2020年04月03日
商店街
昔は買い物をするときには商店街に行きました。
肉は肉屋さんで、魚は魚屋さん。野菜は八百屋さん。
細い通りの両端に、それぞれ軒を連ねていました。
昭和40年代です。
魚屋さんだったか、男性が大きな声で
「安いよ 安いよ〜!」
と声を張り上げていました。
その声はつぶれて、しゃがれ声になっていましたが、それでも客引きをしていました。
店の天井からは紐でカゴが胸の高さにぶら下がっており、お金はそこに入っています。
お客さんからもらった代金はカゴの中に入れ、お釣りもカゴから取り出してお客さんに渡していました。
当時はレジスター、ましてバーコードなんてない時代。
でもこのカゴ、いま思うと生活の知恵だったと思います。
主婦の肘にはMy買い物カゴがかけられています。エコバッグの先祖ですね。
特に夕方になると商店街は活気にあふれ、当時の人たちの生活感があふれていました。
今では大型店。
20年ほど前、10年後にはアメリカのように店は大型店に集約され、小売店はなくなると聞きました。
10年でそのようになったとは思いません。しかし、20年経った今ではその通りになってしまいましたね。
大型店に行けば、肉も魚も野菜も一度に買い物ができます。
街では肉屋も魚屋も八百屋も、もう見ることがなくなってしまいました。
いや、八百屋さんはあるようですね。
産地の農家と直結して新鮮な野菜を、安価で提供できるからです。
他にも床屋、寿司屋、花屋はあるようですけど、酒屋だってフランチャイズになったと思います。
他にはコンビニ。
昔はコンビニだってありません。
確か昭和49年、江東区に引っ越したとき、近くにセブンイレブンができたと話題になりました。
が、行ったことはありませんでした。
何かと日本は海外の影響を受けています。
いま、自動車はほとんどがドアミラーです。
が、その昔はフェンダーミラーでした。
サイドミラーはときに角度調整が必要になります。
今では運転席から電動で角度調整ができるようになっていますが、その昔はいちいち車を降りてミラーの角度を変え、運転席に戻っては確認。必要ならまた降りて調整と面倒でした。
だから子供の私が車を降りて父の車のミラー調整を手伝わされました。
日本ではフェンダーミラーでしたが、海外ではドアミラーの車が多くありました。
しかし海外の車を輸入してもドアミラーでは車検に通りません。
当然、輸出できない海外から非難されます。
フェンダーミラー、このサイドミラーはボンネットのないキャブオーバー型車両を除いて、取付位置に法的な規制はありませんでしたが、ドアミラーは危険だとされ、運輸省が車検で許可しなかったそうです。
海外からの批判を受け、運輸省は1977年頃から輸入車に限り、ドアミラーを認可したとあります。
今度は国内で批判が高まります。そして1983年、国産車も認可されました。
でもタクシーはいまだ、フェンダーミラーですね。
サイドミラーの装着が義務付けられたのは1951年、以降ドアミラーが認可されるまで32年。
日本では一度、決まったことはなかなか変わらない保守的な部分が多いようです。
そのことから伝統が守られたという良いところもあると思いますが。
第一次世界大戦でロシアに勝利した日本。
それは洋上でロシアバルチック艦隊に対戦艦で勝利したから。
この戦いから日本は、大戦で勝利には、“大艦巨砲主義”が大切だと学びました。
味を占めた日本は第二次世界大戦に戦艦大和を投入します。
当時、日本造船技術の粋を集めて建造された大和は不沈艦と呼ばれました。
しかしアメリカ航空機からの魚雷攻撃を左舷に集中して浴びたことから約2時間で沈没。
この航空機による集中攻撃は、皮肉にも真珠湾攻撃で日本軍から航空機による攻撃を受けたアメリカが、これからは航空機による戦闘が重要になると教訓を受けたからでした。
それでも大艦巨砲主義を捨てられなかった日本。保守的というのもときには考えものです。
随分、話が逸れてしまいました。
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