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2017年10月22日

「三田渡の恥辱」に学ばない韓国政界〜〜

碑文の大意 大清皇帝功徳碑文
愚かな朝鮮王は、偉大な清国皇帝に逆らった。
清国皇帝は愚かな朝鮮王をたしなめ、己の大罪を諭してやった。
良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の
臣下になることを誓った。
我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。


やっぱりこんな碑文があれば王室も国民も「卑屈」になるわな
あの独立門をここに立てればよかったのでは・・・・


【コラム】「三田渡の恥辱」に学ばない韓国政界

「三田渡の恥辱」は380年も昔の事件だが、これは今もなお韓国人の
プライドを大きく傷つけている。
秋夕(中秋節、今年は10月4日)連休の間に
丙子の乱(1636−39年、清が朝鮮を制圧した戦争)を題材とした
映画『南漢山城』の観客動員数が最も多かったのもそのためだ。
非常に高い壇上に座った清の皇帝ホンタイジの前で、3回膝を突き
9回頭を地面に付けさせられ、額に土が付いた仁祖の姿に観客は
悲哀を感じたことだろう。

東アジアの覇権をめぐる争いが激しくなり、満州族が建てた
新興国の清が明を圧迫していた激動の時代、そのはざまに
立たされた朝鮮が多くの困難に直面したのは歴史的事実だ。しかし
このような歴史的体験を絶対視することが本当に必要か疑問に
感じる。
結果的に行き過ぎた自己卑下や敵対心ばかりを呼び起こし、
失敗から学ぶ機会を失いかねないからだ。また「皇帝の国」を
名乗ってきた中国の歴史を振り返っても、
「三田渡の恥辱」以上にひどい恥辱の歴史はいくらでもある。
例えば4世紀に西晋の3代皇帝・懐帝が匈奴に首都の洛陽を
包囲され、直後に処刑された「永嘉の乱」、あるいは1449年に明の
正統帝がモンゴル軍の捕虜となった「土木の変」などは
まさにそうだ。

中国・宋の時代、1127年に起こった「靖康の変」も
三田渡の恥辱以上の大事件だった。
女真族が建てた金の軍隊に押された宋の徽宗は息子の欽宗に
譲位して金の歓心を買おうとしたが、それでも破滅を防ぐことは
できなかった。
首都の開封は城門を開き、降伏した徽宗と欽宗は平民とされ、
1万5000人以上の女官、画家、音楽家らと共に北の金に連行された。
牛車に引かれて黒竜江省の北の奥地に連れられた欽宗と徽宗は金の
太祖の前で礼を強要され、徽宗は昏徳公(仁徳がない)、欽宗は
重昏侯(ばか)という屈辱的な別名で呼ばれた。
徽宗と欽宗と共に連れられた数万人の捕虜は再び故郷に帰ることが
できないままこの世を去った。

明清交代期のはざまで朝鮮は戦争すべきだったか、あるいは
講和すべきだったかは今も論争が絶えない。朝鮮に
新しい帝国・清の侵略を防ぐ力はなく、明と清のどちらかに付いて
形勢を左右することもできなかった。
光海君は双方の間で中立を守ったが、後に後金のヌルハチが力を
つけたため、朝鮮の軍事力で形勢を左右することは
一層できなくなった。後にホンタイジが1636年に清帝国を宣布し
皇帝になると、20年前の光海君の時代とはさらに
情勢が大きく変わってしまった。

当時の一連の出来事の中で特に注目すべき点は何か。
ソウル大学のハン・ミョンギ教授は歴史評説『丙子胡乱』
(丙子の乱の韓国での呼び名)の中で、仁祖は自らの即位を
後押しした功臣を重用したが、彼らは戦争への備えには無能で、
また口では国防や庶民生活を重視したが、実際は真剣に
取り組まなかった点などを指摘している。
これについてハン教授は「政権の安保には力を入れたが、
国の安保は軽視した」と説明する。
仁祖は王位に就いた直後、明からの使臣に「(1619年に)明の
後金討伐軍が後金に大敗したサルフの戦いの際、光海君は朝鮮軍に
後金への降伏を指示したため、明の後金討伐が失敗に終わった」と
指摘した。
前政権の「積弊」を責め立てることで自分たちの正当性を強調し、
明から認められようとしたのだ。

与野党の政治家たちが映画『南漢山城』を見た際、それぞれの
政治的立場から違った評価を下したとの話に記者はがっかりした。
与党側は丙子の乱を招いた原因として「外交力不足」を上げ、
北朝鮮の核問題にも外交的解決の必要性を強調した。これに対して
野党側は「王の無能」が理由だったとして、現政権における
安全保障政策の無策を批判した。
一方で映画の中では講和派の崔鳴吉(チェ・ミョンギル)と
主戦派の金尚憲(キム・サンホン)は考え方は違ったが、国を思う
情熱だけは互いに理解し合う間柄として描かれていた。
ところが今の政界では相手をひたすら「積弊」とレッテル貼りし、
相手への批判を強めるばかりだ。三田渡の恥辱とそれによる
「積弊の精算」という破局を目の当たりにしながら、何も
学べない彼らの姿を見ると一層不安に感じてしまう。

文化部=金基哲(キム・ギチョル)部長
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 15:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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