2014年02月07日
カペー家
カペー家(Capétiens)は、フランスのパリ周辺、イル=ド=フランスに起源を持つ王家。2人の西フランク王を出したロベール家の後身である。家名は始祖のユーグ・カペーに由来するが、カペー(capet)とは短い外套(ケープ)のことで、元はユーグに付けられたあだ名であった。
カペー家はフランス王家となった他、その分家から他の多くのヨーロッパ諸国の君主の家系が出ている。ここではカペー家及びその分家について解説する。
目次 [非表示]
1 カペー家の諸分枝 1.1 カペー家 1.1.1 フランス王家
1.1.2 ナバラ王家
1.2 ブルゴーニュ家
1.3 ポルトガル王家 1.3.1 ボルゴーニャ家
1.3.2 アヴィシュ家
1.3.3 アヴィシュ=ベージャ家
1.3.4 ブラガンサ家
1.3.5 ペドロ1世以降のブラガンサ家 1.3.5.1 ポルトガル王家
1.3.5.2 ブラジル皇帝家
1.3.5.3 ミゲル1世系
1.4 ヴェルマンドワ家
1.5 ドルー家 1.5.1 ドルー伯家
1.5.2 ドルー=ブルターニュ家
1.6 クルトネー家
1.7 アルトワ家
1.8 アンジュー=シチリア家 1.8.1 アンジュー=シチリア家
1.8.2 アンジュー=ハンガリー家 1.8.2.1 ラヨシュ1世以降のアンジュー=ハンガリー家 1.8.2.1.1 ハンガリー王家
1.8.2.1.2 ポーランド王家
1.8.3 アンジュー=ドゥラッツォ家
1.8.4 アンジュー=ターラント家
1.9 ブルボン家 1.9.1 ブルボン公家
1.9.2 第一ブルボン=モンパンシエ家
1.9.3 ブルボン=ラ・マルシュ家
1.9.4 ブルボン=ヴァンドーム家(フランス・ブルボン家)
1.9.5 第二ブルボン=モンパンシエ家
1.10 ヴァロワ家
1.11 エヴルー家
2 系図
3 外部リンク
カペー家の諸分枝[編集]
カペー家[編集]
詳細は「カペー朝」を参照
カロリング朝断絶を受けて、987年に婚姻関係にあったユーグ・カペーがフランス王位に就き、1328年にシャルル4世が死去するまで15代の国王が続いた。フィリップ4世以降はナバラ王も兼ねている。
なお、カペー朝以後のフランスの王朝は皆カペー家の分家によるものであり、その支配は1789年(広義では1848年)まで続いている。
フランス王家[編集]
ユーグ・カペー(987年 - 996年)フランス王:987年 - 996年
ロベール2世(996年 - 1031年)フランス王:996年 - 1031年
アンリ1世(1031年 - 1060年)フランス王:1031年 - 1060年
フィリップ1世(1060年 - 1108年)フランス王:1060年 - 1108年
ルイ6世(1108年 - 1137年)フランス王:1108年 - 1137年
ルイ7世(1137年 - 1180年)フランス王:1137年 - 1180年
フィリップ2世(1180年 - 1223年)フランス王:1180年 - 1223年
ルイ8世(1223年 - 1226年)フランス王:1223年 - 1226年
ルイ9世(1226年 - 1270年)フランス王:1226年 - 1270年
フィリップ3世(1270年 - 1285年)フランス王:1270年 - 1285年
フィリップ4世(1285年 - 1314年)ナバラ王:1284年 - 1305年、フランス王:1285年 - 1314年
ルイ10世(1314年 - 1316年)ナバラ王:1305年 - 1316年、フランス王:1314年 - 1316年
ジャン1世(1316年)フランス王:1316年、ナバラ王:1316年
フィリップ5世(1316年 - 1322年)フランス王:1316年 - 1322年、ナバラ王:1316年 - 1322年
シャルル4世(1322年 - 1328年)フランス王:1322年 - 1328年、ナバラ王:1322年 - 1328年
サリカ法によりヴァロワ家が継承(フィリップ6世)。
ナバラ王家[編集]
フアナ2世(1328年 - 1349年)ナバラ女王:1328年 - 1349年
男系断絶のためエヴルー家が継承(配偶者:フェリペ3世)。
ブルゴーニュ家[編集]
詳細は「ブルゴーニュ家」を参照
ブルゴーニュは11世紀初頭に一時フランス王の支配下にあったが、アンリ1世の弟ロベール1世がブルゴーニュ公に封じられて以降、その子孫によって支配された。この家系がカペー系ブルゴーニュ家である。1361年にフィリップ1世が嗣子無くして断絶すると、ヴァロワ家のフランス王ジャン2世が公位を継承し、1363年に息子のフィリップ2世に引き継がれた(この家系はヴァロワ=ブルゴーニュ家と呼ばれる)。
ロベール1世(1032年 - 1076年)ブルゴーニュ公:1032年 - 1076年
ユーグ1世(1076年 - 1079年)ブルゴーニュ公:1076年 - 1079年
ウード1世(1079年 - 1103年)ブルゴーニュ公:1079年 - 1103年
ユーグ2世(1103年 - 1143年)ブルゴーニュ公:1103年 - 1143年
ウード2世(1143年 - 1162年)ブルゴーニュ公:1143年 - 1162年
ユーグ3世(1162年 - 1192年)ブルゴーニュ公:1162年 - 1192年
ウード3世(1192年 - 1218年)ブルゴーニュ公:1192年 - 1218年
ユーグ4世(1218年 - 1271年)ブルゴーニュ公:1218年 - 1271年
ロベール2世(1271年 - 1306年)ブルゴーニュ公:1271年 - 1306年
ユーグ5世(1306年 - 1315年)ブルゴーニュ公:1306年 - 1315年
ウード4世(1315年 - 1350年)ブルゴーニュ公:1315年 - 1350年
フィリップ1世(1350年 - 1361年)ブルゴーニュ公:1350年 - 1361年
断絶のためヴァロワ家が継承(ジャン2世)。
ポルトガル王家[編集]
詳細は「ブルゴーニュ王朝」、「アヴィシュ王朝」、および「ブラガンサ王朝」を参照
ブルゴーニュ公ウード1世の弟エンリケはイベリア半島でレコンキスタに参加し、カスティーリャ王アルフォンソ6世によってポルトゥカーレ伯に封じられた。その息子アフォンソ1世は初代ポルトガル王に即位してブルゴーニュ王朝を開く。
