誰かのために生きることができるのは
幸せなのだろうか
それを幸せと感じることができれば
それは最高に素晴らしい人生なんだろう
誰かのために生きることとは
誰かの世話をやくこととは別物で
「家政婦さんじゃありません!」と
いらついたりすることは
別にどうってことないんだろう
それでも
家事をこなせることはすごいことだ
自分以外の誰かのために
料理をして片付けて
それを黙って当たり前にできる人
偉いと思う
自分にはもうそれが当たり前と思えず
どうして?
やりたいくもないことを
当然のこととしてやらなきゃならないの?
と、思っている
だから
それを何も思わずできる人は偉いんだ
だいたいの人が文句を言いながらでも
それをこなすことができている
だから
それをやりたくないと思う自分は
立場上、あり得ないわがままな人と言うことか
だって、料理好きじゃないんだもん
全然、やりたいと思わないんだもん
最初はそういうものだから
疑いもしないでやってきたけど
子供も独立してしまい
ふと、気付くと
ひとり、家族のことを優先してきた自分が
ぽつんと残されて
本当は、家事なんか好きでもないし
みんなが面倒だと思うことも
私だって面倒でやりたくなかったんだ
この自分にこれまで
何かしてくれた家族がいたのか?
誕生日すら忘れて
自分の存在は、後片付けとか
雑用とか
家族が過ごしやすいような環境を作り
ずっと
自分を後回し
それが
今になって、後回しになっていた存在が
まだ続くのかと思うとぞっとしてきて
このまま生きていくなんて!と
まわりにとってはいきなりだが
沸々としてきたものが
溢れてきて
「いったい私の人生ってなんなの??」みたいな
感情で
焦り始める
この感情を理解できる家族はひとりもおらず
孤独をかみしめる
自分のことを褒めてくれたり
誕生日を祝ってくれたり
そんな立場になれないまま
このまま終わってたまるか!!
って大げさに思ってしまう
だから
みんな偉いと思う
それをずっと続けていける
上手に人生を楽しめる
そんな大人な人たち、とても偉い
いつからか、包丁を使うことを止めた自分は
これから先
どうやって生きていこうかな
そんな今日も良い日だった
ありがとう
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