当時の女性や労働者階級の人たちが置かれていた状況を考えると、性の解放を通して魂の自由を描いたこの作品は画期的だったろうな〜と思います。
森番のメラーズによって情熱的な性を知ったクリフォード卿夫人――
現代の愛の不信を描いて、「チャタレイ裁判」で話題を呼んだ作品。
コンスタンスは炭鉱を所有する貴族クリフォード卿と結婚した。しかし夫が戦争で下半身不随となり、夫婦間に性の関係がなくなったため、次第に恐ろしい空虚感にさいなまれるようになる。そしてついに、散歩の途中で出会った森番メラーズと偶然に結ばれてしまう。それは肉体から始まった関係だったが、それゆえ真実の愛となった――。
現代の愛への強い不信と魂の真の解放を描いた問題作。(Amazon.com より引用)
作品情報
『完訳 チャタレイ夫人の恋人』
著者:D・H・ロレンス
訳者:伊藤整
補訳:伊藤礼
発行年月日:1996年11月30日
出版社:新潮社
感想
作品の舞台は第一次大戦後のイギリス。
冒頭でも書きましたが、生殖目的以外の性行為がタブー視されていた当時のキリスト教社会において、愛を確かめ合うための性行為を真正面から描いたことの衝撃は大きかったでしょう。
性と生への賛美は、読んでいて確かにひしひしと感じました。
雨の森を裸で駆け回るシーンやアンダーヘアに花を挿すシーンなんて滑稽で苦笑いしてしまいますが、それでも生命力にあふれていて割と好きだったりします。
ただなあ…。
コニーとメラーズの間に真実の愛なんてありますか?
その点が引っかかって私の好みにはあまり合わない作品でした。
あらすじによると、二人は「肉体から始まった関係だったが、それゆえ真実の愛となった」らしい。
……本当か?
ただの性欲じゃないの?と思ってしまう私。
特にメラーズの方。
彼、元妻バーサ・クーツとの性生活をボロカスに言ってましたが、確か最初は彼女とのセックスにも満足していたんですよね?
もちろん浮気されたことへの怒りがあるからだろうけど、身体の相性が悪くなったからって一度は愛した女性のことを悪し様に語る男と真実の愛なんて育めるのか。
そりゃ今はコニーもメラーズも肉体的に満たされているから精神も幸福でいられるでしょう。
でも、もしどちらか一方でも性生活に不満を抱くことがあれば?
この作品ではやたらと精神を「空虚」だと言って批判していますが…甚だ疑問です。
興味深かったのは、コニーの方に自分の自由になる財産があること。
なんとなく戦前の日本の感覚で、女性の財産は夫のものだと思っていたので。
コニーがクリフォードに対して強気でいられるのも、結局のところ彼女に財産があるからですよね。
どうやら魂の真の解放にもお金は必要らしい。
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