最後の王フェルナンド1世が死ぬと、異母弟ジョアン1世がアヴィシュ王朝を新たに立て、この王朝の下でポルトガルは黄金時代を迎える。その断絶後にポルトガルはスペイン・ハプスブルク家の統治下に入るが、1640年にアヴィシュ家傍系のジョアン4世がポルトガル王として独立する。以後、ブラガンサ王朝が1910年までポルトガルを支配し、ブラジル皇帝も出している。
ボルゴーニャ家[編集]
エンリケ(1093年 - 1112年)
アフォンソ1世(1112年 - 1185年)ポルトガル王:1139年 - 1185年
サンシュ1世(1185年 - 1211年)ポルトガル王:1185年 - 1211年
アフォンソ2世(1211年 - 1223年)ポルトガル王:1211年 - 1223年
サンシュ2世(1223年 - 1248年)ポルトガル王:1223年 - 1248年
アフォンソ3世(1248年 - 1279年)ポルトガル王:1248年 - 1279年
ディニス1世(1279年 - 1325年)ポルトガル王:1279年 - 1325年
アフォンソ4世(1325年 - 1357年)ポルトガル王:1325年 - 1357年
ペドロ1世(1357年 - 1367年)ポルトガル王:1357年 - 1367年
フェルナンド1世(1367年 - 1383年)ポルトガル王:1367年 - 1383年
ベアトリス(1383年 - 1385年)
アルジュバロータの戦いによりアヴィシュ家が継承。
アヴィシュ家[編集]
ジョアン1世(1385年 - 1433年)ポルトガル王:1385年 - 1433年
ドゥアルテ1世(1433年 - 1438年)ポルトガル王:1433年 - 1438年
アフォンソ5世(1438年 - 1481年)ポルトガル王:1438年 - 1477年、1477年 - 1481年
ジョアン2世(1481年 - 1495年)ポルトガル王:1477年、1481年 - 1495年
嫡流断絶のためアヴィシュ=ベージャ家が継承。
アヴィシュ=ベージャ家[編集]
マヌエル1世(1495年 - 1521年)ポルトガル王:1495年 - 1521年
ジョアン3世(1521年 - 1557年)ポルトガル王:1521年 - 1557年
セバスティアン1世(1521年 - 1578年)ポルトガル王:1521年 - 1578年
エンリケ1世(1578年 - 1580年)ポルトガル王:1578年 - 1580年
嫡流断絶のためスペイン・ハプスブルク家が継承(フェリペ2世)。
ブラガンサ家[編集]
アフォンソ1世(1442年 - 1461年)
フェルナンド1世(1461年 - 1478年)
フェルナンド2世(1478年 - 1483年)
ジャイメ1世(1483年 - 1532年)
テオドジオ1世(1532年 - 1563年)
ジョアン1世(1563年 - 1583年)
テオドジオ2世(1583年 - 1630年)
ジョアン4世(1630年 - 1656年)ポルトガル王:1640年 - 1656年
アフォンソ6世(1656年 - 1683年)ポルトガル王:1656年 - 1683年
ペドロ2世(1683年 - 1706年)ポルトガル王:1683年 - 1706年
ジョアン5世(1706年 - 1750年)ポルトガル王:1706年 - 1750年
ジョゼ1世(1750年 - 1777年)ポルトガル王:1750年 - 1777年
マリア1世(1777年 - 1816年)ポルトガル女王:1777年 - 1816年、ブラジル女王:1815年 - 1816年
(共同統治) ペドロ3世(1777年 - 1786年)
ジョアン6世(1816年 - 1826年)ポルトガル王:1816年 - 1826年、ブラジル王:1816年 - 1822年
ペドロ1世(1826年 - 1834年)ブラジル皇帝:1822年 - 1831年、ポルトガル王:1826年
ペドロ1世以降のブラガンサ家[編集]
ポルトガル王家[編集]
マリア2世(1834年 - 1853年)ポルトガル女王:1826年 - 1828年、1834年 - 1853年
男系断絶のためブラガンサ=コブルゴ家へ(配偶者:フェルナンド2世)。
ブラジル皇帝家[編集]
ペドロ2世(1834年 - 1891年)ブラジル皇帝:1831年 - 1889年
イザベル(1891年 - 1921年)
男系断絶のためオルレアンス=ブラガンサ家へ(配偶者:ガスタン)。
ミゲル1世系[編集]
ミゲル1世(1834年 - 1866年)ポルトガル王:1828年 - 1834年
ミゲル2世(1866年 - 1920年)
ドゥアルテ・ヌノ(1920年 - 1976年)
ドゥアルテ・ピオ(1976年 - )
ヴェルマンドワ家[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
「:de:Haus Frankreich-Vermandois」も参照
フィリップ1世の弟ユーグは、ヴェルマンドワ伯の女子相続人と結婚してヴェルマンドワ伯となった。この家系をヴェルマンドワ家と呼ぶ。ユーグは破門中の兄に代わって第1回十字軍に参加した。
ユーグ1世(1080年 - 1102年)
ラウール1世(1102年 - 1152年)
ラウール2世(1152年 - 1167年)
エリザベート(1167年 - 1183年)
男系断絶のためアルザス家が継承(配偶者:フィリップ1世)。
ドルー家[編集]
詳細は「ドルー家」を参照
ルイ7世の弟ロベール1世はドルー伯に封じられ、その家系であるドルー家の本家は14世紀まで続いた。
ドルー伯ロベール3世の弟ピエール1世はブルターニュ公国の女公アリックスと結婚し、この家系はフランス内で独自の勢力を築いた。しかし、最後の公フランソワ2世には娘のアンヌしかおらず、彼女がヴァロワ家のシャルル8世と結婚したことで、ブルターニュは後にフランス王領へと併合される。
ドルー伯家[編集]
ロベール1世(1137年 - 1184年)
ロベール2世(1184年 - 1218年)
ロベール3世(1218年 - 1234年)
ジャン1世(1234年 - 1249年)
ロベール4世(1249年 - 1282年)
ジャン2世(1282年 - 1309年)
ロベール5世(1309年 - 1329年)
ジャン3世(1329年 - 1331年)
