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2014年02月11日
オーテリビアン
オーテリビアン(Hauterivian、オーテリーブ期)は、1億3640 ± 200万年前から1億3000 ± 150万年前にかけての、白亜紀における「期」と呼ばれる地質時代区分である。前の期はバランギニアン(バランジュ期)であり、次の期はバレミアン(バーレム期)である。
目次 [非表示]
1 層序の定義 1.1 細分化
2 この時代の古生物 2.1 哺乳類 Mammalia
2.2 鳥類 Aves
2.3 竜盤目 Saurischia
2.4 鳥盤目 Ornithischia
2.5 翼竜目 Pterosaulia
2.6 首長竜目 Plesiosauria
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
層序の定義[編集]
オーテリビアンは1873年、スイスの地質学者Eugène Renevierによって定められた。ヌーシャテル湖の湖畔にある街オートリーブにちなんでいる。
アンモナイトの一種Acanthodiscusが最初に現れる層を下限としている。2009年の時点でGSSP(国際境界模式層断面と断面上のポイント)はまだ定められていない。上限(バレミアンとの境界)はアンモナイトのSpitidiscus hugiiが最初に現れる層とされている。
細分化[編集]
テチス海が存在していた地域において、バランギニアンはアンモナイトに基づいた7つの層に分けられる(新しい時代から古い時代にかけて)。
Pseudothurmannia ohmi
Balearites balearis
Plesiospitidiscus ligatus
Subsaynella sayni
Lyticoceras nodosoplicatus
Crioceratites loryi
Acanthodiscus radiatus
この時代の古生物[編集]
イベロメソルニス
アフロベナトル
ハルピミムス
プシッタコサウルス
レプトクレイドゥス
哺乳類 Mammalia[編集]
エオバータル Eobaatar 発見地:スペイン、モンゴル
複数の種が白亜紀前期オーテリビアンからアルビアンにかけて生息していた。
鳥類 Aves[編集]
ガロルニス Gallornis 生息時代:ベリアシアンからオーテリビアン(未確定)
発見地:オセール(フランス)
イベロメソルニス Iberomesornis 生息時代:オーテリビアンからバレミアン
発見地:カスティーリャ=ラ・マンチャ州(スペイン)
竜盤目 Saurischia[編集]
獣脚亜目[1] Theropoda
アフロベナトル Afrovenator
ギンナレエミムス Ginnareemimus 生息時代:白亜紀前期バランギニアンからオーテリビアン
発見地:タイ
ハルピミムス Harpymimus 生息時代:白亜紀前期オーテリビアンからバレミアン
モンゴル
リガブエイノ Ligabueino
竜脚形亜目 Sauropodomorpha
ヒストリアサウルス Histriasaurus
アラゴサウルス Aragosaurus
鳥盤目 Ornithischia[編集]
鳥脚亜目 Ornithopoda
ヴァルドサウルス Valdosaurus 発見地:ワイト島(イングランド)、ニジェール
ドリオサウルスの仲間。
周飾頭亜目 Marginocephalia
プシッタコサウルス Psittacosaurus 発見地:モンゴル
翼竜目 Pterosaulia[編集]
デンドロリンコイデス Dendrorhynchoides 生息時代:ジュラ紀後期チトニアンの可能性がある
首長竜目 Plesiosauria[編集]
プレシオサウルス亜目 Plesiosauroidea
レプトクレイドゥス Leptocleidus
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1 層序の定義 1.1 細分化
2 この時代の古生物 2.1 哺乳類 Mammalia
2.2 鳥類 Aves
2.3 竜盤目 Saurischia
2.4 鳥盤目 Ornithischia
2.5 翼竜目 Pterosaulia
2.6 首長竜目 Plesiosauria
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
層序の定義[編集]
オーテリビアンは1873年、スイスの地質学者Eugène Renevierによって定められた。ヌーシャテル湖の湖畔にある街オートリーブにちなんでいる。
アンモナイトの一種Acanthodiscusが最初に現れる層を下限としている。2009年の時点でGSSP(国際境界模式層断面と断面上のポイント)はまだ定められていない。上限(バレミアンとの境界)はアンモナイトのSpitidiscus hugiiが最初に現れる層とされている。
細分化[編集]
テチス海が存在していた地域において、バランギニアンはアンモナイトに基づいた7つの層に分けられる(新しい時代から古い時代にかけて)。
Pseudothurmannia ohmi
Balearites balearis
Plesiospitidiscus ligatus
Subsaynella sayni
Lyticoceras nodosoplicatus
Crioceratites loryi
Acanthodiscus radiatus
この時代の古生物[編集]
イベロメソルニス
アフロベナトル
ハルピミムス
プシッタコサウルス
レプトクレイドゥス
哺乳類 Mammalia[編集]
エオバータル Eobaatar 発見地:スペイン、モンゴル
複数の種が白亜紀前期オーテリビアンからアルビアンにかけて生息していた。
鳥類 Aves[編集]
ガロルニス Gallornis 生息時代:ベリアシアンからオーテリビアン(未確定)
発見地:オセール(フランス)
イベロメソルニス Iberomesornis 生息時代:オーテリビアンからバレミアン
発見地:カスティーリャ=ラ・マンチャ州(スペイン)
竜盤目 Saurischia[編集]
獣脚亜目[1] Theropoda
アフロベナトル Afrovenator
ギンナレエミムス Ginnareemimus 生息時代:白亜紀前期バランギニアンからオーテリビアン
発見地:タイ
ハルピミムス Harpymimus 生息時代:白亜紀前期オーテリビアンからバレミアン
モンゴル
リガブエイノ Ligabueino
竜脚形亜目 Sauropodomorpha
ヒストリアサウルス Histriasaurus
アラゴサウルス Aragosaurus
鳥盤目 Ornithischia[編集]
鳥脚亜目 Ornithopoda
ヴァルドサウルス Valdosaurus 発見地:ワイト島(イングランド)、ニジェール
ドリオサウルスの仲間。
周飾頭亜目 Marginocephalia
プシッタコサウルス Psittacosaurus 発見地:モンゴル
翼竜目 Pterosaulia[編集]
デンドロリンコイデス Dendrorhynchoides 生息時代:ジュラ紀後期チトニアンの可能性がある
首長竜目 Plesiosauria[編集]
プレシオサウルス亜目 Plesiosauroidea
レプトクレイドゥス Leptocleidus
バランギニアン
バランギニアン(Valanginian、バランジュ期)は、1億4020 ± 300万年前から1億3640 ± 200万年前にかけての、白亜紀における「期」と呼ばれる地質時代区分である。白亜紀最初の期にあたるベリアシアン(ベリアス期)に次ぐ時代で、オーテリビアン(オーテリーブ期)の前にあたる。
目次 [非表示]
1 層序の定義 1.1 細分化
2 この時代の古生物 2.1 鳥類 Aves
2.2 竜盤目 Saurischia
2.3 鳥盤目 Ornithischia
2.4 翼竜目 Pterosaulia
2.5 ワニ形上目 Crocodylomorpha
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
層序の定義[編集]
バランギニアンはスイスのジュラ山脈、ヌーシャテルの北にあるバランギンという小さな街にちなみÉdouard Desorによって1853年に命名された。
バランギニアンは繊毛虫の一種であるCalpionellites darderiが最初に現れる地層を下限としている。2009年の時点でGSSP(国際境界模式層断面と断面上のポイント)はまだ定められていない。上限(オーテリビアンとの境界)はアンモナイトの一種であるAcanthodiscusの産出する層を基準としている。
