2014年02月07日
仏陀
仏陀(ぶつだ、ブッダ、梵:बुद्ध buddha)は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。buddha はサンスクリットで「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味である。
目次 [非表示]
1 「佛」の字について
2 仏陀の範囲
3 仏陀への信仰
4 十号
5 菩薩の五十二位
6 俗称・隠語としての「仏」
7 関連項目
8 脚注
「佛」の字について[編集]
「仏」(ぶつ)の字は、通常は中国、宋・元時代頃から民間で用いられた略字として知られるが、唐の時代にはすでに多く使われており、日本の空海も最澄宛の『風信帖』(国宝)の中で使用している。これを漢字作成時の地域による使用文字の違いと見る有力な説がある。
中国において buddha を「佛」という字を新たに作成して音写したのは、おそらく中国に buddha に当たる意味の語がなかったためであろう。この「佛」の語は、中央アジアの "but" もしくは "bot" に近い発音を音写したもので、元北京大学の季羨林教授によれば、この語はトカラ語からの音写であるとするが、根拠は不明である。
4世紀以後に仏典がサンスクリットで書かれて、それが漢文訳されるようになると、buddha は「佛陀」と2字で音写されるようになる。つまり、「佛陀」が省略されて「佛」表記されたのではなく、それ以前に「佛」が buddha を意味していたことに注意すべきである。[1]
「佛」の発音については、「拂」「沸」の発音が *p‘iuet であるから、初期には「佛」も同じかそれに近かったと考えられる。この字は「人」+「弗」(音符)の形声文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉であって、局面的な否定を含んでおり、「……ではありながら、そうではない・背くもの」という意味を持っている。その意味で、buddha が単に音だけで「佛」という字が当てられたのではなく、「(もとは)人間ではあるが、今は非(超と捉える説もある)人的存在」となっているものを意味したとも考えられる。なお、「仏」の右の旁(つくり)は、「私」の旁である「ム」から来ていると見られている。
仏陀の範囲[編集]
基本的には仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とする。しかし初期の経典でも燃燈仏や過去七仏など仏陀の存在を説いたものもあり、またジャイナ教の文献にはマハーヴィーラを「ブッダ」と呼んだ形跡があることなどから、古代インドの限られた地域社会の共通認識としては既に仏陀が存在したことを示している。
しかして時代を経ると、その仏陀思想がさらに展開され大乗経典が創作されて盛り込まれた。このため一切経(すべての経典)では、釈迦自身以外にも数多くの仏陀が大宇宙に存在している事が説かれた。例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『阿弥陀経』や『法華経』などである。
また、
多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。
悟り(光明)を得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これは仏教、ことに密教に由来するもので、ヴェーダの宗教の伝統としてあるわけではないと思われる。
一般には、釈迦と同じ意識のレベルに達した者や存在を「ブッダ」と呼ぶようになったり、ヴェーダの宗教のアートマンのように、どんな存在にも内在する真我を「ブッダ」と呼んだり、「仏性」とよんだりする。場合によれば宇宙の根本原理であるブラフマンもブッダの概念に含まれることもある。
近年になって仏教が欧米に広く受け入れられるようになって、禅やマニ教の影響を受けて「ニューエイジ」と呼ばれる宗教的哲学的な運動が広まり、光明を得た存在を「ブッダ」と呼ぶ伝統が一部に広まった。
仏陀への信仰[編集]
釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する唯一神(主催神、絶対神)の存在を認めなかった。その一方、経典のなかでは、従来は超越的な「神」(deva, 天部)としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で「神」と呼ばれる多くの神々が護法善神として仏教神話の体系に組み込まれていった。また仏滅500年前後に大乗仏教が興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。
なお、釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかったとされる。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。そのため当初はレリーフなどでは、法輪で仏の存在を示していた。しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。とはいえ、死後300年を過ぎてから作られはじめたため実際の姿ではない。仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。
十号[編集]
詳細は「十号」を参照
仏典では仏陀をさまざまな表現で呼んでおり、これを十号という。
1.如来(にょらい、tathāgata (sanskrit)) - 多陀阿伽度と音写されている。真如より来現した人。
2.応供(おうぐ、arhat (sanskrit)) - 阿羅訶、阿羅漢と音写されている。煩悩の尽きた者。
3.明行足(みょうぎょうそく、vidyācaraṇa-saṃpanna(sanskrit)) - 宿命・天眼・漏尽の三明の行の具足者。
4.善逝(ぜんぜい、sugata (sanskrit)) - 智慧によって迷妄を断じ世間を出た者。
5.世間解(せけんげ、lokavid (sanskrit)) - 世間・出世間における因果の理を解了する者。
6.無上士(むじょうし、anuttra (sanskrit)) - 悟りの最高位である仏陀の悟りを開いた事から悟りに上が無いと言う意味。
7.調御丈夫(じょうごじょうぶ、vidyācaraṇa-saṃpanna (sanskrit)) - 御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。
8.天人師(てんにんし、śāstā-devamanuṣyāṇām (sanskrit)) - 天人の師となる者。
9.仏(ぶつ、buddha (sanskrit)) - 煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。
10.世尊(せそん、Bhagavat (sanskrit)) - 人天の尊敬を受ける栄光ある者。真実なる幸福者。
菩薩の五十二位[編集]
仏陀の悟りの位については、菩薩が仏となる修行過程として52の位が存在するともされている[2]ことが理解の助けとなる。
十信(下位から1段目〜10段目の悟り)
十住(下位から11段目〜20段目の悟り)
十行(下位から21段目〜30段目の悟り)
十廻向(下位から31段目〜40段目の悟り)
十地(下位から41段目〜50段目の悟り) - 41段目の初地の悟りを開いた人は、油断しても悟りの位が退転しない事から、特に「初歓喜地」と言われる。
等覚(下位から51段目の悟り) - 仏の悟りの位に等しい事から等覚と言われる
妙覚(下位から52段目の悟り) - 仏、仏陀、正覚
俗称・隠語としての「仏」[編集]
日本では、俗に死者の遺体を指して隠語で「ホトケ」という場合がある。これは一般的には、死後に成仏するという大乗仏教の考えから、ともいわれるが、それはあくまでも一部でしかなく正解とは言いがたい。たとえば浄土教では、たしかに死後に極楽へ転生すると解釈する。しかし、この娑婆世界こそが浄土であるという解釈を持つ宗派もある。
このため、死者を仏と呼ぶようになったのは、日本の中世以降、死者をまつる器として「瓫(ほとき、ほとぎ)」が用いられて、それが死者を呼ぶようになったという説もある。ただし、古来より日本では人間そのものが神であり(人神=ひとがみ)、仏教が伝来した当初は仏も神の一種と見なされたこと(蕃神=となりぐにのかみ)から推察して、人間そのものを仏と見立てて、ひいては先祖ないし死者をブッダの意味で「ほとけ」と呼んだとも考えられている。
目次 [非表示]
1 「佛」の字について
2 仏陀の範囲
3 仏陀への信仰
4 十号
5 菩薩の五十二位
6 俗称・隠語としての「仏」
7 関連項目
8 脚注
「佛」の字について[編集]
「仏」(ぶつ)の字は、通常は中国、宋・元時代頃から民間で用いられた略字として知られるが、唐の時代にはすでに多く使われており、日本の空海も最澄宛の『風信帖』(国宝)の中で使用している。これを漢字作成時の地域による使用文字の違いと見る有力な説がある。
中国において buddha を「佛」という字を新たに作成して音写したのは、おそらく中国に buddha に当たる意味の語がなかったためであろう。この「佛」の語は、中央アジアの "but" もしくは "bot" に近い発音を音写したもので、元北京大学の季羨林教授によれば、この語はトカラ語からの音写であるとするが、根拠は不明である。
4世紀以後に仏典がサンスクリットで書かれて、それが漢文訳されるようになると、buddha は「佛陀」と2字で音写されるようになる。つまり、「佛陀」が省略されて「佛」表記されたのではなく、それ以前に「佛」が buddha を意味していたことに注意すべきである。[1]
「佛」の発音については、「拂」「沸」の発音が *p‘iuet であるから、初期には「佛」も同じかそれに近かったと考えられる。この字は「人」+「弗」(音符)の形声文字であり、この「弗」は、「勿」「忽」「没」「非」などと同系の言葉であって、局面的な否定を含んでおり、「……ではありながら、そうではない・背くもの」という意味を持っている。その意味で、buddha が単に音だけで「佛」という字が当てられたのではなく、「(もとは)人間ではあるが、今は非(超と捉える説もある)人的存在」となっているものを意味したとも考えられる。なお、「仏」の右の旁(つくり)は、「私」の旁である「ム」から来ていると見られている。
仏陀の範囲[編集]
基本的には仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とする。しかし初期の経典でも燃燈仏や過去七仏など仏陀の存在を説いたものもあり、またジャイナ教の文献にはマハーヴィーラを「ブッダ」と呼んだ形跡があることなどから、古代インドの限られた地域社会の共通認識としては既に仏陀が存在したことを示している。
しかして時代を経ると、その仏陀思想がさらに展開され大乗経典が創作されて盛り込まれた。このため一切経(すべての経典)では、釈迦自身以外にも数多くの仏陀が大宇宙に存在している事が説かれた。例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『阿弥陀経』や『法華経』などである。
また、
多くの仏教の宗派では、「ブッダ(仏陀)」は釈迦だけを指す場合が多く、悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。
悟り(光明)を得た人物を「ブッダ」と呼ぶ場合があるが、これは仏教、ことに密教に由来するもので、ヴェーダの宗教の伝統としてあるわけではないと思われる。
一般には、釈迦と同じ意識のレベルに達した者や存在を「ブッダ」と呼ぶようになったり、ヴェーダの宗教のアートマンのように、どんな存在にも内在する真我を「ブッダ」と呼んだり、「仏性」とよんだりする。場合によれば宇宙の根本原理であるブラフマンもブッダの概念に含まれることもある。
近年になって仏教が欧米に広く受け入れられるようになって、禅やマニ教の影響を受けて「ニューエイジ」と呼ばれる宗教的哲学的な運動が広まり、光明を得た存在を「ブッダ」と呼ぶ伝統が一部に広まった。
仏陀への信仰[編集]
釈迦は自分の教説のなかで輪廻を超越する唯一神(主催神、絶対神)の存在を認めなかった。その一方、経典のなかでは、従来は超越的な「神」(deva, 天部)としてインド民衆に崇拝されてきた存在が仏陀の教えに帰依する守護神として描かれている。その傾向は時代を経ると加速され、ヴェーダの宗教で「神」と呼ばれる多くの神々が護法善神として仏教神話の体系に組み込まれていった。また仏滅500年前後に大乗仏教が興隆すると、人々は超越的な神に似た観念を仏陀に投影するようにもなった。
なお、釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかったとされる。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも尊像を造って祀るという習慣はなかった。したがって原始仏教もこの社会的背景の影響下にあった。そのため当初はレリーフなどでは、法輪で仏の存在を示していた。しかし、死後300年頃より彫像が作られはじめ、現在は歴史上もっとも多くの彫像をもつ実在の人物となっている。とはいえ、死後300年を過ぎてから作られはじめたため実際の姿ではない。仏陀の顔も身体つきも国や時代によって異なる。
十号[編集]
詳細は「十号」を参照
仏典では仏陀をさまざまな表現で呼んでおり、これを十号という。
1.如来(にょらい、tathāgata (sanskrit)) - 多陀阿伽度と音写されている。真如より来現した人。
2.応供(おうぐ、arhat (sanskrit)) - 阿羅訶、阿羅漢と音写されている。煩悩の尽きた者。
3.明行足(みょうぎょうそく、vidyācaraṇa-saṃpanna(sanskrit)) - 宿命・天眼・漏尽の三明の行の具足者。
4.善逝(ぜんぜい、sugata (sanskrit)) - 智慧によって迷妄を断じ世間を出た者。
5.世間解(せけんげ、lokavid (sanskrit)) - 世間・出世間における因果の理を解了する者。
6.無上士(むじょうし、anuttra (sanskrit)) - 悟りの最高位である仏陀の悟りを開いた事から悟りに上が無いと言う意味。
7.調御丈夫(じょうごじょうぶ、vidyācaraṇa-saṃpanna (sanskrit)) - 御者が馬を調御するように、衆生を調伏制御して悟りに至らせる者。
8.天人師(てんにんし、śāstā-devamanuṣyāṇām (sanskrit)) - 天人の師となる者。
9.仏(ぶつ、buddha (sanskrit)) - 煩悩を滅し、無明を断尽し、自ら悟り、他者を悟らせる者。
10.世尊(せそん、Bhagavat (sanskrit)) - 人天の尊敬を受ける栄光ある者。真実なる幸福者。
菩薩の五十二位[編集]
仏陀の悟りの位については、菩薩が仏となる修行過程として52の位が存在するともされている[2]ことが理解の助けとなる。
十信(下位から1段目〜10段目の悟り)
十住(下位から11段目〜20段目の悟り)
十行(下位から21段目〜30段目の悟り)
十廻向(下位から31段目〜40段目の悟り)
十地(下位から41段目〜50段目の悟り) - 41段目の初地の悟りを開いた人は、油断しても悟りの位が退転しない事から、特に「初歓喜地」と言われる。
等覚(下位から51段目の悟り) - 仏の悟りの位に等しい事から等覚と言われる
妙覚(下位から52段目の悟り) - 仏、仏陀、正覚
俗称・隠語としての「仏」[編集]
日本では、俗に死者の遺体を指して隠語で「ホトケ」という場合がある。これは一般的には、死後に成仏するという大乗仏教の考えから、ともいわれるが、それはあくまでも一部でしかなく正解とは言いがたい。たとえば浄土教では、たしかに死後に極楽へ転生すると解釈する。しかし、この娑婆世界こそが浄土であるという解釈を持つ宗派もある。
このため、死者を仏と呼ぶようになったのは、日本の中世以降、死者をまつる器として「瓫(ほとき、ほとぎ)」が用いられて、それが死者を呼ぶようになったという説もある。ただし、古来より日本では人間そのものが神であり(人神=ひとがみ)、仏教が伝来した当初は仏も神の一種と見なされたこと(蕃神=となりぐにのかみ)から推察して、人間そのものを仏と見立てて、ひいては先祖ないし死者をブッダの意味で「ほとけ」と呼んだとも考えられている。
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