ピエール1世(1331年 - 1345年)
ジャンヌ1世(1345年 - 1346年)
ジャンヌ2世(1346年 - 1355年)
男系断絶のためトゥアール家が継承(配偶者:ルイ1世)。
ドルー=ブルターニュ家[編集]
ピエール1世(1213年 - 1237年)ブルターニュ公:1213年 - 1237年
ジャン1世(1237年 - 1286年)ブルターニュ公:1237年 - 1286年
ジャン2世(1286年 - 1305年)ブルターニュ公:1286年 - 1305年
アルテュール2世(1305年 - 1312年)ブルターニュ公:1305年 - 1312年
ジャン3世(1312年 - 1341年)ブルターニュ公:1312年 - 1341年
ジャン(1341年 - 1345年)
ジャン4世(1345年 - 1399年)ブルターニュ公:1365年 - 1499年
ジャン5世(1399年 - 1442年)ブルターニュ公:1399年 - 1442年
フランソワ1世(1442年 - 1450年)ブルターニュ公:1442年 - 1450年
ピエール2世(1450年 - 1457年)ブルターニュ公:1450年 - 1457年
アルテュール3世(1457年 - 1458年)ブルターニュ公:1457年 - 1458年
フランソワ2世(1458年 - 1488年)ブルターニュ公:1458年 - 1488年
アンヌ(1488年 - 1514年)ブルターニュ女公:1488年 - 1514年
男系断絶のためヴァロワ家が継承(配偶者:ルイ12世)。
クルトネー家[編集]
ルイ7世の弟ピエール1世を祖とするクルトネー家 (en) は18世紀まで存続した。ピエールの息子ピエール2世は第四回十字軍の後に建てられたラテン帝国の皇帝位に就いた。しかし、ピエール1世の息子ボードゥアン2世の時にニカイア帝国によって駆逐された。
ピエール(1150年 - 1183年)
ピエール(1183年 - 1219年)ラテン皇帝:1216年 - 1219年
ロベール(1219年 - 1228年)ラテン皇帝:1219年 - 1228年
ボードゥアン2世(1228年 - 1273年)ラテン皇帝:1228年 - 1261年
フィリップ(1273年 - 1283年)
カトリーヌ(1283年 - 1307年)
男系断絶によりヴァロワ家が継承(配偶者:シャルル)。
アルトワ家[編集]
ルイ9世の弟アルトワ伯ロベール1世を祖とするアルトワ家 (fr) は15世紀まで続いた。ロベール1世の娘ブランシュはナバラ王エンリケ1世と結婚して女王フアナ1世の母后となり、カペー朝末期にナバラとフランスの同君連合を成立させた。ロベール1世から4代後のロベール3世はイングランド王エドワード3世に加担して百年戦争の原因の一つを作った。
ロベール1世(1237年 - 1250年)
ロベール2世(1250年 - 1302年)
マオー(1302年 - 1320年)
男系断絶のためアンスカリ家が継承(配偶者:オトン4世)。
アンジュー=シチリア家[編集]
詳細は「アンジュー=シチリア家」、「ナポリ・アンジュー朝」、「ハンガリー・アンジュー朝」、および「ポーランド・アンジュー朝」を参照
ルイ9世の末弟シャルル・ダンジューはシチリア王国を支配していたホーエンシュタウフェン家を滅亡させて、1268年にシチリア王に即位する。しかし、シチリアの晩祷事件を契機としてシチリア島をアラゴン王国に奪われ、最後の君主となったジョヴァンナ2世が1435年に死去するまではナポリ王家として続いた。
一方、一族のカーロイ・ローベルトはハンガリー王となり、その息子ラヨシュ1世はポーランド王も兼ねている。ラヨシュ死後は2人の娘に王国は分割されているが、両人とも夫との間に子を生さなかったため血筋は絶えている。
ルイ10世の2番目の王妃でジャン1世を生んだクレマンス・ド・オングリー、ヴァロワ伯シャルルの最初の妃でフィリップ6世の母であるマルグリット・ダンジューはこの家系の出身である。
アンジュー=シチリア家[編集]
カルロ1世(1247年 - 1285年)シチリア王:1266年 - 1282年、アカイア公:1278年 - 1285年、ナポリ王:1282年 - 1285年
カルロ2世(1285年 - 1309年)ナポリ王:1285年 - 1309年、アカイア公:1285年 - 1289年
ロベルト1世(1309年 - 1343年)ナポリ王:1309年 - 1343年、アカイア公:1318年 - 1322年
ジョヴァンナ1世(1343年 - 1382年)ナポリ女王:1343年 - 1382年、アカイア女公:1373年 - 1381年
断絶のためアンジュー=ドゥラッツォ家が継承(カルロ3世)。
アンジュー=ハンガリー家[編集]
カーロイ(1290年 - 1295年)
カーロイ1世(1295年 - 1342年)ハンガリー王:1308年 - 1342年
ラヨシュ1世(1342年 - 1382年)ハンガリー王:1342年 - 1382年、ポーランド王1370年 - 1382年
ラヨシュ1世以降のアンジュー=ハンガリー家[編集]
ハンガリー王家[編集]
マーリア(1382年 - 1395年)ハンガリー女王:1382年 - 1385年、1386年 - 1395年
男系断絶のためルクセンブルク家が継承(配偶者:ジギスムント)。
ポーランド王家[編集]
ヤドヴィガ(1382年 - 1399年)ポーランド女王:1382年 - 1399年
男系断絶のためヤギェウォ家が継承(配偶者:ヴワディスワフ2世)。
アンジュー=ドゥラッツォ家[編集]
ジョヴァンニ(1332年 - 1336年)アカイア公:1322年 - 1332年
カルロ(1336年 - 1348年)
ルイージ(1348年 - 1362年)
カルロ3世(1362年 - 1386年)ナポリ王:1382年 - 1386年、ハンガリー王:1385年 - 1386年
ラディズラーオ1世(1386年 - 1417年)ナポリ王:1382年 - 1389年、1399年 - 1417年
ジョヴァンナ2世(1413年 - 1435年)ナポリ女王:1413年 - 1435年
断絶のためヴァロワ=アンジュー家が継承(ルネ)。
アンジュー=ターラント家[編集]
フィリッポ1世(1294年 - 1332年)アカイア公:1307年 - 1313年
