「存在価値」というフレーズを
忘れ去っていた
そういうことを思う自分が
ずっと前からいつのまにか
いなくなっていたことに
気づいた
それを思ったのは
家族に会いに往復8時間かけて
行こかと思ったのだが
時期的に私とご飯を食べてる時間が
ない
試合を観に行くから
遠路はるばる行くから
家族と会う時間を期待したが
今回は時期が悪くて 私には
時間を作れない 作らない?
そんなやりとりがあって
往復8時間の旅は中止
言っても体育館の2階から
コートを観るだけで
あとはひとりで行動
ひとりで電車移動
ひとりで観戦
ひとりでホテルに移動
ひとりで食事
ひとりでチェックアウト
ひとりで復路4時間
これは恐怖にも似た感情になり
そうか
自分のためには時間を作らないのか
観戦するだけで帰っても気にならない距離なら
それでもいい
行く意味は 時間かけて観戦して
家族とごはんでも少しでも過ごせることが
セットで楽しみだったのが
打ち砕かれ
ショックを受けたんだった
自分に時間は作れない
待ってくれれば時間あけるから
少しでもお茶できるから来てね
って
言ってほしかったなぁ
中止になって ずっとテンションが上がらない
ショックってこういうこと
そして「存在価値ゲーム」が始まる
自分は時間も作ってもらえない
不要な存在
誰も私を大事に思ってない
なんにも優先されることもない
自分ばかり家族のことを細々やってるのに
自分のことは誰もやってくれないのに
優先されなくて
便利に使われるだけの
つまらない人生
存在価値のない理由を探すゲーム
久々にやりました
そして
ショックはまだ続いているが
そのうち生活の中でなじんでいくんだろうなと
ほっといている
誰にも必要じゃないかもしれないけど
だからなんなの
誰にも必要じゃなくてもいいじゃん
自分にだけ 必要ってことだ
自分には 自分が必要だから
それでいいか
と ぼんやりと思いました
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