
2008年
第10回 日本フットボールリーグ(JFL) 16位
2009年
創立時からFC琉球を支えてきた新里裕之氏が監督就任
第11回 日本フットボールリーグ(JFL)16位
2010年
運営会社が株式会社 沖縄ドリームファクトリーに変わりゼロからのスタート。
8・9月 「沖縄初のJリーグチームを誕生させる会」が発足し、“沖縄県総合運動公園陸上競技場”のJ規格への早期改修工事を求める署名に164,856名の署名が集まり、県総の改修工事が決定され、J参入に大きな一歩となる。
第12回 日本フットボールリーグ(JFL)10位
2011年
元日本代表・我那覇和樹が加入。 J昇格に向け優勝を目指す。
2012年
松田岳夫が監督就任
11,658名が8月4日に県総合運動公園で行われたFC琉球vs藤枝MYFCの「全島サッカー1万人祭り」に来場。
FC琉球クラブ創立10周年で初めて1万人を超える観客動員。
第14回 日本フットボールリーグ(JFL)9位
2013年
薩川了洋が監督就任
9月1日より琉球フットボールクラブ株式会社へ運営を移管
2014年05月21日
我らがFC琉球徹底解剖!
我らが沖縄県サッカーの頂点に君臨するFC琉球について、皆さんが以外と知らない部分を紹介します!
「チームカラー」・・・ベンガラ、深みのある暗赤色。伝統ある琉球文化を継承しあつく燃える闘争心を表しています。ベンガラの『赤』は『彩色古墳』など古くから使われその歴史は古く国指定文化財にも指定されている首里城にも『ベンガラ』が使われています。
「エンブレム」・・・《王冠-Crown》王冠はかつて琉球が日本で唯一の王国であったことを象徴しており、5つの線に4つのポイントが記されている。『いつ(五つ)の世(四つ)までも末永く 』という琉球の伝統文化である“みんさー織り”に由来している 《対のシーサー−Lion of pair》対のシーサーは阿吽(あうん)「あ」右、「うん」左の呼吸を意味している。また、開いた口は勝利を呼び込み、閉じた口は勝利を離さないという想いも込められている。 《11本のライン−11lines》11本のラインは戦う11人の集団を表現しています。
@「沖縄県民が夢中になれる夢を創り出します。」
日々の活動を通じて、沖縄県民が夢中になれる具体的な夢や目標を積極的に創り出していきます。「トップチームのJリーグ昇格」「県内初のJリーグが公認する設備を備えたサッカー競技場の建設」「沖縄県内の子供達から世界に通用するプロサッカー選手を輩出する」などといった大きな夢から、日常生活に活力や希望を与えるような小さな目標や夢まで、数多くの夢・目標・希望をスポーツの持つ夢を創り出す力を活用し積極的に創り出して、実行していきます。
A「沖縄県を代表するスポーツコンテンツの創造」
日々の活動を通じ、沖縄県民、特に未来ある県内の子供達からとことん愛され、必要とされるクラブチームを創造し、県民に自信・誇り・希望・活力を提供します。さらに県民の皆さんにとっての最高のスポーツエンターテイメントコンテンツを生み出していきます。
B
「スポーツ文化と観光産業の融合」
日々の活動を通じて、沖縄県の持つ地理的優位性と素晴らしい自然環境を最大限に活用し、日本国内はもとより東アジアの近隣の諸外国の誰もが注目するスポーツ文化を沖縄県内に創り出す事で、沖縄県の新たな観光財源となり、沖縄県内の観光産業の活性化と県内への目的型観光客の新規獲得と増大に寄与する活動を展開します。
C
「沖縄県の宝である自然を守る」
日々の活動を通じ、沖縄県が世界に誇る自然環境を守り、次の世代へ継承して行く為の温暖化防止活動・珊瑚礁保護活動などの環境保護活動全般に対し、自ら率先して取り組みます。
D
「社会福祉活動への積極的参加」
日々の活動を通じ、スポーツが持つ人々を明るくし、人々に元気と活力を与える力を最大限に活用し、県内のボランティア活動や社会福祉活動に積極的に参加・従事し、子供達からお年寄りに至るまで幅広い年齢層の皆さんと直接ふれあう機会を持ち、地域社会への貢献を果たします。
E
「沖縄から世界へ」
日々の活動を通じて、日本の最南端に位置する沖縄県の地理的環境と琉球王朝以来の沖縄に生まれ育つ人々が持つ世界を目指す広い視野を生かし、地域と世界を結ぶ国際交流の機会の創出を図ると共に、沖縄から世界のあらゆる舞台で活躍出来る才能の開花と育成に寄与します。
F
「平和の象徴。それはスポーツ。」
日々の活動を通じて、先の大戦において日本国内で唯一の地上戦が行われ、莫大な被害を受けた経験を持つ沖縄をホームとする我々の使命として、「平和である事の素晴らしさ。」や「戦争の無い未来を次の世代のために築く事の尊さ。」をスポーツ文化の普及活動の中で広く一般にアピールしていきます。
現在はJ3に所属していますが、結果はまちまち!