ローベルト(1332年 - 1364年)アカイア公:1332年 - 1364年
フィリッポ2世(1364年 - 1374年)アカイア公:1364年 - 1373年
断絶のためレ・ボー家が継承(ジャコモ)。
ブルボン家[編集]
詳細は「ブルボン家」、「ブルボン朝」、「スペイン・ブルボン朝」、「シチリア・ブルボン朝」、および「ブルボン=パルマ家」を参照
フィリップ3世の弟クレルモン伯ロベールを祖とするブルボン家はアンリ4世の時代にフランス王位を獲得してブルボン朝を築き、更にはスペイン・ナポリ・シチリアの王位も獲得している。
ブルボン公家[編集]
ロベール(1287年 - 1317年)
ルイ1世(1317年 - 1342年)
ピエール1世(1342年 - 1356年)
ルイ2世(1356年 - 1410年)
ジャン1世(1410年 - 1434年)
シャルル1世(1434年 - 1456年)
ジャン2世(1456年 - 1488年)
シャルル2世(1488年)
ピエール2世(1488年 - 1503年)
シュザンヌ(1503年 - 1521年)
男系断絶のためブルボン=モンパンシエ家が継承(配偶者:シャルル3世)。
第一ブルボン=モンパンシエ家[編集]
ルイ1世(1434年 - 1486年)
ジルベール(1486年 - 1496年)
ルイ2世(1496年 - 1501年)
シャルル3世(1501年 - 1527年)
断絶のためブルボン=ヴァンドーム家が継承(シャルル)。
ブルボン=ラ・マルシュ家[編集]
ジャック1世(1356年 - 1362年)
ピエール1世(1362年)
ジャン1世(1362年 - 1393年)
ジャック2世(1393年 - 1435年)
エレオノール(1435年 - 1462年)
男系断絶のためアルマニャック家が継承(配偶者:ベルナール8世)。
ブルボン=ヴァンドーム家(フランス・ブルボン家)[編集]
ルイ1世(1393年 - 1446年)
ジャン8世(1446年 - 1477年)
フランソワ(1477年 - 1495年)
シャルル(1495年 - 1537年)
アントワーヌ(1537年 - 1562年)ナバラ王:1555年 - 1562年
アンリ4世(1562年 - 1610年)ナバラ王:1562年 - 1610年、フランス王:1589年 - 1610年
ルイ13世(1601年 - 1643年)ナバラ王:1610年 - 1620年、フランス王:1610年 - 1643年
ルイ14世(1643年 - 1715年)フランス王:1643年 - 1715年
ルイ15世(1715年 - 1774年)フランス王:1715年 - 1774年
ルイ16世(1774年 - 1793年)フランス王:1774年 - 1792年
ルイ17世(1793年 - 1795年)
ルイ18世(1795年 - 1824年)フランス王:1814年 - 1815年、1815年 - 1824年
シャルル10世(1824年 - 1836年)フランス王:1824年 - 1830年
ルイ・アントワーヌ(1836年 - 1844年)
アンリ(1844年 - 1883年)
第二ブルボン=モンパンシエ家[編集]
ルイ3世(1561年 - 1582年)
フランソワ(1582年 - 1592年)
アンリ(1592年 - 1608年)
マリー(1608年 - 1627年)
男系断絶のためブルボン家が継承(配偶者:ガストン)。
ヴァロワ家[編集]
詳細は「ヴァロワ家」および「ヴァロワ朝」を参照
フィリップ4世の弟シャルルはヴァロワ伯となったが、その息子フィリップ6世はカペー家嫡系の断絶を受けて1328年にフランス王に即位し、ヴァロワ朝を開いた。 最後の王アンリ3世は短期間ポーランド王兼リトアニア大公に就いていた。
エヴルー家[編集]
詳細は「エヴルー家」を参照
フィリップ4世の弟ルイはエヴルー伯に封じられたが、その息子フィリップはルイ10世の娘ジャンヌと結婚してナバラ王位を獲得した。カペー家嫡系およびヴァロワ家とは他にも複雑な婚姻関係を結んでいる。
エヴルー家はヴァロワ家に次いでカペー家嫡系に近い家系であったことから、フランス王位やブルゴーニュ公位の獲得に野心を燃やしたが果たされず、ナバラ女王ブランカ1世が1441年に死去して断絶した。
系図[編集]
ロベール
ネウストリア辺境伯
ウード
西フランク王
ロベール1世
西フランク王
ベアトリス・ド・ヴェルマンドワ
ハインリヒ1世
ドイツ王
ユーグ
パリ伯
ヘートヴィヒ
オットー1世
神聖ローマ皇帝
ユーグ・カペー
フランス王
ウード=アンリ
ブルゴーニュ公
ロベール2世
フランス王
ユーグ
フランス共同統治王
アンリ1世
フランス王
ロベール1世
ブルゴーニュ公
(ブルゴーニュ家)
フィリップ1世
フランス王
ユーグ1世
ヴェルマンドワ伯
(ヴェルマンドワ家)
アンリ
ルイ6世
フランス王
ユーグ1世
ブルゴーニュ公
ウード1世
ブルゴーニュ公
アンリ(エンリケ)
ポルトゥカーレ伯
フィリップ
フランス共同統治王
ルイ7世
フランス王
アンリ
ランス大司教
ロベール1世
ドルー伯
(ドルー家)
フィリップ
パリ司教
ピエール1世・ド・クルトネー
(クルトネー家)
ユーグ2世
ブルゴーニュ公
アフォンソ1世
ポルトガル王
フィリップ2世
フランス王
ロベール2世
ドルー伯
ルイ8世
フランス王
フィリップ・ユルプル
クレルモン伯
ロベール3世
ドルー伯
ピエール1世
ブルターニュ公
ルイ9世
フランス王
ロベール1世
アルトワ伯
(アルトワ家)
シャルル・ダンジュー(カルロ1世)
シチリア王
(アンジュー=シチリア家)
フィリップ3世
フランス王
ロベール
クレルモン伯
フィリップ4世
フランス王
ナバラ王
ジャンヌ(フアナ)1世
ナバラ女王
シャルル
ヴァロワ伯
(ヴァロワ家)
ルイ
エヴルー伯
(エヴルー家)
ルイ1世
ブルボン公
(ブルボン家)
ルイ10世
フランス王
ナバラ王
フィリップ5世
フランス王
ナバラ王
ジャンヌ2世
ブルゴーニュ女伯
シャルル4世
フランス王
ナバラ王
ジャンヌ・デヴルー
フィリップ6世
フランス王
フィリップ(フェリペ)3世
ナバラ王
ジャン1世
フランス王
ナバラ王
ジャンヌ(フアナ)2世
ナバラ女王
ジャンヌ3世
ブルゴーニュ女伯
マルグリット1世
ブルゴーニュ女伯
