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2014年07月26日

120年前、日清戦争

朝鮮半島人の、目、耳、その偏執狂の思考回路ではこの様な記事を書くのが
精一杯か!??・・・
戦争はそもそも、朝鮮半島が原因だし、日本のおかげで李氏朝鮮王朝は清国から
独立できたのではないのか・・・・・
今も、昔も、半島人は他人任せ・・・  不服ならば南北一対一で殺し合い
南北統一してみろ。・・・・何も出来ないくせに一流国みたいな口を叩くな・・・


日清戦争120年:佐世保から始まった帝国主義日本の侵略

日清戦争120年・現場を行く(1)佐世保・広島・下関
艦隊の出発地・佐世保は今も自衛隊基地
広島に大本営を置いて「臨時首都」化、呉・長崎では軍艦を建造
三菱造船所など戦争関連施設、来年の世界文化遺産登録を推進

「東経129度43分 日本最西端の駅」

九州北西部の港湾都市・佐世保の駅改札口を出ると、人の背丈ほどある木製の
表示板には、こう刻まれていた。
福岡の博多駅から佐世保まで、列車で2時間。日本の西端は、大陸に最も近い場所だ。
今から120年前、この港を出発した日本の艦隊は、韓国・牙山湾の豊島沖で清の軍艦を
奇襲攻撃した(1894年7月25日、豊島沖海戦)。朝鮮の支配権をめぐって日本と中国が
戦った、日清戦争の始まりだった。

■かつての栄光を回顧する展示物でいっぱいの海自史料館

日清戦争は、近代化に成功した日本が初めて行った対外侵略戦争だ。その後、
日本は日露戦争と韓国併合、日中戦争を経て太平洋戦争へと至る。
帝国主義日本の侵略は、この佐世保から始まった。

現在、佐世保には海上自衛隊の基地がある。駅から海岸に沿っておよそ20分歩き、
港の方を見ると、自衛隊の大小の艦艇が停泊していた。自衛隊の基地の横には、
在日米海軍の基地があり、大きな軍艦が見えた。佐世保は依然として、
戦略上の要衝だ。

「山に登れば、自衛隊と米軍の軍港を一望できますよ」。観光情報センターの職員が
地図を指した。標高364メートルの弓張岳に登った。登山道は、
曲がりくねった林道だった。
頂上の展望台から見下ろした。低い山が港を取り囲む地形になっている。狭い海峡を
通って軍艦が出ていくことはできるが、相手が入り込むのは難しい。
日本は、日清戦争の5年前、この天然の要害に海軍の司令部(鎮守府)を設置し、
戦争の準備をした。

佐世保市内にあり、無料開放されている「海上自衛隊史料館」には、昔の栄光を
回顧する展示物が多数並んでいた。侵略戦争に対する反省を見いだすことは
できなかった。
「1882年 軍艦整備計画案に基づき、2400万円を投じて、8年がかりで軍艦32隻を
建造する計画を立てた」「1889年 憲法の公布とともに対清戦争を急いだ」
「(日清戦争で)清の北洋艦隊は地域レベルを超えられず、
近代国家の海軍に発展した日本海軍の一方的な勝利に終わった」と説明が続く。
日本の「侵略」を「進出」と表現することはないが、代わりに「膨張」と書いていた。

佐世保・広島・下関= 李漢洙(イ・ハンス)記者 , 共同企画:東北アジア歴史財団

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
タグ:日本、韓国
posted by 豊後国主 at 17:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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