2016年05月26日
今日の歴史、71年前の広島は〜〜〜
米国オバマ大統領が広島に来る、5月27日はもう明日だ。
原爆投下は人類の歴史上、相当に決断のいる特異なできごとだっただけ・・・
今や米国、ロシア、英国、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮と
総数を合わせれば、地球を何回も破滅させることができるというが・・・
原爆投下と違う選択肢・・・・ない、無いはずだ。
599年(推古天皇7年4月27日) - 『日本書紀』に日本最古の地震による
被害状況の記録。
今日の歴史(5月26日)
2016/05/26 00:00文字拡大 文字縮小 印刷 twitter facebook
1952年:李承晩(イ・スンマン)大統領による大統領直接選挙制導入強行の
方針を受け、軍憲兵隊が野党国会議員約50人を連行
1961年:朴正熙(パク・チョンヒ)少将が主導した同年5月16日の
軍事クーデターで行使を一時止められていた韓国軍の作戦統制権が
国連軍から戻る
1995年:北朝鮮が深刻な食糧難を認め日本にコメ支援を要請
1999年:科学実験衛星「ウリビョル3号」をインドの宇宙基地から打ち上げ
2002年:イム・グォンテク監督の「酔画仙」がカンヌ国際映画祭で監督賞受賞
2004年:南北将官級軍事会談で黄海上の軍事境界線にあたる
北方限界線(NLL)での偶発事故防止に合意
2009年:韓国政府が大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)への全面参加を発表
「原爆投下と違う選択肢あった」米歴史家イアン・トール氏に聞く
(1/2ページ)
歴史家のイアン・トール氏=米カリフォルニア州サンフランシスコ(中村将撮影)
米国オバマ米大統領が27日、広島を訪問する。
原爆投下は必要だったのか。太平洋戦争を日米両国の立場から描いた
「太平洋の試練」シリーズの著者で歴史家のイアン・トール氏に聞いた。
(ロサンゼルス 中村将)
◇
原爆投下は、多くの米国人の命、そしておそらく多くの日本人の命も救うために、必要だったと多くのアメリカ人は信じている。
それに反する史観は、米国では、左翼的な修正主義史観であるという
レッテル貼りが行われている。
だが、そうだろうか。
史料から考える歴史家たちはむしろ違う結論を導き出そうとしている。
私もそのひとりである。
機密解除されてきた米国政府の当時の史料は、違う選択肢もあったことを
示している。
例えば、原爆投下の翌日、マッカーサー(連合国軍最高司令官)を運んだ
飛行機のパイロットの日記には、
「マッカーサーはあきらかにこのフランケンシュタインの登場に、困惑し
落ち込んでいた」と記されているし、
「ジャップを殺せ」と太平洋の戦いを指揮した南太平洋部隊司令長官の
ハルゼーですら戦後、「原爆投下はあやまちであった」と結論づけている。
トルーマン(大統領)自身も、1945年7月25日の日記に、原爆の使用を
「軍事目標、戦闘員に限定し、女性や子供に対しては用いないことが
できないだろうか」と陸軍長官に聞いたと、記している。
(2/2ページ)
またさまざまな史料は、当時政権内部では、原子爆弾を米国が
所有していることを日本側に事前に通知し、軍事目標に対して使用することで
合意していたことを示している。それなのになぜ、
事前通告なし、都市に直接投下という結論に至ったのか。
戦後のソ連(当時)に対する牽制(けんせい)のために必要だった、という
結論に当時の国務長官とトルーマンの膝づめの会議で急転直下決まった。
この会議自体の記録は残っていないが、さまざまな証拠はそれを
示唆しているように思える。
今回、ホワイトハウスは
「なぜ、米国は広島に原爆を落としたのか」という問いには踏み込まないことを
示唆している。
確かに現在の大統領がそれに踏み込むのは賢明ではない。頭を下げ、献花をし、
二度とこうしたことを起こさせないと、私たちにかわって宣言する、
それだけでいい。
しかし、私たちは、史実に対して、何が起こったかについて、思考停止に
陥ることなく、事実を基に考えていく必要がある。
原爆投下は必要だったのか−と。(談)
◇
【プロフィル】Ian Toll
1967年生まれ。ジョージタウン大学卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院公共政策学修士課程修了。著書に「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで」「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで」など。