ブランシュ
フィリップ
オルレアン公
ジャン2世
フランス王
シャルル(カルロス)2世
ナバラ王
カペー家はフランス王家となった他、その分家から他の多くのヨーロッパ諸国の君主の家系が出ている。ここではカペー家及びその分家について解説する。
目次 [非表示]
1 カペー家の諸分枝 1.1 カペー家 1.1.1 フランス王家
1.1.2 ナバラ王家
1.2 ブルゴーニュ家
1.3 ポルトガル王家 1.3.1 ボルゴーニャ家
1.3.2 アヴィシュ家
1.3.3 アヴィシュ=ベージャ家
1.3.4 ブラガンサ家
1.3.5 ペドロ1世以降のブラガンサ家 1.3.5.1 ポルトガル王家
1.3.5.2 ブラジル皇帝家
1.3.5.3 ミゲル1世系
1.4 ヴェルマンドワ家
1.5 ドルー家 1.5.1 ドルー伯家
1.5.2 ドルー=ブルターニュ家
1.6 クルトネー家
1.7 アルトワ家
1.8 アンジュー=シチリア家 1.8.1 アンジュー=シチリア家
1.8.2 アンジュー=ハンガリー家 1.8.2.1 ラヨシュ1世以降のアンジュー=ハンガリー家 1.8.2.1.1 ハンガリー王家
1.8.2.1.2 ポーランド王家
1.8.3 アンジュー=ドゥラッツォ家
1.8.4 アンジュー=ターラント家
1.9 ブルボン家 1.9.1 ブルボン公家
1.9.2 第一ブルボン=モンパンシエ家
1.9.3 ブルボン=ラ・マルシュ家
1.9.4 ブルボン=ヴァンドーム家(フランス・ブルボン家)
1.9.5 第二ブルボン=モンパンシエ家
1.10 ヴァロワ家
1.11 エヴルー家
2 系図
3 外部リンク
カペー家の諸分枝[編集]
カペー家[編集]
詳細は「カペー朝」を参照
カロリング朝断絶を受けて、987年に婚姻関係にあったユーグ・カペーがフランス王位に就き、1328年にシャルル4世が死去するまで15代の国王が続いた。フィリップ4世以降はナバラ王も兼ねている。
なお、カペー朝以後のフランスの王朝は皆カペー家の分家によるものであり、その支配は1789年(広義では1848年)まで続いている。
フランス王家[編集]
ユーグ・カペー(987年 - 996年)フランス王:987年 - 996年
ロベール2世(996年 - 1031年)フランス王:996年 - 1031年
アンリ1世(1031年 - 1060年)フランス王:1031年 - 1060年
フィリップ1世(1060年 - 1108年)フランス王:1060年 - 1108年
ルイ6世(1108年 - 1137年)フランス王:1108年 - 1137年
ルイ7世(1137年 - 1180年)フランス王:1137年 - 1180年
フィリップ2世(1180年 - 1223年)フランス王:1180年 - 1223年
ルイ8世(1223年 - 1226年)フランス王:1223年 - 1226年
ルイ9世(1226年 - 1270年)フランス王:1226年 - 1270年
フィリップ3世(1270年 - 1285年)フランス王:1270年 - 1285年
フィリップ4世(1285年 - 1314年)ナバラ王:1284年 - 1305年、フランス王:1285年 - 1314年
ルイ10世(1314年 - 1316年)ナバラ王:1305年 - 1316年、フランス王:1314年 - 1316年
ジャン1世(1316年)フランス王:1316年、ナバラ王:1316年
フィリップ5世(1316年 - 1322年)フランス王:1316年 - 1322年、ナバラ王:1316年 - 1322年
シャルル4世(1322年 - 1328年)フランス王:1322年 - 1328年、ナバラ王:1322年 - 1328年
サリカ法によりヴァロワ家が継承(フィリップ6世)。
ナバラ王家[編集]
フアナ2世(1328年 - 1349年)ナバラ女王:1328年 - 1349年
男系断絶のためエヴルー家が継承(配偶者:フェリペ3世)。
ブルゴーニュ家[編集]
詳細は「ブルゴーニュ家」を参照
ブルゴーニュは11世紀初頭に一時フランス王の支配下にあったが、アンリ1世の弟ロベール1世がブルゴーニュ公に封じられて以降、その子孫によって支配された。この家系がカペー系ブルゴーニュ家である。1361年にフィリップ1世が嗣子無くして断絶すると、ヴァロワ家のフランス王ジャン2世が公位を継承し、1363年に息子のフィリップ2世に引き継がれた(この家系はヴァロワ=ブルゴーニュ家と呼ばれる)。
ロベール1世(1032年 - 1076年)ブルゴーニュ公:1032年 - 1076年
ユーグ1世(1076年 - 1079年)ブルゴーニュ公:1076年 - 1079年
ウード1世(1079年 - 1103年)ブルゴーニュ公:1079年 - 1103年
ユーグ2世(1103年 - 1143年)ブルゴーニュ公:1103年 - 1143年
ウード2世(1143年 - 1162年)ブルゴーニュ公:1143年 - 1162年
ユーグ3世(1162年 - 1192年)ブルゴーニュ公:1162年 - 1192年
ウード3世(1192年 - 1218年)ブルゴーニュ公:1192年 - 1218年
ユーグ4世(1218年 - 1271年)ブルゴーニュ公:1218年 - 1271年
ロベール2世(1271年 - 1306年)ブルゴーニュ公:1271年 - 1306年
ユーグ5世(1306年 - 1315年)ブルゴーニュ公:1306年 - 1315年
ウード4世(1315年 - 1350年)ブルゴーニュ公:1315年 - 1350年
フィリップ1世(1350年 - 1361年)ブルゴーニュ公:1350年 - 1361年
断絶のためヴァロワ家が継承(ジャン2世)。
ポルトガル王家[編集]
詳細は「ブルゴーニュ王朝」、「アヴィシュ王朝」、および「ブラガンサ王朝」を参照
ブルゴーニュ公ウード1世の弟エンリケはイベリア半島でレコンキスタに参加し、カスティーリャ王アルフォンソ6世によってポルトゥカーレ伯に封じられた。その息子アフォンソ1世は初代ポルトガル王に即位してブルゴーニュ王朝を開く。
最後の王フェルナンド1世が死ぬと、異母弟ジョアン1世がアヴィシュ王朝を新たに立て、この王朝の下でポルトガルは黄金時代を迎える。その断絶後にポルトガルはスペイン・ハプスブルク家の統治下に入るが、1640年にアヴィシュ家傍系のジョアン4世がポルトガル王として独立する。以後、ブラガンサ王朝が1910年までポルトガルを支配し、ブラジル皇帝も出している。
