虫を見つけたら問答無用で殺虫剤を振りかける私でさえ、プリスがクモの脚を切断するシーンには打ちのめされました。
イジドアと接することで、ひょっとしてアンドロイドたちにも思いやりの気持ちが芽生えるのかな?と思った矢先だっただけに。
第三次大戦後、放射能灰に汚された地球では生きた動物を持っているかどうかが地位の象徴になっていた。人工の電気羊しかもっていないリックは、本物の動物を手に入れるため、火星から逃亡してきた〈奴隷〉アンドロイド8人の首にかけられた莫大な懸賞金を狙って、決死の狩りをはじめた! 現代SFの旗手ディックが、斬新な着想と華麗な筆致をもちいて描きあげためくるめく白昼夢の世界!
リドリー・スコット監督の名作映画『ブレードランナー』原作。
35年の年を経て描かれる正統続篇『ブレードランナー2049』キャラクター原案。(Amazon.com より引用)
作品情報
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
著者:フィリップ・K・ディック
訳者:浅倉久志
発行年月日:1977年3月15日
出版社:早川書房
感想
訳者あとがきで、後藤将之氏の論評が引用されていて、そこに
人間もアンドロイドも、ともに、親切な場合もあれば、冷酷な場合もある。ディックが描こうとしたのは、すべての存在における人間性とアンドロイド性との相剋であって、それ以外のなにものでもない。
と書いてあるのを読んで、まさにその通りだなと感じました。
人間であるイジドアは逃亡アンドロイドに最初から親切だったけど、同じく人間であるレッシュは、死を目前にしたアンドロイドに本を読むわずかな時間さえ許さず殺してしまうくらい冷酷な人物として描かれています。
でも、全ての登場人物が「親切」と「冷酷」に二分されているわけではないですよね。
最初はアンドロイドや模造動物のことなんてただの機械としか思っていなかったリックが、次第にアンドロイドに同情を示すようなったり、感情移入できない存在として描かれていたレイチェルがリックに恋愛感情に似たものを抱くようになったり。
「親切」と「冷酷」、どちらも合わせ持つのが人間で、私たちは人間にもアンドロイドにも、ちょっとした要因でどちらにも成り得る存在なんだ、というのがこの作品の伝えたいことなのかなと思いました。
その上で人間性を保つには、慈悲の心を忘れずにいることが大事なんだろうと思います。月並みですが。
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