2017/12/10「当年取って」に書きました。
私は何年間か、副業または本業でIT講師をしていました。
本業にしていた頃は、とても好きな仕事だと思っていました。
でもそれはたまたまで、初めからIT講師になりたかった訳ではありません。
当時、コピー機、印刷機、ワープロ、パソコン、果ては鉛筆一本まで売る営業をしていました。
その頃、ワープロを売りたいけど、使えない人が年配者を中心にまだ、たくさんいました。
またちょうどその頃、国は各自治体にIT化推進のために補助金を交付していました。
行政は国、、上からの補助金がある以上、活用した実績を作りたいものです。
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失礼しました。
「当年取って」
で、ワープロ講座の開催を森喜朗首相の「IT革命」と書きました。
森首相は2000年に就任しています。
2000年にはIT講座はすでにパソコン講座になっていましたので、誤りでした。
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私が初めてワープロ専用機を見たのは1984年。
ワープロ講座の話が出てきたのは、それから約10年後の1994年頃だったと思います。
発売から10年経ってもまだ使えない人を対象にした講座でした。
自治体は講座を企画して補助金を申請し、IT講座を開くというのがごく普通のやり方でした。
主体は自治体の教育委員会で、私が住んでいた小さな自治体では公民館がその主催をしていました。
私の営業にワープロが印象づいていたため、公民館から打診を受けたのです。
「ワープロ講座をしたいのだけど、やってくれないかい?」
と。
私はもちろん、受けました。
ただし、ワープロメーカーが開催する講座を、まるまる仕入れて売るという形で。
それから表立ったメーカーに、取引のある問屋があればそこを介して、なければ直接メーカーに問い合わせてワープロ講座をしてくれないかと交渉しました。
しかしその頃、ワープロ専用機が世に出始めた1984年からすでに10年近く経っていました。
ワープロ講座で活躍する講師はほぼ女性で、1980年代から始まったワープロ講座も10年が経った頃には講師たちは結婚し、育児に専念している世代。
さらには10年経ってからワープロを習おうという時点ですでに講座の需要はもうなくなっていました。
そのため、聞いてもメーカーでは「もうやっていません」の返答ばかり。
やむなく私は公民館に「できなくなりました」と告げました。
でも行政は予算で動いている以上、中止にはできません。
そこで出た言葉が
「じゃあ、あなたが講師をすればいい。」
と。
!!
「え゛?」
青天の霹靂でした。
それでも一度は受けた責任で仕方なくやることになりました。
これがIT講師になったきっかけです。
次は講習に使うワープロをどうするかです。
私は富士通のOASYSが好きで、販売実績もありました。
そこで、富士通に交渉したところ、富士通も同じ境遇だったようです。
機器を売りたいため、本当は講習も開きたい。しかし講師はいない。
だからデモンストレーション機はたくさんあったのです。
私のいた小さな会社で富士通という大きな企業から講習のたび20台ものワープロを2週間、タダで借りることができました。
ワープロ講座は確か、5年くらいやったと思います。
何年かすると富士通からも毎年のことと認知され、ときには1週間ほど待たされることはありましたが、順当に貸していただくことができました。
富士通には大変お世話になしました。
またそれが、後に職業能力開発校で講師になる足がかりになったと思います。
どの職業でも得意技というか、特技は身に付けるものだと思います。
IT講師をして身に付けた特技って何だと思いますか?
入構してくる受講生さんたちの顔と名前を初日の午前中に憶えきることです。
だいたい受講生は20人というのが普通だと思います。
でもこれはもう昔の話です。TT
2017年12月18日
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