ボルゴーニャ家[編集]
エンリケ(1093年 - 1112年)
アフォンソ1世(1112年 - 1185年)ポルトガル王:1139年 - 1185年
サンシュ1世(1185年 - 1211年)ポルトガル王:1185年 - 1211年
アフォンソ2世(1211年 - 1223年)ポルトガル王:1211年 - 1223年
サンシュ2世(1223年 - 1248年)ポルトガル王:1223年 - 1248年
アフォンソ3世(1248年 - 1279年)ポルトガル王:1248年 - 1279年
ディニス1世(1279年 - 1325年)ポルトガル王:1279年 - 1325年
アフォンソ4世(1325年 - 1357年)ポルトガル王:1325年 - 1357年
ペドロ1世(1357年 - 1367年)ポルトガル王:1357年 - 1367年
フェルナンド1世(1367年 - 1383年)ポルトガル王:1367年 - 1383年
ベアトリス(1383年 - 1385年)
アルジュバロータの戦いによりアヴィシュ家が継承。
アヴィシュ家[編集]
ジョアン1世(1385年 - 1433年)ポルトガル王:1385年 - 1433年
ドゥアルテ1世(1433年 - 1438年)ポルトガル王:1433年 - 1438年
アフォンソ5世(1438年 - 1481年)ポルトガル王:1438年 - 1477年、1477年 - 1481年
ジョアン2世(1481年 - 1495年)ポルトガル王:1477年、1481年 - 1495年
嫡流断絶のためアヴィシュ=ベージャ家が継承。
アヴィシュ=ベージャ家[編集]
マヌエル1世(1495年 - 1521年)ポルトガル王:1495年 - 1521年
ジョアン3世(1521年 - 1557年)ポルトガル王:1521年 - 1557年
セバスティアン1世(1521年 - 1578年)ポルトガル王:1521年 - 1578年
エンリケ1世(1578年 - 1580年)ポルトガル王:1578年 - 1580年
嫡流断絶のためスペイン・ハプスブルク家が継承(フェリペ2世)。
ブラガンサ家[編集]
アフォンソ1世(1442年 - 1461年)
フェルナンド1世(1461年 - 1478年)
フェルナンド2世(1478年 - 1483年)
ジャイメ1世(1483年 - 1532年)
テオドジオ1世(1532年 - 1563年)
ジョアン1世(1563年 - 1583年)
テオドジオ2世(1583年 - 1630年)
ジョアン4世(1630年 - 1656年)ポルトガル王:1640年 - 1656年
アフォンソ6世(1656年 - 1683年)ポルトガル王:1656年 - 1683年
ペドロ2世(1683年 - 1706年)ポルトガル王:1683年 - 1706年
ジョアン5世(1706年 - 1750年)ポルトガル王:1706年 - 1750年
ジョゼ1世(1750年 - 1777年)ポルトガル王:1750年 - 1777年
マリア1世(1777年 - 1816年)ポルトガル女王:1777年 - 1816年、ブラジル女王:1815年 - 1816年
(共同統治) ペドロ3世(1777年 - 1786年)
ジョアン6世(1816年 - 1826年)ポルトガル王:1816年 - 1826年、ブラジル王:1816年 - 1822年
ペドロ1世(1826年 - 1834年)ブラジル皇帝:1822年 - 1831年、ポルトガル王:1826年
ペドロ1世以降のブラガンサ家[編集]
ポルトガル王家[編集]
マリア2世(1834年 - 1853年)ポルトガル女王:1826年 - 1828年、1834年 - 1853年
男系断絶のためブラガンサ=コブルゴ家へ(配偶者:フェルナンド2世)。
ブラジル皇帝家[編集]
ペドロ2世(1834年 - 1891年)ブラジル皇帝:1831年 - 1889年
イザベル(1891年 - 1921年)
男系断絶のためオルレアンス=ブラガンサ家へ(配偶者:ガスタン)。
ミゲル1世系[編集]
ミゲル1世(1834年 - 1866年)ポルトガル王:1828年 - 1834年
ミゲル2世(1866年 - 1920年)
ドゥアルテ・ヌノ(1920年 - 1976年)
ドゥアルテ・ピオ(1976年 - )
ヴェルマンドワ家[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
「:de:Haus Frankreich-Vermandois」も参照
フィリップ1世の弟ユーグは、ヴェルマンドワ伯の女子相続人と結婚してヴェルマンドワ伯となった。この家系をヴェルマンドワ家と呼ぶ。ユーグは破門中の兄に代わって第1回十字軍に参加した。
ユーグ1世(1080年 - 1102年)
ラウール1世(1102年 - 1152年)
ラウール2世(1152年 - 1167年)
エリザベート(1167年 - 1183年)
男系断絶のためアルザス家が継承(配偶者:フィリップ1世)。
ドルー家[編集]
詳細は「ドルー家」を参照
ルイ7世の弟ロベール1世はドルー伯に封じられ、その家系であるドルー家の本家は14世紀まで続いた。
ドルー伯ロベール3世の弟ピエール1世はブルターニュ公国の女公アリックスと結婚し、この家系はフランス内で独自の勢力を築いた。しかし、最後の公フランソワ2世には娘のアンヌしかおらず、彼女がヴァロワ家のシャルル8世と結婚したことで、ブルターニュは後にフランス王領へと併合される。
ドルー伯家[編集]
ロベール1世(1137年 - 1184年)
ロベール2世(1184年 - 1218年)
ロベール3世(1218年 - 1234年)
ジャン1世(1234年 - 1249年)
ロベール4世(1249年 - 1282年)
ジャン2世(1282年 - 1309年)
ロベール5世(1309年 - 1329年)
ジャン3世(1329年 - 1331年)
ピエール1世(1331年 - 1345年)
ジャンヌ1世(1345年 - 1346年)
ジャンヌ2世(1346年 - 1355年)
男系断絶のためトゥアール家が継承(配偶者:ルイ1世)。
ドルー=ブルターニュ家[編集]