細分化[編集]
バランギニアンはしばしば前期と後期に細分化される。境界となるのはアンモナイトの一種Saynoceras verrucosumが最初に現れる海進のあった層である。
テチス海が存在していた地域において、バランギニアンはアンモナイトに基づいた5つの層に分けられる(新しい時代から古い時代にかけて)。
Criosarasinella furcillata
Neocomites peregrinus
Saynoceras verrucosum
Busnardoites campylotoxus
Tirnovella pertransiens
この時代の古生物[編集]
ダコサウルス
エナリオサウルス
プテロダウストロ
ヒラエオサウルスの発見時の様子
鳥類 Aves[編集]
ガロルニス Gallornis[1]
ウィレイア Wyleyia[1]
竜盤目 Saurischia[編集]
獣脚亜目[2] Theropoda
ギンナレエミムス "Ginnareemimus"[1] 生息時代:白亜紀前期バランギニアンからオーテリビアン
発見地:タイ
ヌクウェバサウルス Nqwebasaurus[1]
ファエドロロサウルス Phaedrolosaurus[1]
シンジャンゴベナトル Xinjiangovenator
竜脚形亜目 Sauropodomorpha
アルゴアサウルス Algoasaurus[1]
ゼノポセイドン Xenoposeidon[1]
鳥盤目 Ornithischia[編集]
装盾亜目 Thyreophora
ヒラエオサウルス Hylaeosaurus
クラテロサウルス Craterosaurus[1]
パラントドン Paranthodon
ウエロサウルス Wuerhosaurus
鳥脚亜目 Ornithopoda
フルグロテリウム Fulgurotherium 発見地:オーストラリア
複数の鳥脚類の化石を一つの種のものと誤認した可能性がある。
イグアノドン Iguanodon 発見地:ヨーロッパ、北アメリカ
カングナサウルス Kangnasaurus 発見地:ケープ州(南アフリカ)
イグアノドン類のドリオサウルスではないかと考えられている。
ランジョウサウルス Lanzhousaurus 発見地:蘭州市(中国)
イグアノドン類の特徴を示す歯は驚くほど大きい。下顎の長さは1メートルを超える。
ヴァルドサウルス Valdosaurus 発見地:ワイト島(イングランド)、ニジェール
ドリオサウルスの仲間。
翼竜目 Pterosaulia[編集]
ロンコディクチス Lonchodectes
プテロダウストロ Pterodaustro 発見地:サンルイス州(アルゼンチン)、チリ
ワニ形上目 Crocodylomorpha[編集]
ダコサウルス Dakosaurus lapparenti[3]
エナリオサウルス Enaliosuchus[3] クリコサウルス Cricosaurusのシノニム。
マキモサウルス Machimosaurus
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1 層序の定義 1.1 細分化
2 この時代の古生物 2.1 鳥類 Aves
2.2 竜盤目 Saurischia
2.3 鳥盤目 Ornithischia
2.4 翼竜目 Pterosaulia
2.5 ワニ形上目 Crocodylomorpha
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
層序の定義[編集]
バランギニアンはスイスのジュラ山脈、ヌーシャテルの北にあるバランギンという小さな街にちなみÉdouard Desorによって1853年に命名された。
バランギニアンは繊毛虫の一種であるCalpionellites darderiが最初に現れる地層を下限としている。2009年の時点でGSSP(国際境界模式層断面と断面上のポイント)はまだ定められていない。上限(オーテリビアンとの境界)はアンモナイトの一種であるAcanthodiscusの産出する層を基準としている。
細分化[編集]
バランギニアンはしばしば前期と後期に細分化される。境界となるのはアンモナイトの一種Saynoceras verrucosumが最初に現れる海進のあった層である。
テチス海が存在していた地域において、バランギニアンはアンモナイトに基づいた5つの層に分けられる(新しい時代から古い時代にかけて)。
Criosarasinella furcillata
Neocomites peregrinus
Saynoceras verrucosum
Busnardoites campylotoxus
Tirnovella pertransiens
この時代の古生物[編集]
ダコサウルス
エナリオサウルス
プテロダウストロ
ヒラエオサウルスの発見時の様子
鳥類 Aves[編集]
ガロルニス Gallornis[1]
ウィレイア Wyleyia[1]
竜盤目 Saurischia[編集]
獣脚亜目[2] Theropoda
ギンナレエミムス "Ginnareemimus"[1] 生息時代:白亜紀前期バランギニアンからオーテリビアン
発見地:タイ
ヌクウェバサウルス Nqwebasaurus[1]
ファエドロロサウルス Phaedrolosaurus[1]
シンジャンゴベナトル Xinjiangovenator
竜脚形亜目 Sauropodomorpha
アルゴアサウルス Algoasaurus[1]
ゼノポセイドン Xenoposeidon[1]
鳥盤目 Ornithischia[編集]
装盾亜目 Thyreophora
ヒラエオサウルス Hylaeosaurus
クラテロサウルス Craterosaurus[1]
パラントドン Paranthodon
ウエロサウルス Wuerhosaurus
鳥脚亜目 Ornithopoda
フルグロテリウム Fulgurotherium 発見地:オーストラリア
複数の鳥脚類の化石を一つの種のものと誤認した可能性がある。
イグアノドン Iguanodon 発見地:ヨーロッパ、北アメリカ
カングナサウルス Kangnasaurus 発見地:ケープ州(南アフリカ)
イグアノドン類のドリオサウルスではないかと考えられている。
ランジョウサウルス Lanzhousaurus 発見地:蘭州市(中国)
イグアノドン類の特徴を示す歯は驚くほど大きい。下顎の長さは1メートルを超える。
ヴァルドサウルス Valdosaurus 発見地:ワイト島(イングランド)、ニジェール
ドリオサウルスの仲間。
翼竜目 Pterosaulia[編集]
ロンコディクチス Lonchodectes
プテロダウストロ Pterodaustro 発見地:サンルイス州(アルゼンチン)、チリ
ワニ形上目 Crocodylomorpha[編集]
ダコサウルス Dakosaurus lapparenti[3]
エナリオサウルス Enaliosuchus[3] クリコサウルス Cricosaurusのシノニム。
マキモサウルス Machimosaurus
ベリアシアン
ベリアシアン(Berriasian、ベリアス期)は、1億4550 ± 400万年前から1億4020 ± 300万年前にかけての、白亜紀全体のうちで最も古い「期」と呼ばれる地質時代区分である。ジュラ紀末期のチトニアン(チトン期)に次ぐ時代で、バランギニアン(バランジュ期)の前にあたる。
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1 層序の定義
2 この時代の古生物 2.1 哺乳類 Mammalia
2.2 鳥類 Aves
2.3 竜盤目 Saurischia
2.4 鳥盤目 Ornithischia
2.5 翼竜目 Pterosaulia
2.6 ワニ形上目 Crocodylomorpha
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
層序の定義[編集]
ベリアシアンは1869年のHenri Coquandによる文献に記載されており、フランスのアルデシュ県にあるベリアス村にちなんで名付けられた。イギリスのパーベック累層はベリアシアンのものであり、それまではパーベックとウェルデンがこの時代の基準として用いられていた。
ベリアシアンの始まり(白亜紀の始まりでもある)は慣習的にアンモナイトの一種であるBerriasella jacobiの出現によって定められてきた(GSSP:国際境界模式層断面と断面上のポイントによる)が、期の基準を明確化し、よりはっきりとした層序の区別をつけるために国際地質科学連合(IUGS)によって再検討がなされている。Nannoconus steinmanniiのような石灰質の微小な化石から、繊毛虫の一種であるCalpionellids、アンモナイト、花粉学や古地磁気学による情報が用いられているが、特にchron m18rという地磁気の記録が明白である。