是非沖縄の代表として、躍進をして欲しいものです!ヾ(*´∀`*)ノ
「チームカラー」・・・ベンガラ、深みのある暗赤色。伝統ある琉球文化を継承しあつく燃える闘争心を表しています。ベンガラの『赤』は『彩色古墳』など古くから使われその歴史は古く国指定文化財にも指定されている首里城にも『ベンガラ』が使われています。
「エンブレム」・・・《王冠-Crown》王冠はかつて琉球が日本で唯一の王国であったことを象徴しており、5つの線に4つのポイントが記されている。『いつ(五つ)の世(四つ)までも末永く 』という琉球の伝統文化である“みんさー織り”に由来している 《対のシーサー−Lion of pair》対のシーサーは阿吽(あうん)「あ」右、「うん」左の呼吸を意味している。また、開いた口は勝利を呼び込み、閉じた口は勝利を離さないという想いも込められている。 《11本のライン−11lines》11本のラインは戦う11人の集団を表現しています。
@「沖縄県民が夢中になれる夢を創り出します。」
日々の活動を通じて、沖縄県民が夢中になれる具体的な夢や目標を積極的に創り出していきます。「トップチームのJリーグ昇格」「県内初のJリーグが公認する設備を備えたサッカー競技場の建設」「沖縄県内の子供達から世界に通用するプロサッカー選手を輩出する」などといった大きな夢から、日常生活に活力や希望を与えるような小さな目標や夢まで、数多くの夢・目標・希望をスポーツの持つ夢を創り出す力を活用し積極的に創り出して、実行していきます。
A「沖縄県を代表するスポーツコンテンツの創造」
日々の活動を通じ、沖縄県民、特に未来ある県内の子供達からとことん愛され、必要とされるクラブチームを創造し、県民に自信・誇り・希望・活力を提供します。さらに県民の皆さんにとっての最高のスポーツエンターテイメントコンテンツを生み出していきます。
B
「スポーツ文化と観光産業の融合」
日々の活動を通じて、沖縄県の持つ地理的優位性と素晴らしい自然環境を最大限に活用し、日本国内はもとより東アジアの近隣の諸外国の誰もが注目するスポーツ文化を沖縄県内に創り出す事で、沖縄県の新たな観光財源となり、沖縄県内の観光産業の活性化と県内への目的型観光客の新規獲得と増大に寄与する活動を展開します。
C
「沖縄県の宝である自然を守る」
日々の活動を通じ、沖縄県が世界に誇る自然環境を守り、次の世代へ継承して行く為の温暖化防止活動・珊瑚礁保護活動などの環境保護活動全般に対し、自ら率先して取り組みます。
D
「社会福祉活動への積極的参加」
日々の活動を通じ、スポーツが持つ人々を明るくし、人々に元気と活力を与える力を最大限に活用し、県内のボランティア活動や社会福祉活動に積極的に参加・従事し、子供達からお年寄りに至るまで幅広い年齢層の皆さんと直接ふれあう機会を持ち、地域社会への貢献を果たします。
E
「沖縄から世界へ」
日々の活動を通じて、日本の最南端に位置する沖縄県の地理的環境と琉球王朝以来の沖縄に生まれ育つ人々が持つ世界を目指す広い視野を生かし、地域と世界を結ぶ国際交流の機会の創出を図ると共に、沖縄から世界のあらゆる舞台で活躍出来る才能の開花と育成に寄与します。
F
「平和の象徴。それはスポーツ。」
日々の活動を通じて、先の大戦において日本国内で唯一の地上戦が行われ、莫大な被害を受けた経験を持つ沖縄をホームとする我々の使命として、「平和である事の素晴らしさ。」や「戦争の無い未来を次の世代のために築く事の尊さ。」をスポーツ文化の普及活動の中で広く一般にアピールしていきます。
現在はJ3に所属していますが、結果はまちまち!
是非沖縄の代表として、躍進をして欲しいものです!ヾ(*´∀`*)ノ