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2016年03月20日

「AlphaGo」のGoの字は日本語の「碁」の字だ〜〜〜よ、韓国

結局は民族、朝鮮民族の自慢話、調子に乗って自分や、自国を着飾って
見ても今の現状がこれではね・・・・?
今回の対戦はただの一過性にすぎない、
ただこんな事があったよってぐらいにしか過ぎない事例だよ。
一勝したぐらいで韓国朝鮮人が優秀でなく、李・セドルが優秀だっただけの
話だ。
4戦目の勝利が3戦目であればもっと優秀といえたが・・・・、この記事も
150年前の朝鮮人社会を思えばとても想像できない記事だよ、無知
文盲90%の社会がこれほど変わるとは・・・
囲碁は日本統治時代に日本人がおしえたのだよ・・・・・  だから
「AlphaGo」のGoの字は日本語の「碁」の字だ〜〜〜よ。


【コラム】アルファ碁に教えた一手=韓国
2016年03月19日12時48分 [中央日報/中央日報日本語版]

それは世紀のドラマだった。
1945年に日本に投下された原子爆弾が20世紀文明の象徴なら、
アルファ碁と李世ドル(イ・セドル)九段の囲碁接戦は21世紀文明を
開幕するファンファーレだった。
囲碁は相手の血を要求しない。最後の対局を終えた李世ドルは
「有終の美を飾りたかったが残念だ」と語った。
前日の勝利した時とは違った沈鬱な表情だった。違う。
当初から焦点は誰が勝つのかではなく、人工知能がどれほどやるのかという
点にあった。
グーグル傘下のディープマインドが開発した人工知能が世界囲碁界の
トップ級棋士に勝ったという事実も驚くが、冷静になってみると、
勝つ可能性が非常に低いそのゲームで人間の李世ドルが1勝したという
事実にも驚く。

李世ドルは有終の美を飾った。
それは21世紀文明の荘厳な出発を知らせた世紀的な大事件だった。
人間の脳細胞(ニューロン)は約1000億個、
その接続のシナプス(synapse)は100兆個に達する。ところが

中間節が830万個にすぎないアルファ碁が勝ったという事実は、
人間の脳に占める計算能力は非常に小さく、残りは感情・理性・感じという
意味だ。
大接戦の観戦ポイントはそれぞれ異なった。工学者はアルファ碁が立派に
やり遂げることを自分も気付かないうちに念願していた。
科学の新しい地平が開かれるためだ。
逆に人文学者は人間の李世ドルがあの無心で傲慢な機械を無惨に
屈服させることを望んだ。
プロ棋士は囲碁界のプライドを守ることを渇望した。
ある解説者は第4局で勝利すると感極まって涙を見せた。
社会学者である筆者はアルファ碁の表情がどうかを意味もなく考えてみたが、結局は浮かび上がらなかった。
高次元アルゴリズムでプログラミングされた演算機械にすぎなかった。

第4局の最後の画面に出てきた言葉、
「アルファ碁は放棄する(AlphaGo resigns)」という
表現に筆者は注目した。それは一人称ではなく三人称だった。
敗者の犠牲を要求する「屈服する(surrender)」でもなかった。
李世ドルが第3局までの敗北で当惑・諦念・恐れのような“変化無双”の
表情を見せたのとは対照的に、アルファ碁は冷や汗も流さなかった。
グーグルのデミス・ハサビスと彼のスタッフが代わりに当惑した。
アルファ碁は複合的な感情を演出する主体ではないのだ。そのために
三人称であったし、20世紀の暴力的単語「屈服する」ではなかった。
第3局までの敗北が醸したその「ぞっとするような感じ」はしたがって
根拠がない。
李世ドルの第4局の78手目がベールに包まれた無意識の空間で
繰り出された天才の妙手だったように、アルファ碁は計算能力の無限の
進歩が可能だという事実を我々に悟らせた。

今はこれを質問しなければいけない。
アルファ碁の演算能力と李世ドルの脳が結合すればどうなるだろうか。
それこそぞっとするような風景だ。
ホモサピエンスを絶滅させる新しい種の誕生を予告する。
脳とコンピューターを連結する
「ブルーブレーンプロジェクト(Blue Brain Project)」はすでに10年前に始まった。

人間の感情を生産する奧妙な心根がコンピューターに移植されるのだ。
知的設計で自然選択を変形する科学実験が続けば、認知能力を無制限に
拡張した感情的主体が生まれないとは限らない。
そうなれば人間が大切にしてきたすべての社会科学的・人文学的概念は
有効性を喪失する。
生命アイデンティティーが変わり、法秩序が変わる。
『ホモサピエンス』の著者ユヴァル・ハラリの予見はぞっとさせる。
「少なくとも我々とネアンデルタール人は同じ人間だが、
我々の後継者は神に似た存在であろう」。

神に似た存在には愛・友情・家庭・職場・生計・幸せのような人類史的な
概念は大きく変質し、資本主義も揺れるだろう。
『エロス的文明』の著者マルクーゼ(Marcuse)が、機械文明が
人間を肉体労働から解放させるという楽観的な命題を出したのは
わずか50年前のことだ。人類史で未曾有の経済成長が起きた時だった。
過去50年間は悲観論より楽観論が優勢ではあった。
ところが感情を備えた人工知能の誕生はどうかを考えるのはあまりにも
苦しい。
あたかもウイルスが自己増殖するように、入力したプログラムが価値網や
感情網と混線を起こせば、感性の主体が生成された人工知能が奇想天外の
行動を敢行することもあるからだ。

どこに跳ねるか分からない感性と野性を穏やかに治める最高の司令官は
道徳感情(moral sentiments)だ。
人間も最高の品性である道徳感情を培養するのに今まで失敗したのは、
今日にも随所で発生する反倫理的犯罪を見れば分かる。
アダム・スミス(A.Smith)が『国富論』の大前提として
道徳感情論を説明したほどだ。
道徳を自律生産できない人工知能は災難だ。
ユヴァル・ハラリの結論もそうだった。
「我々は何を望むのか」が本当に重要な質問だと。欲望をのぞいてみろと
いうことだ。
21世紀文明の開幕戦に孤独に乗り出した李世ドルは、韓国人の道徳感情を
冷酷な演算機械アルファ碁に伝授したはずだ。
タグ:韓国
posted by 豊後国主 at 09:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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