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2016年11月07日

詭弁を弄した虚構の主張

まァね、今頃こんな事を云ってもね、日本の当時を生きて居た日本人は
百姓でも、帝政ロシアと中華大陸と、共産主義ソ連とは戦わなければと
おもっていたよ〜〜〜
10年も前からと云っても日本人ならば皆判っていた事、だがこれで
臨時政府の実状がバレバレでは、首都は中華の上海とか、国の体を
成していない政府など世界のどこの国も承認しないわ〜〜な〜〜ww ww


日中戦争勃発を10年前から見抜いていた金奎植

「こうした事実(1894年の日清戦争、1904年の日露戦争)は、朝鮮が
極東問題の鍵であるということを示す。故に、朝鮮に関する問題が適切に
解決されないかぎり、ロシア・中国・日本が連関する極東全体が混乱に
陥ることになるだろう」

これは、大韓民国臨時政府副主席を務めた
尤史・金奎植(キム・ギュシク)=1881−1950=が、1922年7月に
英国共産党の雑誌『コミュニストレビュー』に寄稿した
論文「アジアの革命運動と帝国主義」の一節だ。この論文は、
尤史が朝鮮独立の正当性を力説するため、
22年にソ連のモスクワ極東人民会議に出席した際に発表された。

尤史はこの論文で「究極的な戦いは中国と日本の間に存在し、これは
真の闘争(real struggle)になるだろう。日本は、
中国が武器を持てなくなるまで、中国を刺激し続けるだろう」と予見した。
この論文を翻訳した沈之淵(シム・ジヨン)慶南大学名誉教授は
「日本が31年に満州事変を起こし、続いて37年に日中戦争を起こしたことを
想起すると、10年早い尤史の先見の明には驚く」と語った。

沈之淵教授は、この論文をはじめ尤史のエッセーや未公開の手紙など
英文資料を翻訳し、最近『尤史・金奎植英文資料集』(尤史金奎植研究会)を出版した。
尤史金奎植研究会(キム・ジェギョン会長)の研究委員を務める
沈之淵教授が2013年に金奎植の母校、米国ロアノーク大学の図書館で
見つけ出した資料だ。

この資料集には、金奎植が米国ロアノーク大学に留学していた1900年、
校内誌に発表したエッセーから、48年に米国留学時代の同僚へ書き送った
手紙まで、英文で作成された資料の原文および訳文が収録されている。
尤史が48年11月に米国留学時代の友人、ソレル氏に送った手紙には
「私は今、政治を離れて余生を静かに送ろうと思っているが、この計画が
きちんと実現することはなさそうだ」と心境を伝える文章がつづられている。
尤史は46年から48年までの軍政時代、過渡立法議院において議長を務めた。
その後48年4月、南北連席会議に出席するため北を訪れたが、交渉は失敗に
終わった。

沈之淵教授は「尤史が1919年、臨時政府代表の資格でパリ講和会議に
参加するためフランスに滞在していた際にフランス語で発表した文や、
45年に帰国した後、韓国語で作成した文も集めて、それぞれ資料集としてまとめる計画」と語った。

キム・ソンヒョン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 15:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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