テチス海が存在していた地域において、ベリアシアンはアンモナイトに基づいた4つの層に分けられる(新しい時代から古い時代にかけて)。
Thurmanniceras otopeta
Subthurmannia boissieri
Subthurmannia occitanica
Berriasella jacobi
ベリアシアン末期(バランギニアン初期)にはCalpionellidのCalpionellites darderiが初めて現れる。この化石はアンモナイトの Thurmanniceras pertransiens よりもわずかに下から見出せる。
この時代の古生物[編集]
ゲオサウルス
ステネオサウルス
近縁種を元にしたドロマエオサウロイデスの想像図
ベロロサウルスの上腕骨(正基準標本)
エキノドンの歯
ヒラエオサウルスの発見時の様子
オーウェノドンの下顎骨(正基準標本)
ヴァルドサウルスの腸骨
哺乳類 Mammalia[編集]
アルビオンバータル Albionbaatar 発見地:ドーセット(イングランド)
ボロドン Bolodon 発見地:ドーセット(イングランド)、スペイン
エクプレポウラクス Ecprepaulax 発見地:ポルトガル
ジェラードドン Gerhardodon 発見地:ドーセット(イングランド)
イベロドン Iberodon 発見地:ポルトガル
鳥類 Aves[編集]
ユーロリムノルニス Eurolimnornis[1]
ガロルニス Gallornis[2]
パラエオクルソルニス Palaeocursornis[1]
ウィレイア Wyleyia[2]
竜盤目 Saurischia[編集]
獣脚亜目[3] Theropoda
ドロマエオサウロイデス Dromaeosauroides
エンバサウルス Embasaurus
ヌテテス Nuthetes
竜脚形亜目 Sauropodomorpha
アルゴアサウルス Algoasaurus[2]
ガルベオサウルス Galveosaurus[2]
ペロロサウルス Pelorosaurus[2]
トゥリアサウルス Turiasaurus[2]
ゼノポセイドン Xenoposeidon[2]
鳥盤目 Ornithischia[編集]
エキノドン Echinodon[2] 発見地:スワネージ、ドーセット(イングランド)
ヘテロドントサウルス科。二足歩行の草食恐竜で全長60センチメートル前後。多くの鳥盤類と異なり、上顎に1本か2本の犬歯のような歯を持っていた。
装盾亜目 Thyreophora
ヒラエオサウルス Hylaeosaurus
パラントドン Paranthodon 発見地:カークウッド累層、ケープ州(南アフリカ)
全長4メートル、全高1.8メートル。ステゴサウルスの仲間で、ケントロサウルスに似た頭骨が見つかっている。
鳥脚亜目 Ornithopoda
オーウェノドン Owenodon[2]
ヴァルドサウルス Valdosaurus 発見地:ワイト島(イングランド)、ニジェール
ドリオサウルスの仲間。
翼竜目 Pterosaulia[編集]
プラタレオリンクス Plataleorhynchus
ワニ形上目 Crocodylomorpha[編集]
ダコサウルス Dakosaurus andiniensis
ゲオサウルス Geosaurus
ゴニオフォリス Goniopholis
リスボアサウルス Lisboasaurus
ステネオサウルス Steneosaurus
タラットスクス亜目 Thalattosuchia
マキモサウルス Machimosaurus 生息時代:ジュラ紀キンメリッジアンから白亜紀バランギニアン
発見地:オーストラリア、イングランド、ドイツ、ポルトガル、スイス
ステネオサウルス Steneosaurus 生息時代:ジュラ紀トアルシアンから
発見地:イングランド、フランス、ドイツ、スイス、モロッコ
目次 [非表示]
1 層序の定義
2 この時代の古生物 2.1 哺乳類 Mammalia
2.2 鳥類 Aves
2.3 竜盤目 Saurischia
2.4 鳥盤目 Ornithischia
2.5 翼竜目 Pterosaulia
2.6 ワニ形上目 Crocodylomorpha
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
層序の定義[編集]
ベリアシアンは1869年のHenri Coquandによる文献に記載されており、フランスのアルデシュ県にあるベリアス村にちなんで名付けられた。イギリスのパーベック累層はベリアシアンのものであり、それまではパーベックとウェルデンがこの時代の基準として用いられていた。
ベリアシアンの始まり(白亜紀の始まりでもある)は慣習的にアンモナイトの一種であるBerriasella jacobiの出現によって定められてきた(GSSP:国際境界模式層断面と断面上のポイントによる)が、期の基準を明確化し、よりはっきりとした層序の区別をつけるために国際地質科学連合(IUGS)によって再検討がなされている。Nannoconus steinmanniiのような石灰質の微小な化石から、繊毛虫の一種であるCalpionellids、アンモナイト、花粉学や古地磁気学による情報が用いられているが、特にchron m18rという地磁気の記録が明白である。
テチス海が存在していた地域において、ベリアシアンはアンモナイトに基づいた4つの層に分けられる(新しい時代から古い時代にかけて)。
Thurmanniceras otopeta
Subthurmannia boissieri
Subthurmannia occitanica
Berriasella jacobi
ベリアシアン末期(バランギニアン初期)にはCalpionellidのCalpionellites darderiが初めて現れる。この化石はアンモナイトの Thurmanniceras pertransiens よりもわずかに下から見出せる。
この時代の古生物[編集]
ゲオサウルス
ステネオサウルス
近縁種を元にしたドロマエオサウロイデスの想像図
ベロロサウルスの上腕骨(正基準標本)
エキノドンの歯
ヒラエオサウルスの発見時の様子
オーウェノドンの下顎骨(正基準標本)
ヴァルドサウルスの腸骨
哺乳類 Mammalia[編集]
アルビオンバータル Albionbaatar 発見地:ドーセット(イングランド)
ボロドン Bolodon 発見地:ドーセット(イングランド)、スペイン
エクプレポウラクス Ecprepaulax 発見地:ポルトガル
ジェラードドン Gerhardodon 発見地:ドーセット(イングランド)
イベロドン Iberodon 発見地:ポルトガル
鳥類 Aves[編集]
ユーロリムノルニス Eurolimnornis[1]
ガロルニス Gallornis[2]
パラエオクルソルニス Palaeocursornis[1]
ウィレイア Wyleyia[2]
竜盤目 Saurischia[編集]
獣脚亜目[3] Theropoda
ドロマエオサウロイデス Dromaeosauroides
エンバサウルス Embasaurus
ヌテテス Nuthetes
竜脚形亜目 Sauropodomorpha
アルゴアサウルス Algoasaurus[2]
ガルベオサウルス Galveosaurus[2]
ペロロサウルス Pelorosaurus[2]
トゥリアサウルス Turiasaurus[2]
ゼノポセイドン Xenoposeidon[2]
鳥盤目 Ornithischia[編集]
エキノドン Echinodon[2] 発見地:スワネージ、ドーセット(イングランド)
ヘテロドントサウルス科。二足歩行の草食恐竜で全長60センチメートル前後。多くの鳥盤類と異なり、上顎に1本か2本の犬歯のような歯を持っていた。
装盾亜目 Thyreophora
ヒラエオサウルス Hylaeosaurus
パラントドン Paranthodon 発見地:カークウッド累層、ケープ州(南アフリカ)
全長4メートル、全高1.8メートル。ステゴサウルスの仲間で、ケントロサウルスに似た頭骨が見つかっている。
鳥脚亜目 Ornithopoda
オーウェノドン Owenodon[2]
ヴァルドサウルス Valdosaurus 発見地:ワイト島(イングランド)、ニジェール
ドリオサウルスの仲間。
翼竜目 Pterosaulia[編集]
プラタレオリンクス Plataleorhynchus
ワニ形上目 Crocodylomorpha[編集]