ピエール1世(1213年 - 1237年)ブルターニュ公:1213年 - 1237年
ジャン1世(1237年 - 1286年)ブルターニュ公:1237年 - 1286年
ジャン2世(1286年 - 1305年)ブルターニュ公:1286年 - 1305年
アルテュール2世(1305年 - 1312年)ブルターニュ公:1305年 - 1312年
ジャン3世(1312年 - 1341年)ブルターニュ公:1312年 - 1341年
ジャン(1341年 - 1345年)
ジャン4世(1345年 - 1399年)ブルターニュ公:1365年 - 1499年
ジャン5世(1399年 - 1442年)ブルターニュ公:1399年 - 1442年
フランソワ1世(1442年 - 1450年)ブルターニュ公:1442年 - 1450年
ピエール2世(1450年 - 1457年)ブルターニュ公:1450年 - 1457年
アルテュール3世(1457年 - 1458年)ブルターニュ公:1457年 - 1458年
フランソワ2世(1458年 - 1488年)ブルターニュ公:1458年 - 1488年
アンヌ(1488年 - 1514年)ブルターニュ女公:1488年 - 1514年
男系断絶のためヴァロワ家が継承(配偶者:ルイ12世)。
クルトネー家[編集]
ルイ7世の弟ピエール1世を祖とするクルトネー家 (en) は18世紀まで存続した。ピエールの息子ピエール2世は第四回十字軍の後に建てられたラテン帝国の皇帝位に就いた。しかし、ピエール1世の息子ボードゥアン2世の時にニカイア帝国によって駆逐された。
ピエール(1150年 - 1183年)
ピエール(1183年 - 1219年)ラテン皇帝:1216年 - 1219年
ロベール(1219年 - 1228年)ラテン皇帝:1219年 - 1228年
ボードゥアン2世(1228年 - 1273年)ラテン皇帝:1228年 - 1261年
フィリップ(1273年 - 1283年)
カトリーヌ(1283年 - 1307年)
男系断絶によりヴァロワ家が継承(配偶者:シャルル)。
アルトワ家[編集]
ルイ9世の弟アルトワ伯ロベール1世を祖とするアルトワ家 (fr) は15世紀まで続いた。ロベール1世の娘ブランシュはナバラ王エンリケ1世と結婚して女王フアナ1世の母后となり、カペー朝末期にナバラとフランスの同君連合を成立させた。ロベール1世から4代後のロベール3世はイングランド王エドワード3世に加担して百年戦争の原因の一つを作った。
ロベール1世(1237年 - 1250年)
ロベール2世(1250年 - 1302年)
マオー(1302年 - 1320年)
男系断絶のためアンスカリ家が継承(配偶者:オトン4世)。
アンジュー=シチリア家[編集]
詳細は「アンジュー=シチリア家」、「ナポリ・アンジュー朝」、「ハンガリー・アンジュー朝」、および「ポーランド・アンジュー朝」を参照
ルイ9世の末弟シャルル・ダンジューはシチリア王国を支配していたホーエンシュタウフェン家を滅亡させて、1268年にシチリア王に即位する。しかし、シチリアの晩祷事件を契機としてシチリア島をアラゴン王国に奪われ、最後の君主となったジョヴァンナ2世が1435年に死去するまではナポリ王家として続いた。
一方、一族のカーロイ・ローベルトはハンガリー王となり、その息子ラヨシュ1世はポーランド王も兼ねている。ラヨシュ死後は2人の娘に王国は分割されているが、両人とも夫との間に子を生さなかったため血筋は絶えている。
ルイ10世の2番目の王妃でジャン1世を生んだクレマンス・ド・オングリー、ヴァロワ伯シャルルの最初の妃でフィリップ6世の母であるマルグリット・ダンジューはこの家系の出身である。
アンジュー=シチリア家[編集]
カルロ1世(1247年 - 1285年)シチリア王:1266年 - 1282年、アカイア公:1278年 - 1285年、ナポリ王:1282年 - 1285年
カルロ2世(1285年 - 1309年)ナポリ王:1285年 - 1309年、アカイア公:1285年 - 1289年
ロベルト1世(1309年 - 1343年)ナポリ王:1309年 - 1343年、アカイア公:1318年 - 1322年
ジョヴァンナ1世(1343年 - 1382年)ナポリ女王:1343年 - 1382年、アカイア女公:1373年 - 1381年
断絶のためアンジュー=ドゥラッツォ家が継承(カルロ3世)。
アンジュー=ハンガリー家[編集]
カーロイ(1290年 - 1295年)
カーロイ1世(1295年 - 1342年)ハンガリー王:1308年 - 1342年
ラヨシュ1世(1342年 - 1382年)ハンガリー王:1342年 - 1382年、ポーランド王1370年 - 1382年
ラヨシュ1世以降のアンジュー=ハンガリー家[編集]
ハンガリー王家[編集]
マーリア(1382年 - 1395年)ハンガリー女王:1382年 - 1385年、1386年 - 1395年
男系断絶のためルクセンブルク家が継承(配偶者:ジギスムント)。
ポーランド王家[編集]
ヤドヴィガ(1382年 - 1399年)ポーランド女王:1382年 - 1399年
男系断絶のためヤギェウォ家が継承(配偶者:ヴワディスワフ2世)。
アンジュー=ドゥラッツォ家[編集]
ジョヴァンニ(1332年 - 1336年)アカイア公:1322年 - 1332年
カルロ(1336年 - 1348年)
ルイージ(1348年 - 1362年)
カルロ3世(1362年 - 1386年)ナポリ王:1382年 - 1386年、ハンガリー王:1385年 - 1386年
ラディズラーオ1世(1386年 - 1417年)ナポリ王:1382年 - 1389年、1399年 - 1417年
ジョヴァンナ2世(1413年 - 1435年)ナポリ女王:1413年 - 1435年
断絶のためヴァロワ=アンジュー家が継承(ルネ)。
アンジュー=ターラント家[編集]
フィリッポ1世(1294年 - 1332年)アカイア公:1307年 - 1313年
ローベルト(1332年 - 1364年)アカイア公:1332年 - 1364年
フィリッポ2世(1364年 - 1374年)アカイア公:1364年 - 1373年
断絶のためレ・ボー家が継承(ジャコモ)。
