2014年12月24日
特俵のご祝儀、小沢王国の終焉
フ〜ん、特俵のご祝儀ね、地元にはどれだけ影響力、貢献があったのか知らないが
今頃、国民の生活なんぞスローガンに叫んでも無策としか言いようが無い。
日本は国際国家だ、先進七カ国の一員であり、日本がヘマすると世界に迷惑がかかる、
日本の "円”も国際三大通過、それだけ世界に貢献もするが、ヘマすると世界の
金融界に恐慌をもたらす危険もある。
小沢さんのこの顔、渋いときの顔とご機嫌取りの顔が違いすぎるのだ、もはや
半世紀前の無策、数だけの、親分肌の政治家なんていらない。
世界の中の日本、アジアの中の日本、東アジアの中の日本、特に隣国朝鮮半島と
中華大陸との関係、自由民主主義と社会、共産主義との関係、日本は確かに
朝鮮半島を統治し、中華大陸に軍を出征した。
そこには、歴史の真実があるだろう、未来永劫に、”日本が悪い”では、日本の
尊厳はとりもぞせない。
落日感じる「小沢王国」 異例の3日間お国入りで何とかご祝儀?
「しがらみもこれが最後」
(1/2ページ)
政治の一時代の終わりを強く感じる師走の総選挙だった。「一時代」とは、
生活代表の小沢一郎氏(72)が、岩手県に築いた「小沢王国」のことだ。
小沢氏は今回の第47回衆院選・岩手4区で、自民の藤原崇氏(31)に
約1万7千票差で16回連続当選を果たした。ところが、有権者と小沢氏の距離が
確実に広がっていると感じたからだ。
平成4年2月から3年間、小沢一郎氏のお膝元の旧水沢市(奥州市水沢区)にあった
水沢通信部に勤務したことがある。
剛腕と称された小沢氏は5年に羽田孜氏らと自民党を飛び出し、新生党を作って
政権交代を実現させた。王国の隆盛期である。お膝元の旧水沢市から一時的に
自民党の支部が消滅したほどだ。
総選挙で当時、小沢氏が地元に戻ったことはなく、候補者の横顔取材は東京まで
出張した。5年の総選挙は最後の中選挙区。小沢氏は県南部の岩手2区で戦後最多の
約14万2千票を獲得し、圧勝した。
選挙事務所では、握手で腱鞘炎(けんしょうえん)になった右手首に包帯を巻いた
和子夫人の姿があった。小沢氏のお国入りには、指定場所に1千人を超える支持者が
集まった。首相を待望する地元の熱気に圧倒された記憶がある。民主党として
政権交代を実現した21年の総選挙では、県内4選挙区で民主が当選し、
全県制覇をして名実ともに「小沢王国」となった。
ところが今回の解散総選挙では、小沢氏は選挙中盤の今月6、7日に選挙区の
30カ所で街頭演説し、最終日も花巻市、北上市、奥州市でマイクを握り、
「もう一度、国政で働かせてください」と必死に訴えた。
ここ30年なかったことだ。隆盛期を知る者には信じられない光景だった。
奥州市水沢区の選挙事務所前の最後の街頭演説に、耳を傾けていた30代の
男性会社員の言葉が脳裏に強く残った。
「小沢さんも72歳。生活も先がない。将来を考えると若い層は入れない。
長年のしがらみで小沢さんに投票するのはこれが最後という人が多いよ」
60代の男性タクシー運転手は、次のようにつぶやいた。
「業界も首長も風向きを変えているみたいだし、
一郎さんもこれが最後かもしれないね」
こんな有権者の声に、公明党県本部の幹部は
「小沢さんは徳俵(とくだわら=相撲の土俵にある4カ所の出っ張り)で残った」と
評した。今回の当選は有権者からの最後のご祝儀と言いたいのだろう。
14日、当選確実の報道から1時間以上たった午後9時過ぎ。選挙事務所で、
選対本部長の小笠原直敏後援会連合会長(69)はこう漏らした。
「(選挙区に)来なかったら勝負にならなかった。自民党が本気になって
親分つぶしにかかってきたからね。3日間入った、あれが勝因だ」
岩手4区の地盤の変動は明らかだ。前回の総選挙では次点に約3万票差。今回は、
次点の藤原氏とは、約1万7千票差に縮まった。
後援会の高齢化も進んでいる。小笠原後援会連合会長が、ぽつりと本音を漏らした。
「15ある後援会のうち、ここ1年で2人の会長が亡くなり、私が最年少だもの…」
(石田征広、写真も)
今頃、国民の生活なんぞスローガンに叫んでも無策としか言いようが無い。
日本は国際国家だ、先進七カ国の一員であり、日本がヘマすると世界に迷惑がかかる、
日本の "円”も国際三大通過、それだけ世界に貢献もするが、ヘマすると世界の
金融界に恐慌をもたらす危険もある。
小沢さんのこの顔、渋いときの顔とご機嫌取りの顔が違いすぎるのだ、もはや
半世紀前の無策、数だけの、親分肌の政治家なんていらない。
世界の中の日本、アジアの中の日本、東アジアの中の日本、特に隣国朝鮮半島と
中華大陸との関係、自由民主主義と社会、共産主義との関係、日本は確かに
朝鮮半島を統治し、中華大陸に軍を出征した。
そこには、歴史の真実があるだろう、未来永劫に、”日本が悪い”では、日本の
尊厳はとりもぞせない。
落日感じる「小沢王国」 異例の3日間お国入りで何とかご祝儀?
