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2014年03月04日

蛍の光

                3月4日 [産経抄] "蛍の光” 2,3,4番
米国の新聞社がまたぞろ、日本批判しているがどの国も国政を批判することが使命
みたいな、それともネタがないのか。
米国も戦後70年世代交代が中期に、それとも後期に入ったか。
日米開戦の真実を知る米国人もいなくなるか!
これも歴史の一ぺージにすぎないのだろう
私は音痴なので音楽のことはまったくわからないが、”蛍の光”は
卒業式で歌った事がある、四番まである事ははじめて知った、一押しだな。

3月4日 2014.3.4 03:53
[産経抄]

先日行われた遠藤浩一さんのお別れ会で、遠藤さんと民社党時代からの同志だという
西村真悟衆院議員は遺影に向かって『蛍の光』を歌い、手向けとした。といっても
「蛍のひかり窓の雪…」で始まる1、2番ではない。
戦後「消し去られた」3番だった。

 ▼「つくしの極(きわ)みみちのおく/うみやまとおくへだつとも/
そのまごころは隔てなく/ひとつに尽くせ国のため」。
日本人がみな、ひとつになって国に尽くしたい。日本の将来に万感の思いを
抱いたまま亡くなった遠藤さんを送るに、ふさわしい歌だった。

 ▼『蛍の光』は明治14年、文部省の「小学唱歌集」初編の中の『蛍』として
誕生した。
スコットランド民謡に日本の歌詞をつけたものだ。4番にはこうある。
「千島のおくも沖縄も/やしまのうちの護(まも)りなり/いたらん国にいさおしく
/つとめよわがせ恙(つつが)なく」。

 ▼ここまでくれば分かる通り、単なる「卒業式の歌」ではなかった。
幕藩体制から新しい国をつくり始めた明治初期、若い人の国民意識を育てようと
作られたのである。
4番など、国境の護りに赴く「わがせ(自分の兄弟や夫や恋人)」を送り出す
意味とも受け取れる。

 ▼だが戦後この3番、4番はほとんど歌われなくなり、忘れ去られていった。
例によってその歌詞が「平和国家の唱歌」にふさわしくないと嫌われたからだろう。
1、2番も卒業式からほぼ姿を消し、パチンコ店などの「閉店の歌」と
間違われるようになってしまった。

 ▼遠藤さんは遺稿となった1月3日付本紙「正論」で「観念化した戦後」に風穴を
開ける必要を訴えた。安倍晋三首相の靖国神社参拝はその大きな一歩だと書いた。
失われた『蛍の光』を取り戻すことはもう一つの一歩になり得る気がするのだ。
posted by 豊後国主 at 07:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 記事
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