ダコサウルス Dakosaurus andiniensis
ゲオサウルス Geosaurus
ゴニオフォリス Goniopholis
リスボアサウルス Lisboasaurus
ステネオサウルス Steneosaurus
タラットスクス亜目 Thalattosuchia
マキモサウルス Machimosaurus 生息時代:ジュラ紀キンメリッジアンから白亜紀バランギニアン
発見地:オーストラリア、イングランド、ドイツ、ポルトガル、スイス
ステネオサウルス Steneosaurus 生息時代:ジュラ紀トアルシアンから
発見地:イングランド、フランス、ドイツ、スイス、モロッコ
カンパニアン
カンパニアン(英語名:Campanian)は、国際層序委員会 (ICS) によって定められた地質学用語である、地質時代名の一つ。
白亜紀で最後から2番目の期[1]。白亜紀後期も終盤に差し掛かる一時代にあたる。約8,350万年前(誤差70万年前後)から約7,060万年前(誤差60万年前後)までの、およそ1,290万年の間続いた。
日本語では言語的揺らぎによって「カンパン期」「カンパニア期」とも呼ばれる。
目次 [非表示]
1 呼称
2 概説
3 地質時代区分(時系列)
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
呼称[編集]
英名 Campanian は、フランス南西部シャラント=マリティーム県の一村(コミューン)・シャンパーニュ(Champagne)のラテン語形 Campania に由来。1857年、フランス人地質学者アンリ・コカンによって命名された。フランス語では Campanien と綴る。
なお、「カンパン階」「カンパニア階」という名称があるが、これらは時代を示すものではない。「階」は地層に対して当てられる単位(層序名)であり、層序名「カンパン階、カンパニア階」と時代名「カンパン期、カンパニア期」は対を成す関係である。詳しくは「累代」を参照のこと。
概説[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
地質時代区分(時系列)[編集]
カンパニアンは、太字で示した部分に属す。下へ行くほどに大分類となる。
サントニアン(en) - カンパニアン - マストリヒシアン
白亜紀(3期に分ける時代区分法[世]) :ネオコミアン(en) - ガリック(en) - セノニアン(en)
白亜紀(前後2期に分ける時代区分法) :白亜紀前期 - 白亜紀後期 - 新生代古第三紀
顕生代 :中生代 - 白亜紀 - 新生代
累代 :隠生代(先カンブリア時代) - 顕生代
白亜紀で最後から2番目の期[1]。白亜紀後期も終盤に差し掛かる一時代にあたる。約8,350万年前(誤差70万年前後)から約7,060万年前(誤差60万年前後)までの、およそ1,290万年の間続いた。
日本語では言語的揺らぎによって「カンパン期」「カンパニア期」とも呼ばれる。
目次 [非表示]
1 呼称
2 概説
3 地質時代区分(時系列)
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
呼称[編集]
英名 Campanian は、フランス南西部シャラント=マリティーム県の一村(コミューン)・シャンパーニュ(Champagne)のラテン語形 Campania に由来。1857年、フランス人地質学者アンリ・コカンによって命名された。フランス語では Campanien と綴る。
なお、「カンパン階」「カンパニア階」という名称があるが、これらは時代を示すものではない。「階」は地層に対して当てられる単位(層序名)であり、層序名「カンパン階、カンパニア階」と時代名「カンパン期、カンパニア期」は対を成す関係である。詳しくは「累代」を参照のこと。
概説[編集]
[icon] この節の加筆が望まれています。
地質時代区分(時系列)[編集]
カンパニアンは、太字で示した部分に属す。下へ行くほどに大分類となる。
サントニアン(en) - カンパニアン - マストリヒシアン
白亜紀(3期に分ける時代区分法[世]) :ネオコミアン(en) - ガリック(en) - セノニアン(en)
白亜紀(前後2期に分ける時代区分法) :白亜紀前期 - 白亜紀後期 - 新生代古第三紀
顕生代 :中生代 - 白亜紀 - 新生代
累代 :隠生代(先カンブリア時代) - 顕生代
白亜紀
白亜紀(はくあき、白堊紀、Cretaceous period)とは、地球の地質時代の一つで、約1億4500万年前から6600万年前[1]を指す。この時代は,ジュラ紀に続く時代であり中生代の終わりの時代でもある。次の時代は、新生代古第三紀の暁新世である。
白堊の堊(アク; アと読むのは慣習)は粘土質な土、すなわち石灰岩のことであり、石灰岩の地層から設定された地質年代のため白堊紀の名がついた。白堊を白亜とするのは常用漢字表にないからで、亜(亞)には土の意味は無い。
目次 [非表示]
1 概要
2 気候と生物 2.1 気候
2.2 植物
2.3 地上動物
2.4 海洋動物
3 K-T境界の大量絶滅
4 地質
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
概要[編集]
白亜紀は,温暖な気候と高海水準とで特徴付けられる時代である。他の地質時代と同様に白亜紀の開始と終了との地層には際立った特徴があるものの、正確な年代については、数百万年程度の誤差が見受けられる。白亜紀の終わりを示すK-T境界においては、イリジウムが大量に含まれた粘土層が世界中に見つかっている。これは、6,568万年前にユカタン半島及びメキシコ湾にある巨大なチクシュルーブ・クレーターを作った隕石の衝突によってその破片が地上に降り積もった物と考えられている。この隕石の落下が引き起こした気候変動が、白亜紀末の大量絶滅に関係しているという学説は、現在では地質学者、古生物学者等の間で広く支持されている。
白亜紀は、次のとおりの12の時代に分けられている。 うち、アルビアンまでを前期、セノマニアン以降を後期とする。
白亜紀と周辺の地質時代
周辺の時代
新生代 第四紀
新第三紀
古第三紀 漸新世
始新世
暁新世
中生代
白亜紀
マーストリヒチアン 7210万年 - 6600万年前
カンパニアン 8360万年 - 7210万年前
サントニアン 8630万年 - 8360万年前
コニアシアン 8980万年 - 8630万年前
チューロニアン 9390万年 - 8980万年前
セノマニアン 1億50万年 - 9390万年前
アルビアン 1億1300万年 - 1億50万年
アプチアン(英語版) 1億2500万年 - 1億1300万年前
バレミアン 1億2940万年 - 1億2500万年前
オーテリビアン 1億3290万年 - 1億2940万年前
バランギニアン 1億3980万年 - 1億3290万年前
ベリアシアン 1億4500万年 - 1億3980万年前
ジュラ紀
三畳紀
古生代
気候と生物[編集]
気候[編集]
ジュラ紀から白亜紀の境目に大きな絶滅などはなく、白亜紀も長期にわたり温暖で湿潤な気候が続いた。前期白亜紀において、一時的な寒冷化が見られるものの、同時期の表層海水温に関する研究では、低緯度地域で32 ℃、中緯度地域で26 ℃と現在より高い海水温で安定していたことがわかっている[2]。末期には気候帯が現われ、植物相にも変化が見られた。
植物[編集]
植物は、主流であった原始的な裸子植物やシダなどが減少し、被子植物が主流となって進化、繁栄を遂げた。スギなどの針葉樹は現代と同じ形まで進化し、イチジク、スズカケノキ、モクレンなどが現在とほぼ同じ形となった。
地上動物[編集]
白亜紀は,超大陸パンゲアの分裂が一層進んだが、これによって地理的な隔離が起きたため、陸上の生物の多様性を更に高めることとなった。地上の動物は、恐竜やワニなどの爬虫類が支配的地位を占め、ジュラ紀に続いて全盛期であった。地上、海洋及び空を含め多種多様な進化を遂げている。白亜紀前期まではジュラ紀に栄えた恐竜の系統も依然健在であったが、白亜紀後期においては、その多くは姿を消した(広義のアロサウルス類、広義のディプロドクス類、ステゴサウルス類など)。代わってジュラ紀にはあまり目立たなかった系統の恐竜が新たな進化を遂げ、放散することになる。白亜紀後期の恐竜及び翼竜の代表的な種は、ティラノサウルス、トリケラトプス、プテラノドンなどが知られる。しかし末期には、恐竜は衰退を始める(後述)。また、翼竜類においては特に翼指竜亜目が白亜紀前期に多様化のピークを迎えていたが(翼竜の中でも嘴口竜亜目は前期を最後に姿を消した)、白亜紀後期には鳥類の発展と対照的に中・小型の翼竜類が衰え、プテラノドンやケツァルコアトルスなど大型種だけが残る状況となっていた。有鱗目 においてヘビ類が地中性又は水中性のトカゲ類から進化したのも、白亜紀であるとされる。