「しがらみもこれが最後」
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ここ30年なかった 自らの選挙区の遊説で支持者と笑顔で握手を交す 小沢一郎氏=13日、岩手県花巻市 |
政治の一時代の終わりを強く感じる師走の総選挙だった。「一時代」とは、
生活代表の小沢一郎氏(72)が、岩手県に築いた「小沢王国」のことだ。
小沢氏は今回の第47回衆院選・岩手4区で、自民の藤原崇氏(31)に
約1万7千票差で16回連続当選を果たした。ところが、有権者と小沢氏の距離が
確実に広がっていると感じたからだ。
平成4年2月から3年間、小沢一郎氏のお膝元の旧水沢市(奥州市水沢区)にあった
水沢通信部に勤務したことがある。
剛腕と称された小沢氏は5年に羽田孜氏らと自民党を飛び出し、新生党を作って
政権交代を実現させた。王国の隆盛期である。お膝元の旧水沢市から一時的に
自民党の支部が消滅したほどだ。
総選挙で当時、小沢氏が地元に戻ったことはなく、候補者の横顔取材は東京まで
出張した。5年の総選挙は最後の中選挙区。小沢氏は県南部の岩手2区で戦後最多の
約14万2千票を獲得し、圧勝した。
選挙事務所では、握手で腱鞘炎(けんしょうえん)になった右手首に包帯を巻いた
和子夫人の姿があった。小沢氏のお国入りには、指定場所に1千人を超える支持者が
集まった。首相を待望する地元の熱気に圧倒された記憶がある。民主党として
政権交代を実現した21年の総選挙では、県内4選挙区で民主が当選し、
全県制覇をして名実ともに「小沢王国」となった。
ところが今回の解散総選挙では、小沢氏は選挙中盤の今月6、7日に選挙区の
30カ所で街頭演説し、最終日も花巻市、北上市、奥州市でマイクを握り、
「もう一度、国政で働かせてください」と必死に訴えた。
ここ30年なかったことだ。隆盛期を知る者には信じられない光景だった。
奥州市水沢区の選挙事務所前の最後の街頭演説に、耳を傾けていた30代の
男性会社員の言葉が脳裏に強く残った。
「小沢さんも72歳。生活も先がない。将来を考えると若い層は入れない。
長年のしがらみで小沢さんに投票するのはこれが最後という人が多いよ」
60代の男性タクシー運転手は、次のようにつぶやいた。
「業界も首長も風向きを変えているみたいだし、
一郎さんもこれが最後かもしれないね」
こんな有権者の声に、公明党県本部の幹部は
「小沢さんは徳俵(とくだわら=相撲の土俵にある4カ所の出っ張り)で残った」と
評した。今回の当選は有権者からの最後のご祝儀と言いたいのだろう。
14日、当選確実の報道から1時間以上たった午後9時過ぎ。選挙事務所で、
選対本部長の小笠原直敏後援会連合会長(69)はこう漏らした。
「(選挙区に)来なかったら勝負にならなかった。自民党が本気になって
親分つぶしにかかってきたからね。3日間入った、あれが勝因だ」
岩手4区の地盤の変動は明らかだ。前回の総選挙では次点に約3万票差。今回は、
次点の藤原氏とは、約1万7千票差に縮まった。
後援会の高齢化も進んでいる。小笠原後援会連合会長が、ぽつりと本音を漏らした。
「15ある後援会のうち、ここ1年で2人の会長が亡くなり、私が最年少だもの…」
(石田征広、写真も)
タグ:2014年衆議院選挙
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