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2020年09月27日

9月27日 今日のクラシック音楽

ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番ヘ長調 作品96『アメリカ』



【今日の出来事】

1880年9月27日 ジャック・ティボー(ヴァイオリニスト)誕生
1892年9月27日 ドヴォルザーク:ニューヨークに到着
1921年9月27日 エンゲルベルト・フンパーディンク(作曲家)没
1997年9月27日 ワルター・トランプラー(ヴィオラ奏者)没





 1891年春、ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者・理事長ジャネット・サーバーからドヴォルザークに音楽院院長職への就任依頼が届いた。ドヴォルザークに白羽の矢が立った理由は、彼がアメリカにおいても著名だったことがもちろんあろうが、それ以上にサーバー夫人がアメリカにおける国民楽派的なスタイルの音楽の確立を夢見ていたことから、チェコにおけるそれを確立した一人である彼を招聘することで、そのような運動の起爆剤としようとした、との説がある
 ドヴォルザークは、初めこれに対して辞退の意志を伝えたが、サーバー夫人の熱心な説得と高額の年俸提示に逡巡した末、同年末に契約書に署名をした。年俸15,000ドルという提示額は彼がプラハ音楽院から得ていた金額の約25倍であるし、彼はこの時13歳を頭に6人の子の扶養を行っていたのである。
 ドヴォルザークは1892年ブレーメンから船に乗り、9月27日にニューヨークに到着した。
 1893年6月5日、ドヴォルザークはアイオワ州のスピルヴィルという小さな町を訪れた。この街は、ボヘミアからの入植者が住む町で、ドヴォルザークのアシスタント兼秘書を務めるヨゼフ・ヤン・コヴァジークの父親が聖歌隊長を務めていた。この街でのドヴォルザークの様子を「同国人らの中にいるという実感が祖国を思い出させるとともに、故郷にいるような感覚にさえしたようだ」とコヴァジークは回想している。そしてスピルヴィル到着の3日目には新作の弦楽四重奏曲に着手し、6月23日には速くもそれを完成させ、コヴァジーク家とドヴォルザーク家混成の弦楽四重奏団により試演された。これが「アメリカ」四重奏曲である。(Wikipediaより抜粋)


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