哺乳類は、この時代に形態を大きく進化させ、胎生を持つようになり、また、有袋類及び有胎盤類への分化を遂げた。中には恐竜の幼体を襲っていた種もある。ただし、それらの形態は、小さな形の種にとどまっていたものが多い。有胎盤類は、白亜紀後期には既に多くの系統へと分岐していたようである。
前時代に恐竜から分岐した鳥類では、この時代に真鳥類が出現している。しかし、大勢を占めたのは,古鳥類(英語版)であり、陸上性では孔子鳥、エナンティオルニス類 (反鳥類、Enantiornithes) などが繁栄した。なお、海鳥では、真鳥類のヘスペロルニス、イクチオルニスなどが栄えた。しかし、白亜紀に全盛を迎えたこれらの鳥類の集団は、白亜紀末期にほとんどが絶滅した。この時期に現生鳥類の直系の祖先も出現している。多くの目は、白亜紀後期には分化していたようだ。
海洋動物[編集]
海洋では1億2000万年前に現在のオントンジャワ海台を形成した大規模な海底火山噴火が南太平洋で発生した。魚竜、海生ワニ類、大型のプリオサウルス類(首長竜の一群)が絶滅したのは、この影響ともされる。代わってモササウルス類、エラスモサウルス類をはじめとする首長竜などが繁栄した。軟骨魚類では現在見られる型のエイ及びサメ、硬骨魚類ではニシン類が現れ、軟体動物では狭義のアンモナイトなどが進化を遂げた。
ジュラ紀中期に誕生した浮遊性有孔虫、及びココリスなどのナンノプランクトンは、この時期に生息域を大きく拡大させ、その遺骸は白亜紀の名称の元となった石灰岩層を形成した。
K-T境界の大量絶滅[編集]
詳細は「K-T境界」を参照
地上・空・海で繁栄していた爬虫類も、白亜紀の末には減り始めた。
白亜紀末には、地球史の上で5回目の、規模としては古生代ペルム紀末期の大絶滅(P-T境界)に次ぐ大規模な絶滅が起きた(K-T境界)。この大量絶滅では、陸上生物の約50%、海洋生物の約75%[3][4]、生物全体で約70%が絶滅した[5]と考えられている。哺乳類・爬虫類・鳥類の多くが絶滅し、特に恐竜は(現生種につながる真鳥類を除いて)全てが絶滅した。また、海洋においても、カメ、カンプソサウルス(チャンプソサウルス)類以外の全ての海棲爬虫類、全てのアンモナイト類が絶滅している。しかし、アメリカで、この大量絶滅から70万年後とされる地層からアラモサウルスの化石が発見され、議論を呼んでいる。この発見は、カナダのアルバータ大学などの研究により確認され、論文がアメリカ地質学協会の専門誌に掲載された[6]。
現在では絶滅の直接の原因は隕石(小惑星)の衝突によるものであるという説が広く知られており、2010年3月5日には12ヶ国の研究機関による研究チームが同説が絶滅の直接の原因であると結論づけた [7]。ただし、それ以外の説も依然として存在する[8]。
地質[編集]
白亜紀の終わりにかけて、パンゲア大陸は完全に分かれ、配置は異なるものの現在ある大陸と同じ構成になった。ローラシア大陸は北アメリカとヨーロッパとに分かれて大西洋が広がり、ゴンドワナ大陸は南極大陸、オーストラリア大陸、アフリカ大陸、南アメリカ大陸に分割された。インド及びマダガスカルは,まだアフリカと陸続きであったが末期には分裂し島大陸となっていた。北アメリカ大陸に食い込むようにして形成されていた浅い海は石炭層に挟まれて陸地となり、海の堆積物を多く残した。この他で重要な白亜紀の地層の露出は,中国とヨーロッパとで見られる。また、インドのデカントラップにある大量の溶岩の地層は、白亜紀から暁新世にかけて形成されたものであることがわかっている。
白堊の堊(アク; アと読むのは慣習)は粘土質な土、すなわち石灰岩のことであり、石灰岩の地層から設定された地質年代のため白堊紀の名がついた。白堊を白亜とするのは常用漢字表にないからで、亜(亞)には土の意味は無い。
目次 [非表示]
1 概要
2 気候と生物 2.1 気候
2.2 植物
2.3 地上動物
2.4 海洋動物
3 K-T境界の大量絶滅
4 地質
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
概要[編集]
白亜紀は,温暖な気候と高海水準とで特徴付けられる時代である。他の地質時代と同様に白亜紀の開始と終了との地層には際立った特徴があるものの、正確な年代については、数百万年程度の誤差が見受けられる。白亜紀の終わりを示すK-T境界においては、イリジウムが大量に含まれた粘土層が世界中に見つかっている。これは、6,568万年前にユカタン半島及びメキシコ湾にある巨大なチクシュルーブ・クレーターを作った隕石の衝突によってその破片が地上に降り積もった物と考えられている。この隕石の落下が引き起こした気候変動が、白亜紀末の大量絶滅に関係しているという学説は、現在では地質学者、古生物学者等の間で広く支持されている。
白亜紀は、次のとおりの12の時代に分けられている。 うち、アルビアンまでを前期、セノマニアン以降を後期とする。
白亜紀と周辺の地質時代
周辺の時代
新生代 第四紀
新第三紀
古第三紀 漸新世
始新世
暁新世
中生代
白亜紀
マーストリヒチアン 7210万年 - 6600万年前
カンパニアン 8360万年 - 7210万年前
サントニアン 8630万年 - 8360万年前
コニアシアン 8980万年 - 8630万年前
チューロニアン 9390万年 - 8980万年前
セノマニアン 1億50万年 - 9390万年前
アルビアン 1億1300万年 - 1億50万年
アプチアン(英語版) 1億2500万年 - 1億1300万年前
バレミアン 1億2940万年 - 1億2500万年前
オーテリビアン 1億3290万年 - 1億2940万年前
バランギニアン 1億3980万年 - 1億3290万年前
ベリアシアン 1億4500万年 - 1億3980万年前
ジュラ紀
三畳紀
古生代
気候と生物[編集]
気候[編集]
ジュラ紀から白亜紀の境目に大きな絶滅などはなく、白亜紀も長期にわたり温暖で湿潤な気候が続いた。前期白亜紀において、一時的な寒冷化が見られるものの、同時期の表層海水温に関する研究では、低緯度地域で32 ℃、中緯度地域で26 ℃と現在より高い海水温で安定していたことがわかっている[2]。末期には気候帯が現われ、植物相にも変化が見られた。
植物[編集]
植物は、主流であった原始的な裸子植物やシダなどが減少し、被子植物が主流となって進化、繁栄を遂げた。スギなどの針葉樹は現代と同じ形まで進化し、イチジク、スズカケノキ、モクレンなどが現在とほぼ同じ形となった。
地上動物[編集]
白亜紀は,超大陸パンゲアの分裂が一層進んだが、これによって地理的な隔離が起きたため、陸上の生物の多様性を更に高めることとなった。地上の動物は、恐竜やワニなどの爬虫類が支配的地位を占め、ジュラ紀に続いて全盛期であった。地上、海洋及び空を含め多種多様な進化を遂げている。白亜紀前期まではジュラ紀に栄えた恐竜の系統も依然健在であったが、白亜紀後期においては、その多くは姿を消した(広義のアロサウルス類、広義のディプロドクス類、ステゴサウルス類など)。代わってジュラ紀にはあまり目立たなかった系統の恐竜が新たな進化を遂げ、放散することになる。白亜紀後期の恐竜及び翼竜の代表的な種は、ティラノサウルス、トリケラトプス、プテラノドンなどが知られる。しかし末期には、恐竜は衰退を始める(後述)。また、翼竜類においては特に翼指竜亜目が白亜紀前期に多様化のピークを迎えていたが(翼竜の中でも嘴口竜亜目は前期を最後に姿を消した)、白亜紀後期には鳥類の発展と対照的に中・小型の翼竜類が衰え、プテラノドンやケツァルコアトルスなど大型種だけが残る状況となっていた。有鱗目 においてヘビ類が地中性又は水中性のトカゲ類から進化したのも、白亜紀であるとされる。
哺乳類は、この時代に形態を大きく進化させ、胎生を持つようになり、また、有袋類及び有胎盤類への分化を遂げた。中には恐竜の幼体を襲っていた種もある。ただし、それらの形態は、小さな形の種にとどまっていたものが多い。有胎盤類は、白亜紀後期には既に多くの系統へと分岐していたようである。
前時代に恐竜から分岐した鳥類では、この時代に真鳥類が出現している。しかし、大勢を占めたのは,古鳥類(英語版)であり、陸上性では孔子鳥、エナンティオルニス類 (反鳥類、Enantiornithes) などが繁栄した。なお、海鳥では、真鳥類のヘスペロルニス、イクチオルニスなどが栄えた。しかし、白亜紀に全盛を迎えたこれらの鳥類の集団は、白亜紀末期にほとんどが絶滅した。この時期に現生鳥類の直系の祖先も出現している。多くの目は、白亜紀後期には分化していたようだ。
海洋動物[編集]
