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2016年06月21日

朝鮮戦争は忘却の彼方・・・・・・

まあ、出てくるわな、こんな記事、然し、韓国人にとって朝鮮戦争はもう歴史の
一ページか〜〜〜  まあそうだろうよ
南鮮と北鮮は休戦状態であってまだ戦争中だ、云う事は忘却のかなた〜〜か


【コラム】自己憐憫を乗り越えて忘却と戦う記憶の戦士たち

1カ月ほど前に出たユ・ジョンホ氏(元延世大学特任教授)の『回想記』を
一気に読み上げた。
今や歴史の教科書にわずか数行しか書かれていない6・25戦争(朝鮮戦争)に
ついて、これをつい昨日のことのように生々しく描くことのできる
その記憶力には驚嘆するしかない。
また寧仁文学館の館長を務める姜仁淑(カン・インスク)氏が同じ頃に出した
『ソウル、解放空間の風物詩』も読んだ。
6・25当時咸鏡北道出身の一人の少女が避難民としてソウルで体験した
エピソードをつづったものだ。
昨年1400万人以上の観客を集めた映画『国際市場』の
知識人バージョンのようなものだろう。

当時15歳だった少年ユ・ジョンホが6・25を知り、体験したのは出身地の
忠清北道忠州だった。彼は当時、
朝鮮人民軍に占領された町中や郊外の様子を目の当たりにしたわけだが、
その中で特に忘れられないことがあるという。
それは通りを歩く通行人の服装が全体的にみすぼらしくなったことだ。
歴史学者でソウル大学教授だった故・金聖七(キム・ソンチル)氏も著書
『歴史の前で』で同じようなことを書いている。当時
ソウル大学で教壇に立っていた金聖七氏は逃げ遅れて漢江を渡ることができず、
朝鮮人民軍が支配するソウルを実際に体験した。
金聖七氏は当時のソウル市内の様子について
「スーツを着てフェルトハットを着用していたのは私だけで、周りはみんな
みすぼらしい労働者用のズボンに上はシャツだけ、頭は無帽でなければ
麦わら帽子をかぶっていた」と書き残している。
このように誰もが目立たないようにすることこそ、支配者が変わった社会で
生き残るために必要な処世術だったのだ。

ユ・ジョンホ氏の話に戻ろう。
ユ氏の回想は、一時的な共産治下でやむなく人民軍に従った「附逆者」の処理に
関する話で最高潮を迎える。
教師だったユ氏の父も逃げ遅れたことが災いしやむなく人民軍に従った。
附逆者たちは後に北朝鮮が退却すると、戻ってきたかつての仲間や国から激しく
責め立てられた。
ユ氏の周りでも同じことが起こった。国連軍がこの地域を奪還した直後、南に
避難して戻ってきたある教師がある席で
「たった3カ月間我慢できず共産主義者たちに従ったのか。
3年でもなく3カ月だぞ」と怒鳴った。
その指摘に元附逆者たちは何も言い返せなかったという。これに対してユ氏は
「敵が支配する地域で必死に生き残った仲間たちに言うべきことではない」と
非難する。しかし
当時の李承晩(イ・スンマン)政権や国民の考え方はこの怒鳴った教師の
言い分と同じだった。
ユ氏は右派の知識人としてどちらかといえば常に政権側だが、それでもこの
附逆者問題についてだけは政府の対応を批判する。ユ氏は
「自分から積極的に共産主義者に従った者は別だが」としながらも
「政府は附逆者を処罰するのではなく、むしろ国民を守れなかったことを謝罪し、敵の支配下で苦労を味わった国民を慰めて彼らを赦免すべきだった」と指摘する。全国の附逆者たちの多くは後に死刑や無期懲役など厳しい処罰を受けている。


一方の姜仁淑氏の回想は「われわれの10代は非常時の連続だった」で始まる。
第2次大戦、日本の植民地支配からの解放、6・25など歴史の大事件全てを10代の
若さで味わったのだから、この言葉には重みがある。
1945年11月、当時わずか13歳の少女が汽車の屋根につかまり、寝たら汽車から
転げ落ちるような状況を必死に耐えて南に向かった。別のところでは江原道の漢灘江にかかる鉄橋を一人歩いて渡るといった映画のような話も出てくる。当時、
常に持ち歩きながら寒さから守ってくれた布団はぶどうの絵柄が描かれて
いたそうだ。
この布団はそれから5年後の6・25や1・4後退(1951年1月、中国軍が朝鮮戦争に
参戦し国連軍は再び南下を強いられた)の時も家族を守ってくれたが、当然
最後はぼろきれになり、自分と同じく「正気を失った女」のようになって
しまったという。故郷を離れ、新しい土地にやっと根付こうとした時に
再び別の戦争が起こり、5年ぶりにまた汽車の屋根につかまって逃げ回る
避難民家族。今の時代、戦争といえばどうも抽象的な話に陥りやすいが、
そのような中でこの回想録の言葉は、どれも戦争の実情をわれわれに
現実感を持って伝えてくれている。

ユ教授は言う。自分の世代、あるいは自分の生きる時代が最も不幸と感じるのはどの世代でも同じだ。しかし同時に誰もがこのような「自分への哀れみ」、
いわば自己憐憫(れんびん)を乗り越えなければならない。
80歳を超えた人生の二人の大先輩の回想録は、どの世代も同じように持つこの
自己憐憫を乗り越え、記憶を共有するための努力の結実だ。
過去を直視もしないで軽々しく敵と味方を分ける現代史研究者が数多くいる
一方で、二人はその何十倍も価値ある素晴らしい記憶の戦士だ。
心から敬意を表したい。

文化部=金基哲(キム・ギチョル)部長

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 18:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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