アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2016年04月08日

70年ぶりに帰還、元日本兵の出征旗

ほんとに奇遇だ、唯大分の名があるからふとアクセスしたページにわが地元の
はなしだったとは・・・
写真を見る限り「血染めの日章旗」でなかったことが幸いだ。
出征旗ならば〜〜君とか、名前があるのではないか・・・


旗に学校名…日本兵の出征旗、米国から大分に70年を経て帰還 
撃墜の米戦闘機返還が結んだ奇縁


(1/2ページ)
01日章旗.jpg
米シカゴの自営業男性から佐伯市に託された日の丸。寄せ書きには
大分ゆかりの学校名があった

先の大戦中、大分県で旧日本軍が撃墜した米戦闘機の機体返還をきっかけに、今度は米国で見つかった日本兵の出征旗とみられる日の丸が、日本側に
返還された。
旗には偶然にも、大分ゆかりの学校名が書かれていた。
機体を保管し、米国に返還した大分県佐伯市の関係者は、この奇縁に驚き、
持ち主や親族探しを始めた。(村上智博)

ことの発端は、佐伯市の戦争遺構研究グループ「歴進会」のメンバー、
河野豊氏(65)らが平成7年、米艦上戦闘機「F4U−1コルセア」の
エンジンなどを佐伯湾から引き揚げたことだった。

機体の一部は「佐伯市平和祈年館やわらぎ」で保管してきたが、米国への
返還機運が高まった。寄贈先は
米ニューヨークの「イントレピッド海上航空宇宙博物館」と決まった。

今年3月6日、米海軍関係者らも出席し、佐伯市内で、返還式典が開かれ、
関係者は同25日、渡米した。

この話を一部の米メディアが大々的に報じた。
米シカゴの自営業、ドミニック・カイロさん(26)もニュースを
見た一人だった。

カイロさんの父親は、骨董(こっとう)品など歴史を感じさせる物の
収集家で、数年前、骨董市で日の丸を入手した。
旗は縦65センチ、横70センチで、出征兵士を激励するような日本語の
寄せ書きがあった。

カイロさんらは
「この旗を持っていた兵士の気持ちを考えると、すぐにでも日本に
返さなければいけない」と考えたが、持ち主も特定できず、宙に浮いた
状態だった。

佐伯市の関係者らが戦闘機返還でニューヨークを訪れることを知った
カイロさんは、佐伯市側と連絡を取り、引き渡しの式典会場に
日の丸を持ってきた。

 旗を見た河野氏らは驚いた。

そこには、「必勝祈願」などの言葉とともに、
「大分県立三重高等女学校」や「大野拓殖農林学校」の名があった。
三重も大野も、佐伯市の隣にある大分県豊後大野市の地名だった。
村長として、「衛藤」と大分県に多い姓もあった。

河野氏らは3月末、旗を持って帰国し、佐伯市の西嶋泰義市長に報告した。

市教育委員会は、持ち主の手がかりを得ようと、
「市平和祈年館やわらぎ」での旗の展示を決めた。

西嶋氏は7日、市役所で記者会見を開き
「行政ルートでも豊後大野市に照会するなどし、持ち主や家族に
届くように尽力したい」と語った。
タグ:日本
posted by 豊後国主 at 08:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前: 必須項目

メールアドレス: 必須項目


ホームページアドレス:

コメント: 必須項目

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4937424

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
リンク集
最新記事

プロフィール
豊後国主さんの画像
豊後国主
初参加 2010年 7月30日
プロフィール
写真ギャラリー
カテゴリアーカイブ
わーい(嬉しい顔)"カチィ・・” と 応援宜しくわーい(嬉しい顔)
にほんブログ村 通販ブログへ
にほんブログ村
最新トラックバック
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。