海洋では1億2000万年前に現在のオントンジャワ海台を形成した大規模な海底火山噴火が南太平洋で発生した。魚竜、海生ワニ類、大型のプリオサウルス類(首長竜の一群)が絶滅したのは、この影響ともされる。代わってモササウルス類、エラスモサウルス類をはじめとする首長竜などが繁栄した。軟骨魚類では現在見られる型のエイ及びサメ、硬骨魚類ではニシン類が現れ、軟体動物では狭義のアンモナイトなどが進化を遂げた。
ジュラ紀中期に誕生した浮遊性有孔虫、及びココリスなどのナンノプランクトンは、この時期に生息域を大きく拡大させ、その遺骸は白亜紀の名称の元となった石灰岩層を形成した。
K-T境界の大量絶滅[編集]
詳細は「K-T境界」を参照
地上・空・海で繁栄していた爬虫類も、白亜紀の末には減り始めた。
白亜紀末には、地球史の上で5回目の、規模としては古生代ペルム紀末期の大絶滅(P-T境界)に次ぐ大規模な絶滅が起きた(K-T境界)。この大量絶滅では、陸上生物の約50%、海洋生物の約75%[3][4]、生物全体で約70%が絶滅した[5]と考えられている。哺乳類・爬虫類・鳥類の多くが絶滅し、特に恐竜は(現生種につながる真鳥類を除いて)全てが絶滅した。また、海洋においても、カメ、カンプソサウルス(チャンプソサウルス)類以外の全ての海棲爬虫類、全てのアンモナイト類が絶滅している。しかし、アメリカで、この大量絶滅から70万年後とされる地層からアラモサウルスの化石が発見され、議論を呼んでいる。この発見は、カナダのアルバータ大学などの研究により確認され、論文がアメリカ地質学協会の専門誌に掲載された[6]。
現在では絶滅の直接の原因は隕石(小惑星)の衝突によるものであるという説が広く知られており、2010年3月5日には12ヶ国の研究機関による研究チームが同説が絶滅の直接の原因であると結論づけた [7]。ただし、それ以外の説も依然として存在する[8]。
地質[編集]
白亜紀の終わりにかけて、パンゲア大陸は完全に分かれ、配置は異なるものの現在ある大陸と同じ構成になった。ローラシア大陸は北アメリカとヨーロッパとに分かれて大西洋が広がり、ゴンドワナ大陸は南極大陸、オーストラリア大陸、アフリカ大陸、南アメリカ大陸に分割された。インド及びマダガスカルは,まだアフリカと陸続きであったが末期には分裂し島大陸となっていた。北アメリカ大陸に食い込むようにして形成されていた浅い海は石炭層に挟まれて陸地となり、海の堆積物を多く残した。この他で重要な白亜紀の地層の露出は,中国とヨーロッパとで見られる。また、インドのデカントラップにある大量の溶岩の地層は、白亜紀から暁新世にかけて形成されたものであることがわかっている。
ジュラ紀
ジュラ紀(ジュラき、Jurassic period)は現在から約1億9960万年前にはじまり、約1億4550万年前まで続く地質時代である。三畳紀の次で白亜紀の一つ前にあたる中生代の中心時代、あるいは恐竜の時代と言える。ジュラ紀の名前は、フランス東部からスイス西部に広がるジュラ山脈において広範囲に分布する石灰岩層にちなみ、1829年にアレクサンドル・ブロンニャールにより提唱された。その後、1962年と1967年に開かれた国際ジュラ系層序小委員会により、11の階(期)の区分が確立された(時代区分参照)。漢字では当て字で「侏羅紀」と書く。
目次 [非表示]
1 時代区分
2 気候と生物
3 古地形とテクトニクス
4 その他
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
時代区分[編集]
ジュラ系の基底は、最初のアンモナイトが出現する層準によって定められている。ジュラ系の模式境界をどこに置くかは長年論じられてきたが、2010年のIUGS実行委員会において、オーストリアのクーヨッホ (Kuhjoch) GSSP とすることが決定された[1]。
周辺の時代
新生代
中生代 白亜紀
ジュラ紀 後期
マルム チトニアン 約1億5080万年前 - 約1億4550万年前
キンメリッジアン 約1億5570万年前 - 約1億5080万年前
オクスフォーディアン 約1億6120万年前 - 約1億5570万年前
中期
ドッガー カロビアン 約1億6470万年前 - 約1億6120万年前
バトニアン 約1億6770万年前 - 約1億6470万年前
バジョシアン 約1億7160万年前 - 約1億6770万年前
アーレニアン 約1億7560万年前 - 約1億7160万年前
前期
リアス トアルシアン 約1億8300万年前 - 約1億7560万年前
プリンスバッキアン 約1億8960万年前 - 約1億8300万年前
シネムーリアン 約1億9650万年前 - 約1億8960万年前
ヘッタンジアン 約1億9960万年前 - 約1億9650万年前
三畳紀
古生代
気候と生物[編集]
詳細は「:en:Triassic–Jurassic extinction event」を参照
ジュラ紀の開始は三畳紀末の大量絶滅から始まった。絶滅は地上と海洋の両方でおき、地上の方が数百万年早かったと言われている。海洋生物の20%と恐竜、翼竜とワニ以外の祖竜(主竜類)、獣弓類が死滅し(最近日本で白亜紀の地層から化石が見つかっているのでこの説は疑問視されているが、少なくとも衰退したのは間違いない)、最後の巨大な両生類もこのときにほぼ姿を消した。この原因として隕石衝突など様々な説が提唱されているが、現在は中央大西洋マグマ分布域(Central Atlantic Magmatic Province)における火山活動との関連が有力視されている。[2] [3] [4]
絶滅を生き残った恐竜が中生代に栄えた。ジュラ紀は現在よりも暖かく、降水量も多く、湿度も高かった。そのため動物、植物はともに種類が増え、大型化していった。植物ではイチョウ、ソテツなどの裸子植物が大きく繁栄し、それまで植物が無かった内陸部まで生育範囲を広げていった。またジュラ紀の後半には被子植物も現れた。海洋ではアンモナイトや、プランクトンが繁栄し、地上では恐竜が多種多様な進化を遂げた。小型の恐竜の一部が鳥類に至る進化を果たし、始祖鳥が現れたのもこの時代である。
ジュラ紀にもっとも進化した生命は海洋での魚類と、海洋で暮らす爬虫類(魚竜、首長竜など)である。また無脊椎動物にはいくつかの新しいグループが現れた。
古地形とテクトニクス[編集]
前期ジュラ紀を通じてパンゲア大陸が、北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分裂した。とはいえ、両者の距離は近く、隔絶は未だ完全ではなかった。温暖であったため海水準が高く、ローラシアはしばしば浅海により東西の陸塊に分かれていた。ジュラ紀の北大西洋は現在に比べて狭く、南大西洋はゴンドワナ大陸の分裂が始まる白亜紀まで開かなかった。テチス海は閉じ、新テチス海盆を形成した。
気候は温暖であり、氷河があった痕跡は認められない。三畳紀と同様に、極付近に陸地はなく氷冠の成長もなかった。
ジュラ紀の地質学的記録は、西ヨーロッパでよく保存されており、有名なジュラシック・コーストや、後期ジュラ系のゾルンホーフェン石灰岩層を含む熱帯の浅海における堆積過程が観察できる。それとは対照的に、北アメリカでは中生界ジュラ系はほとんど分布せず、露頭も極めて少ない。
その他[編集]
SF小説およびそれをもとにした映画である『ジュラシック・パーク』の名は、このジュラ紀によるものであり、直訳すれば『ジュラ紀公園』であり、その映画の中国語でのタイトルは、直訳にしたがっている。しかし、実際にそこに登場する恐竜はほとんどは白亜紀のものである。
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1 時代区分
2 気候と生物
3 古地形とテクトニクス
4 その他
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
時代区分[編集]
ジュラ系の基底は、最初のアンモナイトが出現する層準によって定められている。ジュラ系の模式境界をどこに置くかは長年論じられてきたが、2010年のIUGS実行委員会において、オーストリアのクーヨッホ (Kuhjoch) GSSP とすることが決定された[1]。
周辺の時代
新生代
中生代 白亜紀
ジュラ紀 後期
マルム チトニアン 約1億5080万年前 - 約1億4550万年前
キンメリッジアン 約1億5570万年前 - 約1億5080万年前
オクスフォーディアン 約1億6120万年前 - 約1億5570万年前
中期
ドッガー カロビアン 約1億6470万年前 - 約1億6120万年前
バトニアン 約1億6770万年前 - 約1億6470万年前
バジョシアン 約1億7160万年前 - 約1億6770万年前
アーレニアン 約1億7560万年前 - 約1億7160万年前
