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2008年08月08日

大本営の虚偽報道

虎の子の空母4隻を失う大惨敗!
情報戦で敗れたミッドウェーと「大本営発表」
ミッドウエー海戦大敗の報を受けた大本営海軍部では、三日三晩激論が続いた。
どう発表するのか、が議論されたのである。
太平洋戦争開戦から敗戦まで、大本営発表は合わせて846回を数える。
虚構の代名詞となった「大本営発表」は、勝ち戦ではあまり見られず、この海戦以降に集中している。

ソロモン諸島のガダルカナル島の、昭和17年7月から18年2月までの攻防戦ではすでに日本軍の補給能力がなく、戦闘とともに食料不足で多くの将兵が生命を奪われ、島の名も「餓島」と呼ばれた。
これに対する18年2月9日の大本営発表はこうだ。

「ガ島に作戦中の部隊は(略)その目的を達成せるに依り2月上旬(略)他に転進せしめたり。(略)戦死及び病死1万6734名」

しかし実際は、近接のブナ島を含め、3万7000人もの人名を失っている。しかも退却とも撤退ともいわず、転進と発表された。
以後、「転進」は退却、撤退を示す常套句となる。

敗色濃厚になるにつれ、本営発表の粉飾度は高くなってゆく。

昭和19年2月のトラック島では、残り少ない艦船」のうち、2隻の巡洋艦を含む11隻が失われ、さらに燃料基地や、軍需品の山が跡かたもなく消失した。

その被害の発表は、起案者の「甚大な被害」という原稿が「相当」に変わり、最終的には「若干」に落ち着いている。最も極端なケースは台湾沖航空戦で、大本営は19日、「空母1隻を含む17隻を撃沈、空母8隻を含む28隻を大破した。」と発表した。国民は久方の「大勝利」に沸きたち、勅語も与えられた。
ところが実際には、この戦果は幻だった。

未熟な航空機塔乗員の誤認などが。
原因だが、大本営は事実誤認がわかった後もまったく訂正することがなかったそうです。

今も昔も虚報、粉飾度報道の一部始終。
私は17年生まれで、当時3歳の戦中派でありました。


講談社「週間YEAR BOOK」の記事より
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