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2016年06月21日

今日の歴史、「息を吐く様に嘘をつく韓国・朝鮮人」の実例

まあ、これは「息を吐くように嘘をつく韓国・朝鮮人」の事例、今の韓国人は
自分たちで作り上げた歴史に副わなければ反論、もしくは無視だろう〜?
この今日の歴史でも豊臣秀吉が半島攻めを行ったがこの戦いでも李朝はよく
戦っているではないか、まあ大半は戦死しているが、戦死と云うことはよく
奮戦した云う事、恥ずべき事ではない。


1593年(文禄2年5月22日) - 文禄の役:第二次晋州城の戦いが始まる

今日の歴史(6月21日)
2016/06/21 00:00文字拡大 文字縮小 印刷 twitter facebook

1904年:漢城(ソウル)に公衆トイレが初登場
1947年:国際オリンピック委員会(IOC)が韓国の加盟を承認
1955年:北朝鮮空軍の軍人2人が韓国に亡命、ミグ18機で
ソウル・汝矣島空港到着
1962年:大韓貿易振興公社(現・大韓貿易投資振興公社=KOTRA)発足
1972年:朝鮮戦争参戦以降、韓国に駐留していたタイ軍の撤退完了
1980年:軍が忠清南道の瑞山沖で北朝鮮の工作船を撃沈し8人射殺、1人拘束
1989年:国連教育科学文化機関(ユネスコ)が韓国政府の提案で
世界各国の非識字者撲滅功労者を表彰する「世宗大王賞」を創設
2005年:第15回南北閣僚級会談をソウルで開催
2007年:南北間の送電線を59年ぶりに接続
2014年:江原道高城郡にある南北軍事境界線近くの陸軍部隊で兵士が同僚に
      銃を乱射するなどして5人を殺害し、7人を負傷させる事件発生

【寄稿】過剰な民族主義で生徒にうそを教える韓国史教科書
行き過ぎた民族主義に染まり証拠を無視する古代史
現代史では問題がさらに深刻、
極度に閉鎖的な認識や古い解釈の教科書で生徒を指導


ここ数年、韓国史研究者の間では、いわゆる民間の歴史研究家によるとっぴな
古代史解釈を「似非(エセ)歴史学」などと激しく非難する声が上がっている。
行き過ぎた民族主義にとらわれ、明確な文献的、考古学的証拠や事実を無視する
彼らの主張に対し、最近になって批判の声が上がり始めたのはある意味当然の
ことだ。ところが
この種の問題は現代史の方がもっと深刻だ。実は大学などの歴史研究者や
学界関係者も行き過ぎた民族至上主義や左派修正主義にとらわれており、民間の
歴史研究家による古代史解釈に劣らず、あるいはそれ以上に深刻な
歪曲(わいきょく)を行っているのだ。

歴史教科書における歪曲は以前から深刻で、しかも長く修正されなかったため、
この問題は以前からずっと韓国社会を混乱に陥れてきた。
具体的な項目も非常に多いが、今回は世界史と韓国現代史を関連づける
重要なテーマ
「旧ソ連(ロシア)体制の本質と役割」について取り上げたいと思う。

現状の韓国史教科書はその多くがソ連について
「第2次大戦の最大の被害国であると同時に、連合軍が勝利を収めるに当たり
最大の貢献をした」と評価し、東アジアや韓半島(朝鮮半島)における
「解放軍」のように描いている。しかも
このような見方は今なお一種の聖域となったままだ。もちろん
ソ連が第2次大戦で最大の被害を受け、また連合国の勝利に大きな貢献したのは
決して間違いではない。しかし
これはナチスのヒトラーが不可侵条約を破ってソ連に侵攻した後のことだ。

教科書ではそれ以前の一連の出来事についての記述はないが、実は当時は
教科書の内容とは全く異なった歴史が繰り広げられていた。この頃
共産主義の拡散に力を入れていたソ連とスターリンは、第2次大戦直前に
ナチス・ドイツと悪魔的な取引を行った。それがすなわち1939年8月に
締結された独ソ不可侵条約(モロトフ=リッペントロップ条約)だが、問題は
この条約締結の際に交わされた密約で、それにはドイツがポーランドの西側を
所有し、ソ連が東側とルーマニアのベッサラビアなどを取ることが
取り決められた。その後、
1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻して第2次大戦は始まったが、
教科書では直後にソ連もポーランドに侵攻していた事実が記載されていない。
さらに驚くべきことに、欧州各国の共産党はソ連の指示を受け、
ナチス・ドイツを支援し始めた。つまり
ソ連は第2次対戦勃発の明らかな共犯だったのだ。

それだけではない。

ポーランド東部を確保したソ連はポーランド独立の基盤を完全に奪うため、
ポーランドの知識人や軍の将校、官吏、聖職者など2万2000人をロシアに連行し
銃殺した。これはカティンの森事件と呼ばれており、人類歴史上最悪の蛮行の
一つとされている。ソ連は一連の事実を否定してきたが、スターリンが
秘密警察に虐殺を指示した内容を記した極秘文書が1989年に公開され、90年には
当時のゴルバチョフ大統領が勇気を持ってこの事実を認めたことで、
世界中に知られるようになった。

東アジアの状況はどうだったか。独ソ不可侵条約によりソ連は日本とも
同じような妥協策を取った。
1941年4月に日本と中立条約を締結し、日本がアジア太平洋を思う存分
侵略できるようにしたのだ。同年6月22日にヒトラーがソ連に侵攻すると、
ソ連はやむなく連合国と協力せざるを得ない状況に追い込まれた。しかし
アジア太平洋で日本が12月7日に真珠湾攻撃を行い、米国など連合国が日本と
戦争状態に入った中でも、ソ連は日本と密約を結んでいた。
戦争に必要な物資を日本にひそかに輸出し利益を得ていたのだ。
45年8月6日に米国が広島に原子爆弾を投下し、太平洋戦争の勝敗がほぼ決すると、ソ連はそれから2日後の8日に日本に宣戦布告し、翌日には軍事攻撃を開始。
直後に韓半島北部に進駐すると、ソ連の軍服に大尉の階級章を付けた
金日成(キム・イルソン)とその一派を平壌に連れてきた。
もちろん将来の手下として使う目的だった。

ところが韓国の歴史教科書はこれらの歴史的事実にほぼ、あるいは全く言及せず
「ソ連=第2次大戦における最大の貢献者」「ソ連軍=解放軍」などとする
虚偽の考え方にとらわれ、うそを生徒たちに教えてきた。
後に東欧諸国で
共産主義体制が崩壊して冷戦が終息し、未公開の文書や事実が次々と公表され、
ロシアもそれらを認めたことで現代史解釈は新たな次元に入った。ところが
不幸にも韓国の歴史研究者たちは極度に閉鎖的な思考や認識にとらわれ、
これらの歴史的事実を受け入れないだけでなく、逆にかつての古い歴史観に
一層とらわれている。

これらは韓国史をはじめとする歴史教科書が持つさまざまな問題の一つの側面に
すぎない。
これでは果たして歴史学界による現代史の見方と、民間の歴史家による古代史と
どちらの方がエセ歴史学だろうか。
「歴史学界の方がまだまし」とは決して言えないのではないか。今後
政治家たちが教科書問題について何か言いたくなれば、まずはこれらの問題を
明確に認識し行動するのが基本的な道理であり順序ではないだろうか。

姜圭炯(カン・ギュヒョン)明知大学教授(現代史)
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 07:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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