前期
リアス トアルシアン 約1億8300万年前 - 約1億7560万年前
プリンスバッキアン 約1億8960万年前 - 約1億8300万年前
シネムーリアン 約1億9650万年前 - 約1億8960万年前
ヘッタンジアン 約1億9960万年前 - 約1億9650万年前
三畳紀
古生代
気候と生物[編集]
詳細は「:en:Triassic–Jurassic extinction event」を参照
ジュラ紀の開始は三畳紀末の大量絶滅から始まった。絶滅は地上と海洋の両方でおき、地上の方が数百万年早かったと言われている。海洋生物の20%と恐竜、翼竜とワニ以外の祖竜(主竜類)、獣弓類が死滅し(最近日本で白亜紀の地層から化石が見つかっているのでこの説は疑問視されているが、少なくとも衰退したのは間違いない)、最後の巨大な両生類もこのときにほぼ姿を消した。この原因として隕石衝突など様々な説が提唱されているが、現在は中央大西洋マグマ分布域(Central Atlantic Magmatic Province)における火山活動との関連が有力視されている。[2] [3] [4]
絶滅を生き残った恐竜が中生代に栄えた。ジュラ紀は現在よりも暖かく、降水量も多く、湿度も高かった。そのため動物、植物はともに種類が増え、大型化していった。植物ではイチョウ、ソテツなどの裸子植物が大きく繁栄し、それまで植物が無かった内陸部まで生育範囲を広げていった。またジュラ紀の後半には被子植物も現れた。海洋ではアンモナイトや、プランクトンが繁栄し、地上では恐竜が多種多様な進化を遂げた。小型の恐竜の一部が鳥類に至る進化を果たし、始祖鳥が現れたのもこの時代である。
ジュラ紀にもっとも進化した生命は海洋での魚類と、海洋で暮らす爬虫類(魚竜、首長竜など)である。また無脊椎動物にはいくつかの新しいグループが現れた。
古地形とテクトニクス[編集]
前期ジュラ紀を通じてパンゲア大陸が、北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分裂した。とはいえ、両者の距離は近く、隔絶は未だ完全ではなかった。温暖であったため海水準が高く、ローラシアはしばしば浅海により東西の陸塊に分かれていた。ジュラ紀の北大西洋は現在に比べて狭く、南大西洋はゴンドワナ大陸の分裂が始まる白亜紀まで開かなかった。テチス海は閉じ、新テチス海盆を形成した。
気候は温暖であり、氷河があった痕跡は認められない。三畳紀と同様に、極付近に陸地はなく氷冠の成長もなかった。
ジュラ紀の地質学的記録は、西ヨーロッパでよく保存されており、有名なジュラシック・コーストや、後期ジュラ系のゾルンホーフェン石灰岩層を含む熱帯の浅海における堆積過程が観察できる。それとは対照的に、北アメリカでは中生界ジュラ系はほとんど分布せず、露頭も極めて少ない。
その他[編集]
SF小説およびそれをもとにした映画である『ジュラシック・パーク』の名は、このジュラ紀によるものであり、直訳すれば『ジュラ紀公園』であり、その映画の中国語でのタイトルは、直訳にしたがっている。しかし、実際にそこに登場する恐竜はほとんどは白亜紀のものである。
三畳紀
三畳紀(さんじょうき、Triassic period)は、現在から約2億5100万年前に始まり、約1億9960万年前まで続く地質時代である[1]。トリアス紀(トリアスき)と訳すこともある。三畳紀の名は、南ドイツで発見されたこの紀の地層において、赤色の砂岩、白色の石灰岩、茶色の砂岩と堆積条件の異なる3層が重畳していたことに由来する。
中生代の最初の紀であり、ペルム紀(二畳紀)の次、ジュラ紀の前にあたる。開始および終了の時期は、研究者やその学説によって、いずれも互いに1000万年前後の年代差がみられる[注釈 1]。
目次 [非表示]
1 編年と時期区分
2 概要 2.1 ペルム紀末の大量絶滅
2.2 三畳紀の自然環境
2.3 三畳紀の生物
2.4 三畳紀の終わり
3 三畳紀の地層
4 三畳紀の日本 4.1 皿貝動物群
5 脚注 5.1 注釈
5.2 参照
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
編年と時期区分[編集]
三畳紀のアンモナイト(アメリカ合衆国ネバダ州出土)
エンクリヌス・リリイフォルミス(ドイツ/ムッシェルカルク層出土)
「三畳紀」の名称は冒頭に掲げた通り、二畳紀(ペルム紀)の上層に、上位より、
コイパー砂岩 −− 上畳統
ムッシェルカルク −− 殻灰統
ブンテル砂岩 −− 斑砂統
の3層が重畳していることにより、ドイツの地質学者フリードリヒ・フォン・アルベルティ(en)が1834年に命名したことに由来する[2][3]。
しかし、実際にはドイツ周辺の海成層は三畳紀中期に属する年代のものに限られるため、三畳紀全体を通しての編年にはアルプス山脈、ヒマラヤ山脈、および北アメリカ大陸北部における海生動物の化石に富む地層も併用され、これらを標準として国際的な時期区分が設定されている。以下、一般的な3期6階の国際的時期区分を示す[2]。なお、括弧内にはドイツ周辺の地層との関係を示している。
前期 スキティアン階(ブンテル)
中期 アニシアン階(ブンテル/ムッシェルカルク)
ラディニアン階(ムッシェルカルク/コイパー)
後期 カーニアン階(コイパー)
ノリアン階(コイパー)
レーティアン階(コイパー/レエティク)
ヨーロッパにおいて、ブンテルは浅い凹地に堆積した色鮮やかな堆積物を含有する系列、ムッシェルカルクは貝類化石をともなう石灰岩系列で、コイパーは、厳しい乾燥を示す岩塩と石膏の層をともなう大陸の堆積物の系列として知られてきたが、こんにちでは第4の系列としてレエティクが含まれ、三畳紀最新の地層に位置づけられている[4]。
概要[編集]
ペルム紀末の大量絶滅[編集]
詳細は「P-T境界」を参照
古生代最後のペルム紀と中生代最初の三畳紀の境目(P-T境界)には世界的な海退があり、地球史上最大の大量絶滅があったとされる(ペルム紀末の大量絶滅)[2][注釈 2]。地球内部からのスーパープルームによる火山活動(シベリア台地玄武岩の形成)などにより、地球上の生物種の90パーセントないし95パーセントが絶滅したともいわれている[5]。また、古生代末には現在の南半球に相当するゴンドワナ地域に広い範囲に氷河が広がっていたことが、氷成礫層(ティライト)や氷河擦痕、氷稿粘土などの多くの痕跡によって確認されている[3]。
三葉虫や方解石サンゴ、紡錘虫類などは絶滅し、それまで繁栄していた単弓類などが種や属のレベルではほとんどが絶滅して、大きく衰退した[6]。軟体動物では、さまざまな二枚貝が死滅し、ゴニアタイトが絶滅するなどアンモナイト類を含む巻貝も大きな打撃を受け、腕足類もまたスピリファをのぞくすべてが滅んだ[4][6]。棘皮動物においても同様の傾向がみられ、海生生物の多様性は著しく損なわれた[2][6]。
三畳紀の自然環境[編集]
古生代末、ほとんど全ての大陸が合体し、三畳紀には北極から南極に至るパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成された[2]。また、山地をくずして内陸部に広大な平野をつくる陸地の平原化現象がおおいに進行した。内陸部の平野には乾燥気候の影響で砂漠化の進行がいちじるしく、赤色の砂が堆積していった[7]。砂漠のところどころにはオアシスが点在した[7]。
パンゲア大陸の周囲には、パンサラッサと称されるひとつながりの巨大な海洋と、大陸の東側にはテチス海と呼ばれる湾状の海が広がり、一部は珊瑚礁となっていた。
古生代終期に寒冷化した気候も、三畳紀を通じて気温は徐々に上昇していったものと推定される。ペルム紀に30パーセントほどあった酸素濃度も10パーセント程度まで低下し、ジュラ紀頃までの約1億年間、低酸素状態が続いた。
三畳紀は、広大な大テチス地向斜の発展がみられた時期と考えられている[4]。この地向斜から、2億もの年月を経たのち、アルプス・ヒマラヤ造山帯など新期造山帯と称される若い山脈が形成されていくものとみられている[4]。
三畳紀の生物[編集]
ベレムナイト(推定図)
ペルム紀末の大量絶滅の後、空席になったニッチ(生態的地位)を埋めるように、海生生物では、古生代型の海生動物にかわって、新しい分類群がつぎつぎに出現した。六放サンゴやさまざまな翼形(よくけい)二枚貝などが発展するようになり[2]、アンモナイトは、中生代まで生き残った数種をもとにセラタイト型が爆発的に増えた[6]。また、類縁するベレムナイトが著しく多数にわたって現れた[4]。棘皮動物のうちウニ類は古生代においてはまだ十分な発達をとげなかったが、中生代には急激に進化しはじめ、多くの種を生じた[3][注釈 3]。このような新しい種の出現によって、三畳紀後期にはいったん損なわれた生物多様性を再び回復した[2]。
