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2014年08月17日

ソウル大、いや日本帝国京城大学だろう

ソウル大学が何十年も歴史がある大学みたいに言うんじゃないよ。五年前まで
いや、二年前か、帝国京城大学だろう。日本色が色濃く残る大学ではないか。
自分達が作った大学みたいに言うな・・・
都合のいい時だけ日本に統治されたことなんか無いみたいなこといいやがって・・
28年から30年生まれ、みんな、小学校から高校まで日本の教育を
受けてきたのだろう。  こういう所が抜けているんだよ、きずかないところが
また抜けていると言われる所以だ。


【萬物相】ソウル大と韓国戦争

「ワーテルローの戦いは、イートンの運動場で勝ち取られた」。これは、
イギリスのウェリントン公が、ワーテルローの戦いでナポレオン率いる
フランス軍を撃滅した際に語ったとされる有名な言葉だ。この戦いで倒れた
英軍1万5000人の中には、名門イートン校の出身者が多数含まれていた。
これに対し、4万人余りに上るフランス軍戦死者のほとんどは平民だった。
フランスは特権層が散り散りになって逃げたのに対し、イギリス側は、
貴族の子弟が命を懸けて戦いに身を投じた。この違いがワーテルローの勝敗を
決した−というのが、ウェリントン公の発言の意味だ。
ウェリントン公自身も、イートン校の出身だった。

それから140年後。イートン出身で、イギリスの首相になった人物がいる。
1955年にチャーチルの後を継いだアンソニー・イーデンだ。イーデンは回顧録に、
次のように記した。
「英国に、自分と同年代の有能な政治家がほとんどいないのは、われわれの世代が、若くして第1次世界大戦へ真っ先に志願し、大勢が戦死したからだ」。
第1次大戦が発生した1914年、イーデンは18歳だった。イーデンと共にイートン校に
通い、第1次大戦で命を落とした若者は1157人に上る。

イートン校を出れば、オックスフォード大やケンブリッジ大は確実だ。
イギリス歴代の首相のうち、イートン出身者は9人。しかし、単にこういう
理由だけで、イートン校が最高の名門とされたわけではない。
「より多くを学ぶほど、より多く国のために身をささげる」。イートンには、
共同体のための犠牲を限りない名誉と考える、長い伝統がある。

上の世代の犠牲に頭を下げるべきだと考え、そうすることで、あらためて
自己犠牲の姿勢を学ぶこと。それが教育の力だ。現在も、イートンの廊下には、
第1次大戦で戦死した1157人の名前が刻まれている。ハーバード、イェール、
MITといった米国の名門大学には、第2次大戦や韓国戦争(朝鮮戦争)、
ベトナム戦争に出征して命を落とした学生たちの名前を刻んだ追悼施設が、
例外なく存在している。
韓国も、6・25(朝鮮戦争)で多くの学徒兵が自由民主主義を守ろうと戦場に赴き、
花のような若い命をささげた。しかし、
この人々の献身をたたえる施設のある大学を探すのは難しい。

ソウル大学が、6・25に出征して戦死した同窓生をたたえるため、来年までに
「韓国戦争の道」を作る計画を立てているという。ソウル大学は、
1996年に6・25戦死学生27人の身元を確認し、冠岳キャンパス文化館ロビーの銅板に
刻んだ。ほとんどは1928−30年生まれだ。
機械工学科、電気工学科、経済学科、法学科…。戦争がなければ、
新たな国づくりに確実に貢献したであろう人々だ。
「韓国戦争の道」を行き来して、一度くらいは国を愛するということ、
国のために献身するということが何なのかを考える若い世代の姿を思い浮かべたい。

金泰翼(キム・テイク)論説委員 朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
posted by 豊後国主 at 20:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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