アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2016年06月17日

今日の歴史、韓国、李朝・対馬を侵略

今日の6月17日は韓国・聯合ニュースにおいて「今日の歴史欄」が無く、何も
無かったかと云うとそうでもない。
大きな歴史的事実が存在している、俗にいう応永の外寇といわれるもの、つまり
李氏朝鮮が日本の対馬を襲った。
「下記」の記事はhttp://take8592goole.wiki.fc2.com/wiki/%E5%BF%9C%E6%B0%B8%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%AF%87%EF%BC%88%E4%B8%89%E6%97%A5%E6%9C%88%E5%9F%8E%E9%80%9A%E4%BF%A1%EF%BC%89?pc  から引用したもの
追記すれば、この戦役の和平交渉家、何かで李氏朝鮮は、日本の対馬藩に、
年貢として「米」を納める事になったらしく、其れが日本の明治政府によって
中断、つまり400年間李氏朝鮮は日本の小藩に年貢をおさめていたわけだ。
この李朝が対馬を襲った事は韓国では輝かしい勝利の歴史らしく、映画にも
なっているが、これがまた笑える映画で、1419年、鉄砲、大砲はおろか
船に大砲を積んで艦砲射撃までするおもろい映画があったけど〜〜〜


応永の外寇(1419年6月17日〜7月3日 旧暦)↑

応永の外寇は、李氏朝鮮によって行われた、対馬への侵略戦争である。
対馬では前の島主が亡くなり、若い島主が立ったために倭寇の取り締まりが
緩んでいた。また、
1408年に足利義満が亡くなっているため北九州の勢力関係もかなり
不安定であったと思われる。従って
倭寇の取り締まりは思うようにいかなかったと思われる。
李氏朝鮮の上王太宗が倭寇退治を理由に対馬へ侵略したのがこの外寇である。

しかしながら朝鮮の倭寇の実体はこのようなモノである。

「臣聞前朝之季, 倭寇興行, 民不聊生, 然其間倭人不過一二, 而本國之民,
假著倭服, 成黨作亂, 是亦鑑也。」(『世宗実録』世宗28年10月28日。)

適当に訳した奴。
「高麗末期に倭寇が横行して民が苦しめられたが、その中で倭人(日本人)は
たった、1,2にすぎず、本国の民(朝鮮人)ばかりである。
仮の倭(日本の)服を着て、党をなして、乱を起こした。
これもまた鑑みてください。」

当然ながら世宗28年は応永の外寇より後の時代である。

なお、朝鮮王朝実録では、倭人と日本人を明確に区別して書いている。
(罵倒するときは倭奴になる)実は、朝鮮王朝実録に出てくる倭人という存在は
日本人では無いのだ。
朝鮮人・中国人・日本人などを含めた沿岸を周辺に荒らし回る海賊と言う意味で
使われている事が多い様である。
逆に北方に現れていた野族・馬賊に関しては野人と書き記している。

要するに倭寇と呼んでいるものの正体は、「火賊」の一種の様である。
朝鮮の火賊の横行までも対馬の責任にするのであるから李氏朝鮮も
酷いものである。

6/20に対馬の浅茅湾付近に上陸、近くの民家に放火、虐殺。この辺は倭寇の
基地があったと言われているがよく分からない。


奴隷(おそらく朝鮮人)21人と中国人131人を捕獲。と書いてある。
中国人が131人も居る時点で倭寇の実体が分かるかと思います。

6/26 仁位郡で対馬軍の伏兵に会い大敗。

6/29 降伏勧告をするが、暴雨風の季節だと言われて慌てて帰還する。

7/3 黄海道周辺倭寇が出現。李從茂、巨済島へ帰還。

7/4 倭寇が忠清道から全羅道を荒らし回る。
(結局、対馬まで何しに行ったのだ・・・。)

7/7 李從茂、ソウルへ帰還。

その後も再三対馬再侵略の上奏があるが、上王は許可せず。

なお、1419年とは、
応永26年 室町時代。称光天皇。将軍:第四代足利義持。
応永年間に起きた外国からの侵略なので、応永の外寇と呼ぶ。

室町幕府の政権基盤は常に不安定であったため
(特に九州・関東は半独立地域だった)、この時代も不安定。

李氏朝鮮は四代王の世宗元年
(元年と言うと1年目かと思うが実は即位2年目である。)
但し上王太宗(世宗の父三代王)が摂政を行っており、軍権を握っていた。
この時代の世宗に決定権は無い。

世宗実録による李氏朝鮮側の戦力。
将軍:李從茂
兵船:227隻。京畿道から10隻、忠清道から32隻、全羅道から59隻、
慶尚道から126隻、
将兵:17,285、諸将・官人及び従人669、諸兵16,616。
兵糧は65日分用意。

戦果:
民家に放火:2017(1939+68)
首級:123(114+9 日本側の記録では104)
焼いた船:144隻(129+15)
拿捕した船:20隻
捕虜:中国人と朝鮮人が179(21+131+15+8)

被害:
戦死者:180以上
負傷者:2500以上
黄海道から全羅道にかけて倭寇30隻に荒らされる。

対馬側の戦力は不明。
島主:宗貞盛
対馬の実質石高2万、17世紀末の人口が3万2000人前後と言う事を考えると
最大動員兵力は多く見積もって3000。全兵力を投入した痕跡が見えないので
500-1000の間と推定。

要するに1/20の兵力に朝鮮側が大敗しただけの戦いですね。

戦略的不備も多い。
7/3-4に倭寇に荒らされていると言う記述があることから李氏朝鮮側は制海権を
全く握っていない。
つまり持久戦になったら持ちこたえられない。
朝鮮中の船をかき集め65日分の糧食を持っていた事から補給線を確保する事も
考えていない。

要するに停泊中の船を背後から襲われたら帰る手段も食料も失う。

朝鮮側の作戦は不備だらけである。対馬側が手加減していたとしか思えない
弱さである。
(対馬は日朝貿易で生計を立てているので朝鮮軍を壊滅させると言う事は
出来ないんですよね。)

中華は自分たちは好き勝手やって、日本には自重しろとは〜〜
米軍空母から目視の位置まで接近とか・・、ビデオで撮影か〜〜  wara


中国軍艦が沖縄・北大東島の接続水域に侵入 
15日の鹿児島・口永良部島の領海侵入に続き


中国海軍のドンディアオ級情報収集艦
(防衛省提供、今回撮影されたものではありません)

防衛省は16日、中国海軍のドンディアオ級情報収集艦1隻が沖縄県の
北大東島周辺の接続水域に侵入したことを確認したと発表した。これを受け、
外務省の金杉憲治アジア大洋州局長が劉少賓駐日中国公使に対し懸念を伝達した。防衛省は情報収集と警戒監視を続けている。

防衛省によると、中国の情報収集艦は16日午後3時5分ごろ、沖縄県の
北大東島の北から接続水域に入り、約55分後の4時ごろに北北西から
離れたという。
沖縄周辺海域で実施中の日米印海上共同訓練「マラバール」に参加していた
3カ国の艦隊を追跡する形で航行した。
海上自衛隊の護衛艦「ひゅうが」が確認した。
海上警備行動は発令されなかった。

防衛省幹部は「中国は日米印の一連の共同訓練を継続的に情報収集している
可能性が高い。特異な航行だ」と警戒感を示した。

中国海軍は9日未明、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の久場島と大正島の間を
北上するロシア艦隊の動きにあわせるように、ジャンカイI級フリゲート艦を
接続水域に侵入させた。また、
15日未明にも今回と同一の情報収集艦1隻が、インド艦艇2隻を追尾する形で
鹿児島県の口永良部島付近の領海に侵入している。

中谷元(げん)防衛相は記者団に「引き続きわが国周辺海域の警戒監視活動に
万全を期す」と強調。
「中国側には再三、懸念を申し入れている。
事態をエスカレートさせることがないよう、しっかりとした対応を望んでいる」とも述べた。
posted by 豊後国主 at 07:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前: 必須項目

メールアドレス: 必須項目


ホームページアドレス:

コメント: 必須項目

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5167130

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
リンク集
最新記事

プロフィール
豊後国主さんの画像
豊後国主
初参加 2010年 7月30日
プロフィール
写真ギャラリー
カテゴリアーカイブ
わーい(嬉しい顔)"カチィ・・” と 応援宜しくわーい(嬉しい顔)
にほんブログ村 通販ブログへ
にほんブログ村
最新トラックバック
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。