「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」と言う言葉がありますよね。
人が「人間の否定」を実行する様な場面を私たちは日々、様々なメディアで報らされる。
これをよく知ろうとせずに黙っている事は、否でもその惨事に暗黙に加担する事を意味する。
かと言って、問題は余りに複雑で、直ぐに知る事の限界に突き当たる。
人間、目の前で起こっている事には関心を向けます。
銃に狙われている人が目の前にいれば、「こっちへ逃げて来い」と言うだろうし、知らない子でも溺れていたら、助けようと水に飛び込むじゃないですか。
それと同じ事が「此処」からはできない。
人は「人」として担い切れない様な課題を抱え込んでしまう、そう言うやり切れなさに、現代人は晒されてきたのです。
それに「関心を持て」と私たちに迫ってくるものに対し、此方の想像力がとても追い付かない、そんな不均衡と言い直す事もできるでしょう。
自分たちが見ている世界のその地平の向こうにある物、現在の自分には未だよく見えていない物に如何想像を馳せると言うか、絞って絞って絞り出すのが、今、決定的に重要な事だと思います。
でも人の常として、実際には自分に見えている物を補強する情報ばかりを選択してしまう。
それどころか今は SNS 何かで、発信もしてしまう訳ですから。
鷲田 清一 哲学者
愛媛新聞 稜線の思考から
私たちは「壁」を作るらしい。
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