原爆投下は人類の歴史上、相当に決断のいる特異なできごとだっただけ・・・
今や米国、ロシア、英国、フランス、中国、インド、パキスタン、北朝鮮と
総数を合わせれば、地球を何回も破滅させることができるというが・・・
原爆投下と違う選択肢・・・・ない、無いはずだ。
599年(推古天皇7年4月27日) - 『日本書紀』に日本最古の地震による
被害状況の記録。
今日の歴史(5月26日)
2016/05/26 00:00文字拡大 文字縮小 印刷 twitter facebook
1952年:李承晩(イ・スンマン)大統領による大統領直接選挙制導入強行の
方針を受け、軍憲兵隊が野党国会議員約50人を連行
1961年:朴正熙(パク・チョンヒ)少将が主導した同年5月16日の
軍事クーデターで行使を一時止められていた韓国軍の作戦統制権が
国連軍から戻る
1995年:北朝鮮が深刻な食糧難を認め日本にコメ支援を要請
1999年:科学実験衛星「ウリビョル3号」をインドの宇宙基地から打ち上げ
2002年:イム・グォンテク監督の「酔画仙」がカンヌ国際映画祭で監督賞受賞
2004年:南北将官級軍事会談で黄海上の軍事境界線にあたる
北方限界線(NLL)での偶発事故防止に合意
2009年:韓国政府が大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)への全面参加を発表
「原爆投下と違う選択肢あった」米歴史家イアン・トール氏に聞く
(1/2ページ)
歴史家のイアン・トール氏=米カリフォルニア州サンフランシスコ(中村将撮影)
米国オバマ米大統領が27日、広島を訪問する。
原爆投下は必要だったのか。太平洋戦争を日米両国の立場から描いた
「太平洋の試練」シリーズの著者で歴史家のイアン・トール氏に聞いた。
(ロサンゼルス 中村将)
◇
原爆投下は、多くの米国人の命、そしておそらく多くの日本人の命も救うために、必要だったと多くのアメリカ人は信じている。
それに反する史観は、米国では、左翼的な修正主義史観であるという
レッテル貼りが行われている。
だが、そうだろうか。
史料から考える歴史家たちはむしろ違う結論を導き出そうとしている。
私もそのひとりである。
機密解除されてきた米国政府の当時の史料は、違う選択肢もあったことを
示している。
例えば、原爆投下の翌日、マッカーサー(連合国軍最高司令官)を運んだ
飛行機のパイロットの日記には、
「マッカーサーはあきらかにこのフランケンシュタインの登場に、困惑し
落ち込んでいた」と記されているし、
「ジャップを殺せ」と太平洋の戦いを指揮した南太平洋部隊司令長官の
ハルゼーですら戦後、「原爆投下はあやまちであった」と結論づけている。
トルーマン(大統領)自身も、1945年7月25日の日記に、原爆の使用を
「軍事目標、戦闘員に限定し、女性や子供に対しては用いないことが
できないだろうか」と陸軍長官に聞いたと、記している。
(2/2ページ)
またさまざまな史料は、当時政権内部では、原子爆弾を米国が
所有していることを日本側に事前に通知し、軍事目標に対して使用することで
合意していたことを示している。それなのになぜ、
事前通告なし、都市に直接投下という結論に至ったのか。
戦後のソ連(当時)に対する牽制(けんせい)のために必要だった、という
結論に当時の国務長官とトルーマンの膝づめの会議で急転直下決まった。
この会議自体の記録は残っていないが、さまざまな証拠はそれを
示唆しているように思える。
今回、ホワイトハウスは
「なぜ、米国は広島に原爆を落としたのか」という問いには踏み込まないことを
示唆している。
確かに現在の大統領がそれに踏み込むのは賢明ではない。頭を下げ、献花をし、
二度とこうしたことを起こさせないと、私たちにかわって宣言する、
それだけでいい。
しかし、私たちは、史実に対して、何が起こったかについて、思考停止に
陥ることなく、事実を基に考えていく必要がある。
原爆投下は必要だったのか−と。(談)
◇
【プロフィル】Ian Toll
1967年生まれ。ジョージタウン大学卒、ハーバード大学ケネディ行政大学院公共政策学修士課程修了。著書に「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで」「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで」など。
タグ:韓国
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5099246
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック