2014年02月06日
二十四節気
二十四節気(にじゅうしせっき)は、1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。二十四気(にじゅうしき)ともいう。太陰太陽暦において月名を決定し、季節とのずれを調整するための指標として使われる。分割点には12の節気と12の中気が交互に配され、各月の朔日(1日)が対応する節気前後になるように月名を決める。実際には月中に次の中気が含まれるように決める。例えば雨水が含まれる月を「正月」と決めると元日の前後半月以内に立春があることになる。中気が含まれない月が現れた場合には閏月が設けられる。ただし、定気法においては例外の処理が必要となる。特に重要な中気である夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分を併せて二至二分といい、重要な節気である立春・立夏・立秋・立冬を四立、二至二分と四立を併せて八節という。
また1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれをさらに6つに分けた24の期間を表すものとして使われることがある。この場合、二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた、七十二候という分類があり、各気各候に応じた自然の特徴が記述された。日本では暦注など生活暦において使われている。
概要[編集]
二十四節気は、中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された区分手法の1つで、1年を12の「中気」と12の「節気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられている。なお、日本では、江戸時代の頃に用いられた暦から採用されたが、元々二十四節気は、中国の気候を元に名づけられたもので、日本の気候とは合わない名称や時期もある。そのため、それを補足するために二十四節気のほかに土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取りいれたのが、日本の旧暦となっている。
2011年には日本気象協会が現代日本の気候に合わせた、新しい二十四節気を創造する事を目標とした準備委員会を設けた。一般からも意見を募り、2012年の秋頃には“21世紀の二十四節気“を発表し、周知させていきたいという意向を示していた[1][2]。しかし、反対の声が多く寄せられたため、2012年9月にこの計画は中止となった。
成立の背景[編集]
月の運行のみに基づいた純粋太陰暦による日付は太陽の位置と無関係であるため、暦と四季の周期との間にずれが生じて農耕等に不便である。そこで古代中国では、本来の季節を知る目安として、太陽の運行を元にした二十四節気が暦に導入され、二十四節気による暦と月の運行による暦とのずれが1か月程度になったときに余分な1か月(閏月)を入れて調節するようになった。
二十四節気は、ある時期に突然に発明されたわけではなく、段階的に整備されてきたものである。二至二分は日時計(ノーモン)によって観察しやすいため古くから認識されていたと考えられ、殷周時代には日の最も短い冬至頃に年始が置かれていた。甲骨文字において月名は1、2、3といった序数で表されていたが、ときおり13月が用いられ、冬至から始まる年と月の運行に基づいた月とを調整していた。よって殷の暦法は太陰太陽暦であったが、高度な計算を用いたものではなく、自然の観察によって適宜ずれを修正するような素朴な暦法であった。なお二至二分の名称は、『尚書』尭典には夏至は「日永」、冬至は「日短」、春分は「日中」、秋分は「宵中」と書かれており、戦国時代末期の『呂氏春秋』では夏至は「日長至」、冬至は「日短至」、春分・秋分は「日夜分」と名付けられている。
二至二分の中間点に位置する四立に関しては『春秋左氏伝』僖公5年の「分至啓閉」という語の「啓」が立春・立夏、「閉」が立秋・立冬と考えられており、『呂氏春秋』において「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の語が使われていることから、戦国時代に一般化したと考えられる。なお古代中国人は1年12ヶ月を春・夏・秋・冬の四時に分け、正月・2月・3月を春、4月・5月・6月を夏、7月・8月・9月を秋、10月・11月・12月を冬とした。周では冬至を基準に年始が置かれていたが、戦国時代になると冬至の翌々月を年始とする夏正(夏暦)が各国で採用されるようになり、これにより冬至と春分の中間点が正月すなわち春の最初の節気にあたるようになったことで「立春」と名付けられ、他の二至二分四立も春夏秋冬の名が冠せられるようになったと考えられる。
その他の二十四節気の名称は前漢の『淮南子』において出そろっており、それまでの間に名称が固定化したと考えられる。八節をさらに3分割したのは、月と対応させるためである。戦国時代には19太陽年が235朔望月にほぼ等しいとするメトン周期を導入した四分暦が使われており、1太陽年を12分割した中気は19太陽年235朔望月に228存在し、7回ほど閏月を設ければ月と中気が対応してゆくことを導き出した。これにより中気をもとに月名を決定することが可能になり、漢の太初暦以降、中気を含まない月を閏月とする歳中置閏法が取られた。なお当時の天球分割法の一つに十二次があったが、節気は太陽の視位置が各次の境界である初点にある時、中気は各次の中間の中点にある時とされた(『漢書』律暦志)。
分割法[編集]
二十四節気は当初、冬至を計算の起点にして、1太陽年を24等分した約15日ごとに設けられた。これを平気法や恒気法または時間分割法という。しかし、地球の軌道は円ではなく楕円であるため、太陽の黄道上での運行速度は一定ではない。そこで、中国では清朝の時憲暦から、日本では天保暦から、黄道を春分点を起点とする15度ずつの24分点に分け、太陽がこの点を通過する時を二十四節気とすることにした。これを定気法または空間分割法という。
名称[編集]
二十四節気の名称は、発明された当時の物がほぼそのまま使われている。節気名称は実際の気温よりは太陽の高度を反映したものとなっている。日本では独自に雑節が設けられたり、本朝七十二候が作られたりした。
名称の由来を種類別に分けると以下のようになるだろう。
昼夜の長短を基準にした季節区分(各季節の中間点) - 春分・夏至・秋分・冬至
昼夜の長短を基準にした季節区分(各季節の始期) - 立春・立夏・立秋・立冬
気温 - 小暑・大暑・処暑・小寒・大寒
気象 - 雨水・白露・寒露・霜降・小雪・大雪
物候 - 啓蟄・清明・小満
農事 - 穀雨・芒種
暦月と節月[編集]
太陰太陽暦における1ヶ月は月の運行に基づき朔日から晦日までとする区切り方である。この月を暦月という。各暦月の名称は二十四節気を基準に定められる。暦では正月・2月・3月を春、4月・5月・6月を夏、7月・8月・9月を秋、10月・11月・12月を冬とする。なお暦注において暦月による月の区切り方を月切りという。
太陽黄経が30の倍数であるもの(春分・穀雨など)を中(中気)、そうでないもの(清明・立夏など)を節(正節、節気)という。節気から次の節気の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。日本において占いや年中行事を記す暦注の中で節切りによるものがよく使われ、また季語の分類も主として節切りで行われている。節月では、正月節(立春)から2月節(啓蟄)までが正月、2月節(啓蟄)から3月節(清明)までが2月、3月節(清明)から4月節(立夏)までが3月というようになり、立春から立夏までが春、立夏から立秋までが夏、立秋から立冬までが秋、立冬から立春までが冬というように定められる。
旧暦においては月名は、その月が含む中気によってきまる。従って雨水が正月15日以前にきたときは立春はその15日前なので、立春が前の年ということが起こり、これを「年内立春」という。古今集の「年のうちに春は来にけり、一年を去年とやいはむ、今年とやいはむ」はそのことを歌ったものである。
二十四節気一覧[編集]
カッコ内は太陽黄経と2014年における日付(日本時間)である(年によって変動する)。中気を含まない月を閏月とする。詳しくは閏月を参照のこと。
季節
節月
節(せつ)
中(ちゅう)
春
一月 立春(315度、2月4日) 雨水(330度、2月19日)
二月 啓蟄(345度、3月6日) 春分(0度、3月21日)
三月 清明(15度、4月5日) 穀雨(30度、4月20日)
夏
四月 立夏(45度、5月5日) 小満(60度、5月21日)
五月 芒種(75度、6月6日) 夏至(90度、6月21日)
六月 小暑(105度、7月7日) 大暑(120度、7月23日)
秋
七月 立秋(135度、8月7日) 処暑(150度、8月23日)
八月 白露(165度、9月8日) 秋分(180度、9月23日)
九月 寒露(195度、10月8日) 霜降(210度、10月23日)
冬
十月 立冬(225度、11月7日) 小雪(240度、11月22日)
十一月 大雪(255度、12月7日) 冬至(270度、12月22日)
十二月 小寒(285度、1月5日) 大寒(300度、1月20日)
なお、気象庁は、季節を表わす用語として、春は3〜5月、夏は6〜8月、秋は9〜11月、冬は12〜2月と公式に定めている。風習的あるいは便宜的にもそう定義されている感が強い。当然、実際の気温・湿度等の気候の変化とは、必ずしも一致しない場合もある。
また、テレビ番組やラジオ番組、特に定番ドラマの改編では春期を4月から6月、夏期を7月から9月、秋期を10月から12月、冬期を1月から3月と分けているケースがほとんどである(学校や官公庁・企業などの年度でもこのように区分している場合も多い)。これは、新年度の4月からの一年間を4等分するための日本の人為的な区分であって、社会通念・天文学的・気候学的な季節区分とは無関係である。
また1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、それぞれをさらに6つに分けた24の期間を表すものとして使われることがある。この場合、二十四節気をさらに約5日ずつの3つに分けた、七十二候という分類があり、各気各候に応じた自然の特徴が記述された。日本では暦注など生活暦において使われている。
概要[編集]
二十四節気は、中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された区分手法の1つで、1年を12の「中気」と12の「節気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられている。なお、日本では、江戸時代の頃に用いられた暦から採用されたが、元々二十四節気は、中国の気候を元に名づけられたもので、日本の気候とは合わない名称や時期もある。そのため、それを補足するために二十四節気のほかに土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取りいれたのが、日本の旧暦となっている。
2011年には日本気象協会が現代日本の気候に合わせた、新しい二十四節気を創造する事を目標とした準備委員会を設けた。一般からも意見を募り、2012年の秋頃には“21世紀の二十四節気“を発表し、周知させていきたいという意向を示していた[1][2]。しかし、反対の声が多く寄せられたため、2012年9月にこの計画は中止となった。
成立の背景[編集]
月の運行のみに基づいた純粋太陰暦による日付は太陽の位置と無関係であるため、暦と四季の周期との間にずれが生じて農耕等に不便である。そこで古代中国では、本来の季節を知る目安として、太陽の運行を元にした二十四節気が暦に導入され、二十四節気による暦と月の運行による暦とのずれが1か月程度になったときに余分な1か月(閏月)を入れて調節するようになった。
二十四節気は、ある時期に突然に発明されたわけではなく、段階的に整備されてきたものである。二至二分は日時計(ノーモン)によって観察しやすいため古くから認識されていたと考えられ、殷周時代には日の最も短い冬至頃に年始が置かれていた。甲骨文字において月名は1、2、3といった序数で表されていたが、ときおり13月が用いられ、冬至から始まる年と月の運行に基づいた月とを調整していた。よって殷の暦法は太陰太陽暦であったが、高度な計算を用いたものではなく、自然の観察によって適宜ずれを修正するような素朴な暦法であった。なお二至二分の名称は、『尚書』尭典には夏至は「日永」、冬至は「日短」、春分は「日中」、秋分は「宵中」と書かれており、戦国時代末期の『呂氏春秋』では夏至は「日長至」、冬至は「日短至」、春分・秋分は「日夜分」と名付けられている。
二至二分の中間点に位置する四立に関しては『春秋左氏伝』僖公5年の「分至啓閉」という語の「啓」が立春・立夏、「閉」が立秋・立冬と考えられており、『呂氏春秋』において「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の語が使われていることから、戦国時代に一般化したと考えられる。なお古代中国人は1年12ヶ月を春・夏・秋・冬の四時に分け、正月・2月・3月を春、4月・5月・6月を夏、7月・8月・9月を秋、10月・11月・12月を冬とした。周では冬至を基準に年始が置かれていたが、戦国時代になると冬至の翌々月を年始とする夏正(夏暦)が各国で採用されるようになり、これにより冬至と春分の中間点が正月すなわち春の最初の節気にあたるようになったことで「立春」と名付けられ、他の二至二分四立も春夏秋冬の名が冠せられるようになったと考えられる。
その他の二十四節気の名称は前漢の『淮南子』において出そろっており、それまでの間に名称が固定化したと考えられる。八節をさらに3分割したのは、月と対応させるためである。戦国時代には19太陽年が235朔望月にほぼ等しいとするメトン周期を導入した四分暦が使われており、1太陽年を12分割した中気は19太陽年235朔望月に228存在し、7回ほど閏月を設ければ月と中気が対応してゆくことを導き出した。これにより中気をもとに月名を決定することが可能になり、漢の太初暦以降、中気を含まない月を閏月とする歳中置閏法が取られた。なお当時の天球分割法の一つに十二次があったが、節気は太陽の視位置が各次の境界である初点にある時、中気は各次の中間の中点にある時とされた(『漢書』律暦志)。
分割法[編集]
二十四節気は当初、冬至を計算の起点にして、1太陽年を24等分した約15日ごとに設けられた。これを平気法や恒気法または時間分割法という。しかし、地球の軌道は円ではなく楕円であるため、太陽の黄道上での運行速度は一定ではない。そこで、中国では清朝の時憲暦から、日本では天保暦から、黄道を春分点を起点とする15度ずつの24分点に分け、太陽がこの点を通過する時を二十四節気とすることにした。これを定気法または空間分割法という。
名称[編集]
二十四節気の名称は、発明された当時の物がほぼそのまま使われている。節気名称は実際の気温よりは太陽の高度を反映したものとなっている。日本では独自に雑節が設けられたり、本朝七十二候が作られたりした。
名称の由来を種類別に分けると以下のようになるだろう。
昼夜の長短を基準にした季節区分(各季節の中間点) - 春分・夏至・秋分・冬至
昼夜の長短を基準にした季節区分(各季節の始期) - 立春・立夏・立秋・立冬
気温 - 小暑・大暑・処暑・小寒・大寒
気象 - 雨水・白露・寒露・霜降・小雪・大雪
物候 - 啓蟄・清明・小満
農事 - 穀雨・芒種
暦月と節月[編集]
太陰太陽暦における1ヶ月は月の運行に基づき朔日から晦日までとする区切り方である。この月を暦月という。各暦月の名称は二十四節気を基準に定められる。暦では正月・2月・3月を春、4月・5月・6月を夏、7月・8月・9月を秋、10月・11月・12月を冬とする。なお暦注において暦月による月の区切り方を月切りという。
太陽黄経が30の倍数であるもの(春分・穀雨など)を中(中気)、そうでないもの(清明・立夏など)を節(正節、節気)という。節気から次の節気の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。日本において占いや年中行事を記す暦注の中で節切りによるものがよく使われ、また季語の分類も主として節切りで行われている。節月では、正月節(立春)から2月節(啓蟄)までが正月、2月節(啓蟄)から3月節(清明)までが2月、3月節(清明)から4月節(立夏)までが3月というようになり、立春から立夏までが春、立夏から立秋までが夏、立秋から立冬までが秋、立冬から立春までが冬というように定められる。
旧暦においては月名は、その月が含む中気によってきまる。従って雨水が正月15日以前にきたときは立春はその15日前なので、立春が前の年ということが起こり、これを「年内立春」という。古今集の「年のうちに春は来にけり、一年を去年とやいはむ、今年とやいはむ」はそのことを歌ったものである。
二十四節気一覧[編集]
カッコ内は太陽黄経と2014年における日付(日本時間)である(年によって変動する)。中気を含まない月を閏月とする。詳しくは閏月を参照のこと。
季節
節月
節(せつ)
中(ちゅう)
春
一月 立春(315度、2月4日) 雨水(330度、2月19日)
二月 啓蟄(345度、3月6日) 春分(0度、3月21日)
三月 清明(15度、4月5日) 穀雨(30度、4月20日)
夏
四月 立夏(45度、5月5日) 小満(60度、5月21日)
五月 芒種(75度、6月6日) 夏至(90度、6月21日)
六月 小暑(105度、7月7日) 大暑(120度、7月23日)
秋
七月 立秋(135度、8月7日) 処暑(150度、8月23日)
八月 白露(165度、9月8日) 秋分(180度、9月23日)
九月 寒露(195度、10月8日) 霜降(210度、10月23日)
冬
十月 立冬(225度、11月7日) 小雪(240度、11月22日)
十一月 大雪(255度、12月7日) 冬至(270度、12月22日)
十二月 小寒(285度、1月5日) 大寒(300度、1月20日)
なお、気象庁は、季節を表わす用語として、春は3〜5月、夏は6〜8月、秋は9〜11月、冬は12〜2月と公式に定めている。風習的あるいは便宜的にもそう定義されている感が強い。当然、実際の気温・湿度等の気候の変化とは、必ずしも一致しない場合もある。
また、テレビ番組やラジオ番組、特に定番ドラマの改編では春期を4月から6月、夏期を7月から9月、秋期を10月から12月、冬期を1月から3月と分けているケースがほとんどである(学校や官公庁・企業などの年度でもこのように区分している場合も多い)。これは、新年度の4月からの一年間を4等分するための日本の人為的な区分であって、社会通念・天文学的・気候学的な季節区分とは無関係である。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/2198236
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック