2020年04月03日
生きていれば96歳です
今日は昨年9月に亡くなった祖母の誕生日です。社会人になってからは毎年、誕生日と敬老の日に心ばかりプレゼントを贈っていました。
祖母とは、私は夏休みなどに会いに行く程度で一緒には住んでいませんでしたが、小さいころからずっと祖母が大好きでした。昔は両親よりも好きだと公言していたほどです(笑)。実際、理屈ではなくずっと心の拠り所、特別な存在でした。
80代後半に認知症にかかり、最後の数年は同居していた叔父叔母や身近な人の存在も認識できていなかったようです。私が生きている祖母に最後に会ったのは、今から2年半ほど前。私の両親と、私の夫、子供たちと一緒に遊びに行き、叔父の家で食事をしたのですが、その時の祖母はもう私のことも誰なのか認識していませんでした。
それでも私は全然ショックではなく、その時、好物のおはぎを「うまい!」と言って食べる様子が、本当に無邪気そのもので「ああ、子どもに戻ったみたいで可愛いな。やっぱり大好きだな」と愛おしく思ったのです。
だから、私は、例え祖母が私のことを忘れてしまっていても、私自身の心に沢山の祖母との思い出があることと、祖母が生きて幸せに生活していてくれるだけで満足でした。
祖母の死に目には会えなかったけれど、長年祖母を一番よく看てくれた叔母が看取ってくれ、最期は苦しまず死因も老衰だったのでホッとしています。葬儀にも出て最後のお別れもし、お骨も拾ったのですが、元々、私は関東圏にずっと生活していて少し距離があったので、今でもなんだか遠くで離れて暮らしているだけのような気もします。
大好きだという気持ちも変わりありません。ただ、時々凄く寂しくはなります。でも私が悲しみに浸らず前に進めているのは、私の今の家族のおかげです。特に最後のお別れの時、私が人目も憚らず涙を流しまくっていた時に、長男が「ママ、大丈夫?」と労わってくれて。その優しさと存在に、ホントに救われました。
長くなりましたが、こういう私の思いをきちんと何かの形にして残したくて、ブログをはじめようと思った次第です。
祖母とは、私は夏休みなどに会いに行く程度で一緒には住んでいませんでしたが、小さいころからずっと祖母が大好きでした。昔は両親よりも好きだと公言していたほどです(笑)。実際、理屈ではなくずっと心の拠り所、特別な存在でした。
80代後半に認知症にかかり、最後の数年は同居していた叔父叔母や身近な人の存在も認識できていなかったようです。私が生きている祖母に最後に会ったのは、今から2年半ほど前。私の両親と、私の夫、子供たちと一緒に遊びに行き、叔父の家で食事をしたのですが、その時の祖母はもう私のことも誰なのか認識していませんでした。
それでも私は全然ショックではなく、その時、好物のおはぎを「うまい!」と言って食べる様子が、本当に無邪気そのもので「ああ、子どもに戻ったみたいで可愛いな。やっぱり大好きだな」と愛おしく思ったのです。
だから、私は、例え祖母が私のことを忘れてしまっていても、私自身の心に沢山の祖母との思い出があることと、祖母が生きて幸せに生活していてくれるだけで満足でした。
祖母の死に目には会えなかったけれど、長年祖母を一番よく看てくれた叔母が看取ってくれ、最期は苦しまず死因も老衰だったのでホッとしています。葬儀にも出て最後のお別れもし、お骨も拾ったのですが、元々、私は関東圏にずっと生活していて少し距離があったので、今でもなんだか遠くで離れて暮らしているだけのような気もします。
大好きだという気持ちも変わりありません。ただ、時々凄く寂しくはなります。でも私が悲しみに浸らず前に進めているのは、私の今の家族のおかげです。特に最後のお別れの時、私が人目も憚らず涙を流しまくっていた時に、長男が「ママ、大丈夫?」と労わってくれて。その優しさと存在に、ホントに救われました。
長くなりましたが、こういう私の思いをきちんと何かの形にして残したくて、ブログをはじめようと思った次第です。
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