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2013年01月23日

a級コメント 中國考察 3度目は許されず(

                     2013年1月23日水曜日
中国考察 中国近代化の日本による中断
中国は日本に戦争を仕掛けないよう、いっているのだな??
日本は日本の国土をま守るだけだ。
軍事的、挑発、威嚇はやめるんだな????
中国という国はいまでも存在していないだろう。愚かな報道だよ!!


 中国近代化の日本による中断, 3度目は許されず(1)=中国報道
Y! 【政治ニュース】 2013/01/23(水) 12:39

中国社会科学院近代史研究所の馬勇研究員はこのほど、中国近代化は日本によって
2度も中断されてきたと主張し、3度目は決して許されないと主張した。
中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。以下は同記事より。
**********

日本は近代以降、中国の発展にとって常に天敵だった。
中国は過去に2度、重要な成長のチャンスがあったが、いずれも日本により中断された。
現在、中国は3度目の近代化の道程に入り、34年の改革開放を経て、再び重要な時期を
迎えている。今回の近代化もまた日本に阻止される可能性はあるだろうか?

1861年、中国は2度のアヘン戦争を経験してようやく目覚め、西側に学び始めた。
「洋務新政」や「同光中興」と呼ばれる。その後数十年で中国の経済構造は大きく変化。
近代的な工業基盤が徐々に整い、新興資産階級が緩やかに成長し、中国の政治構造、
特に法律や制度に変化が現れ、世界に歩み寄った。
まったく新しい中国が期待され、世界各国が平等な立場で中国に接する日もそう遠くは
なかった。

中国は自らのルールに基づき事を進めていたが、上流階級や軍部のタカ派は敵を軽んじ、
洋務運動33年の時、既定の政策が変更され、日清戦争が日本との間で起こった。
たった数カ月で清軍の原形があらわになり、「同光中興」神話が跡形もなく消えた。

中国は再び三十数年の動乱を経験し、1928年にようやく統一を果たし、新たな近代化が
開始された。1928年から1937年の10年は中国の資本主義発展の「黄金期」といわれる。
中国の近代化はこの間に飛躍的に推進された。この10年がなければ、
中国は日本と戦う底力も、世界の反ファシズム統一戦線の形成まで持ちこたえることも
できなかっただろう。

日清戦争と違い、抗日戦争は避けられなかったと中国人学者の多くが指摘する。
いずれにせよ、日本が中国の近代化を中断したのは抗日戦争が2度目で、
中国の資本主義の「黄金期」が突然終止符を打ったのだ。

(つづく)(編集担当:米原裕子)

そして今、中国は再び歴史的発展の重要な時期を迎えている。
改革開放34年で中国は底力をつけた。
今やわれわれはあの貧しく弱い年代から遠くかけ離れたが、日本が過去に2度も中国の
近代化の夢を打ち砕いたことは決して忘れてはならない教訓だ。

現在、日本が尖閣諸島(中国名:釣魚島)問題をめぐって中国を挑発する大きな理由は、
中国であと20年も平和が続けば、問題が日本の思い通りに解決できなくなると思っている
ためだ。

そのとき日本は国内総生産(GDP)で中国に及ばないばかりか、中国が全面的に
発展すれば、1世紀以上も維持してきた中国に対する優越感を失ってしまうだろう。
しかし、尖閣諸島をめぐって戦争状態に突入すれば、仮に中国が戦争に勝ったとしても、
第3次近代化の道程は中断される。

そうなれば中国社会に存在する問題は解決の時機を失してしまうだろう。
中国は米国が焦点をほかに移するのを待つのではなく、自らが創造するしかないのだ。

(完結)(編集担当:米原裕子)
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