ブルボン家[編集]
詳細は「ブルボン家」、「ブルボン朝」、「スペイン・ブルボン朝」、「シチリア・ブルボン朝」、および「ブルボン=パルマ家」を参照
フィリップ3世の弟クレルモン伯ロベールを祖とするブルボン家はアンリ4世の時代にフランス王位を獲得してブルボン朝を築き、更にはスペイン・ナポリ・シチリアの王位も獲得している。
ブルボン公家[編集]
ロベール(1287年 - 1317年)
ルイ1世(1317年 - 1342年)
ピエール1世(1342年 - 1356年)
ルイ2世(1356年 - 1410年)
ジャン1世(1410年 - 1434年)
シャルル1世(1434年 - 1456年)
ジャン2世(1456年 - 1488年)
シャルル2世(1488年)
ピエール2世(1488年 - 1503年)
シュザンヌ(1503年 - 1521年)
男系断絶のためブルボン=モンパンシエ家が継承(配偶者:シャルル3世)。
第一ブルボン=モンパンシエ家[編集]
ルイ1世(1434年 - 1486年)
ジルベール(1486年 - 1496年)
ルイ2世(1496年 - 1501年)
シャルル3世(1501年 - 1527年)
断絶のためブルボン=ヴァンドーム家が継承(シャルル)。
ブルボン=ラ・マルシュ家[編集]
ジャック1世(1356年 - 1362年)
ピエール1世(1362年)
ジャン1世(1362年 - 1393年)
ジャック2世(1393年 - 1435年)
エレオノール(1435年 - 1462年)
男系断絶のためアルマニャック家が継承(配偶者:ベルナール8世)。
ブルボン=ヴァンドーム家(フランス・ブルボン家)[編集]
ルイ1世(1393年 - 1446年)
ジャン8世(1446年 - 1477年)
フランソワ(1477年 - 1495年)
シャルル(1495年 - 1537年)
アントワーヌ(1537年 - 1562年)ナバラ王:1555年 - 1562年
アンリ4世(1562年 - 1610年)ナバラ王:1562年 - 1610年、フランス王:1589年 - 1610年
ルイ13世(1601年 - 1643年)ナバラ王:1610年 - 1620年、フランス王:1610年 - 1643年
ルイ14世(1643年 - 1715年)フランス王:1643年 - 1715年
ルイ15世(1715年 - 1774年)フランス王:1715年 - 1774年
ルイ16世(1774年 - 1793年)フランス王:1774年 - 1792年
ルイ17世(1793年 - 1795年)
ルイ18世(1795年 - 1824年)フランス王:1814年 - 1815年、1815年 - 1824年
シャルル10世(1824年 - 1836年)フランス王:1824年 - 1830年
ルイ・アントワーヌ(1836年 - 1844年)
アンリ(1844年 - 1883年)
第二ブルボン=モンパンシエ家[編集]
ルイ3世(1561年 - 1582年)
フランソワ(1582年 - 1592年)
アンリ(1592年 - 1608年)
マリー(1608年 - 1627年)
男系断絶のためブルボン家が継承(配偶者:ガストン)。
ヴァロワ家[編集]
詳細は「ヴァロワ家」および「ヴァロワ朝」を参照
フィリップ4世の弟シャルルはヴァロワ伯となったが、その息子フィリップ6世はカペー家嫡系の断絶を受けて1328年にフランス王に即位し、ヴァロワ朝を開いた。 最後の王アンリ3世は短期間ポーランド王兼リトアニア大公に就いていた。
エヴルー家[編集]
詳細は「エヴルー家」を参照
フィリップ4世の弟ルイはエヴルー伯に封じられたが、その息子フィリップはルイ10世の娘ジャンヌと結婚してナバラ王位を獲得した。カペー家嫡系およびヴァロワ家とは他にも複雑な婚姻関係を結んでいる。
エヴルー家はヴァロワ家に次いでカペー家嫡系に近い家系であったことから、フランス王位やブルゴーニュ公位の獲得に野心を燃やしたが果たされず、ナバラ女王ブランカ1世が1441年に死去して断絶した。
系図[編集]
ロベール
ネウストリア辺境伯
ウード
西フランク王
ロベール1世
西フランク王
ベアトリス・ド・ヴェルマンドワ
ハインリヒ1世
ドイツ王
ユーグ
パリ伯
ヘートヴィヒ
オットー1世
神聖ローマ皇帝
ユーグ・カペー
フランス王
ウード=アンリ
ブルゴーニュ公
ロベール2世
フランス王
ユーグ
フランス共同統治王
アンリ1世
フランス王
ロベール1世
ブルゴーニュ公
(ブルゴーニュ家)
フィリップ1世
フランス王
ユーグ1世
ヴェルマンドワ伯
(ヴェルマンドワ家)
アンリ
ルイ6世
フランス王
ユーグ1世
ブルゴーニュ公
ウード1世
ブルゴーニュ公
アンリ(エンリケ)
ポルトゥカーレ伯
フィリップ
フランス共同統治王
ルイ7世
フランス王
アンリ
ランス大司教
ロベール1世
ドルー伯
(ドルー家)
フィリップ
パリ司教
ピエール1世・ド・クルトネー
(クルトネー家)
ユーグ2世
ブルゴーニュ公
アフォンソ1世
ポルトガル王
フィリップ2世
フランス王
ロベール2世
ドルー伯
ルイ8世
フランス王
フィリップ・ユルプル
クレルモン伯
ロベール3世
ドルー伯
ピエール1世
ブルターニュ公
ルイ9世
フランス王
ロベール1世
アルトワ伯
(アルトワ家)
シャルル・ダンジュー(カルロ1世)
シチリア王
(アンジュー=シチリア家)
フィリップ3世
フランス王
ロベール
クレルモン伯
フィリップ4世
フランス王
ナバラ王
ジャンヌ(フアナ)1世
ナバラ女王
シャルル
ヴァロワ伯
(ヴァロワ家)
ルイ
エヴルー伯
(エヴルー家)
ルイ1世
ブルボン公
(ブルボン家)
ルイ10世
フランス王
ナバラ王
フィリップ5世
フランス王
ナバラ王
ジャンヌ2世
ブルゴーニュ女伯
シャルル4世
フランス王
ナバラ王
ジャンヌ・デヴルー
フィリップ6世
フランス王
フィリップ(フェリペ)3世
ナバラ王
ジャン1世
フランス王
ナバラ王
ジャンヌ(フアナ)2世
ナバラ女王
ジャンヌ3世
ブルゴーニュ女伯
マルグリット1世
ブルゴーニュ女伯
ブランシュ
フィリップ
オルレアン公
ジャン2世
フランス王
シャルル(カルロス)2世
ナバラ王
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