三畳紀の海成層の示準化石として重要なものとしては、セラタイト型アンモナイト、翼形二枚貝(ダオネラ、ハロビア、モノティス等)のほか、原生動物の放散虫、貝蝦(エステリア)、ウミユリ(棘皮動物)の一種エンクリヌス・リリイフォルミス[注釈 4]があり、歯状の微化石コノドントは生物学上の位置づけが未解決の部分もあるが、層位学的にはきわめて重要である[2][3]。なお、ダオネラは、現在のホタテガイに近縁する絶滅種であり、ダオネラ頁岩は堆積学的見地からも重視される[3]。
三畳紀後期に生息していた原竜脚類、テコドントサウルス
最古のカメ、オドントケリスの化石実測図
これに対し陸上の動植物はペルム紀中に大変革を終えており、P-T境界においては海生生物におけるほどの劇的な変化をともなっていない[2][3]。ペルム紀においてすでに主竜類などをはじめとする爬虫類が水中のみならず陸上生活に適したものが増加し、三畳紀には体躯の大きなものも出現して繁栄した[3]。主竜類の中から三畳紀中期にはエオラプトルやヘレラサウルスなどの恐竜や翼竜、ワニが出現、また主竜類に近い系統からカメ類が現れた[8]。爬虫類はまた、肺呼吸を完全にし、種類によっては皮膚をウロコや硬い甲羅でおおうことによって乾燥した陸地への生活に適応していった[7]。
この時代の恐竜(初期恐竜)は、陸生脊椎動物のなかにあって特に大型であったわけではなく、初期恐竜と併存していた恐竜以外の爬虫類のなかに、それよりもはるかに大きく、個体数の多い種もあったと推定される[8]。中でもこの時代にワニ類を輩出したクルロタルシ類は繁栄の絶頂にあり、陸上生態系において支配的地位を占めていた。三畳紀の恐竜化石は特に南アメリカ大陸で多数検出されており、北米・アフリカ・ヨーロッパなどでも確認されている[8]。湿地帯などにのこされた爬虫類の足跡化石が多く発見されるようになるのも三畳紀に入ってからであり、これにより、肉食種が植物食種を捕食していた関係が成立していたことが推測される[3]。カメは、現存種には歯のある種はないものの、オドントケリスやプロガノケリスなど初期のカメには顎に歯があったことが確認されている[4]。また、四肢は現在のゾウガメに類似しており、陸上生活者であると考えられている[8]。三畳紀のワニ類もまた陸上生活者であり、全長は1メートルにおよばなかった[8]。
最初の哺乳類が現れたのも三畳紀であった[4]。哺乳類は、中生代を通じて小型であり、大きくてもネコか小型犬ほどの大きさであり多くの種はドブネズミかハツカネズミの大きさほどしかなかった[8]。
三畳紀には、従前は陸上でしかみられなかった爬虫類であったが、三畳紀に入ってその一部が海に進出した[8]。イクチオサウルスなどの魚竜や、泳ぐのに特化したひれ状の足をもつプラコドンなどの鰭竜類(Sauropterygia)、タラットサウルス類、板歯目などがそれである[4][8]。
魚類のうち、サメのなかまはペルム紀末の大量絶滅によって打撃を受け、その繁殖は限定的であったが、硬骨魚類は海中において顕著に繁殖した[9]。両生類は、中期に体長5メートルを越すと推定されるマストドンサウルスがあり、これは史上最大級の両生類の一つと考えられている。両生類には、分椎目のアファネランマに代表されるトレマトサウルス類のように海水に適応した種さえあったが、三畳紀を通じてその多くは衰退していった[10]。
三畳紀の植生想像図
陸上の植物ではシダ植物や裸子植物が著しく分布域を広げ[2]、ボルチアやアメリカ合衆国アリゾナ州におけるアラウカリオキシロンの珪化森林にみられるようにマツやスギの遠祖となる針葉樹が現れた[7]。種子植物でありながら独立した精子をつくるイチョウ類やソテツ類、ベネティティス類も多かった。湿地帯には、現在のシダ植物のヒカゲノカズラ科の類縁種である古代リンボクが豊富にのこり、シダやトクサも密に分布した[4]。また、古生代後期からひきつづき、ゴンドワナ植物群とアンガラ植物群とが植生を競いあっていた[2]。
三畳紀の終わり[編集]
詳細は「:en:Triassic–Jurassic extinction event」を参照
三畳紀の終わりに、再びやや小規模な大量絶滅があった。海洋ではアンモナイトの多くの種が姿を消し、魚竜などの海洋棲爬虫類も打撃を受けた。陸上ではキノドン類、ディキノドン類の大半の種といった大量の単弓類(哺乳類型爬虫類)が絶滅した[8]。三畳紀の終末を生き延びた恐竜など陸生脊椎動物は、繁殖様式(卵など)や生活様式から乾燥にとくに強いタイプのものと考えられる[8]。また、爬虫類も単弓類同様に大型動物を中心に多くの種が絶滅した。まだ比較的小型だった恐竜は、三畳紀末期には竜脚類のような大型種も出現し、そののち急速に発展していく。絶滅の原因としては、直径3.3 - 7.8km程度の隕石の落下[11]あるいは、中央大西洋マグマ分布域(Central Atlantic Magmatic Province)における火山活動との関連が指摘されている[12] [13] [14]。
三畳紀の地層[編集]
三畳紀の地層を三畳系という。
三畳紀には大規模な海進はなかったとみられており、そのため、安定陸塊においては陸成層や台地玄武岩が卓越し、海成層の分布はほとんどみられない[2]。一方、テチス海域だった地域および大洋周囲の変動帯ないし準安定地域だった地域には、しばしば珊瑚礁由来の石灰岩や層状チャートをふくんだ三畳系海成層もみられる[2]。
三畳紀の日本[編集]
日本の三畳系は、ふるくは分布範囲はきわめて狭小であるとみなされてきたが、一時期古生代に属すと考えられてきた外帯(太平洋側)のチャート層や石炭岩からコノドント化石が見つかり、これによって三畳紀の地史が大きく解明された。すなわち、従来古生代後期の地層とされてきた海洋性の石灰岩やチャート、また、海底火山岩のうちのかなりの部分が三畳紀に形成された地層であるとみなされるようになった[2]。一方、内帯(日本海側)および外帯一部には、三畳紀にすでに付加された古生代の地層と三畳紀前後に形成された花崗岩および広域変成岩が分布して、これらを基盤として三畳紀後期における陸棚性・瀕海性の厚い堆積物が比較的小範囲に点在する。その多くは炭層をふくみ、産出化石はシベリア方面の種との共通性を示している[2]。
皿貝動物群[編集]
北上山地南部の太平洋沿岸にある宮城県南三陸町皿海集落には三畳系後期ノリアン階の貝化石産地があり、集落名を採って「皿貝動物群」あるいは「皿貝化石群」と称される。ここでは、モノティスと称される翼形二枚貝の検出が特徴的である[3]。
中生代の最初の紀であり、ペルム紀(二畳紀)の次、ジュラ紀の前にあたる。開始および終了の時期は、研究者やその学説によって、いずれも互いに1000万年前後の年代差がみられる[注釈 1]。
目次 [非表示]
1 編年と時期区分
2 概要 2.1 ペルム紀末の大量絶滅
2.2 三畳紀の自然環境
2.3 三畳紀の生物
2.4 三畳紀の終わり
3 三畳紀の地層
4 三畳紀の日本 4.1 皿貝動物群
5 脚注 5.1 注釈
5.2 参照
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
編年と時期区分[編集]
三畳紀のアンモナイト(アメリカ合衆国ネバダ州出土)
エンクリヌス・リリイフォルミス(ドイツ/ムッシェルカルク層出土)
「三畳紀」の名称は冒頭に掲げた通り、二畳紀(ペルム紀)の上層に、上位より、
コイパー砂岩
ムッシェルカルク
ブンテル砂岩
の3層が重畳していることにより、ドイツの地質学者フリードリヒ・フォン・アルベルティ(en)が1834年に命名したことに由来する[2][3]。
しかし、実際にはドイツ周辺の海成層は三畳紀中期に属する年代のものに限られるため、三畳紀全体を通しての編年にはアルプス山脈、ヒマラヤ山脈、および北アメリカ大陸北部における海生動物の化石に富む地層も併用され、これらを標準として国際的な時期区分が設定されている。以下、一般的な3期6階の国際的時期区分を示す[2]。なお、括弧内にはドイツ周辺の地層との関係を示している。
前期 スキティアン階(ブンテル)
中期 アニシアン階(ブンテル/ムッシェルカルク)
ラディニアン階(ムッシェルカルク/コイパー)
後期 カーニアン階(コイパー)
ノリアン階(コイパー)
レーティアン階(コイパー/レエティク)
ヨーロッパにおいて、ブンテルは浅い凹地に堆積した色鮮やかな堆積物を含有する系列、ムッシェルカルクは貝類化石をともなう石灰岩系列で、コイパーは、厳しい乾燥を示す岩塩と石膏の層をともなう大陸の堆積物の系列として知られてきたが、こんにちでは第4の系列としてレエティクが含まれ、三畳紀最新の地層に位置づけられている[4]。
概要[編集]
ペルム紀末の大量絶滅[編集]
詳細は「P-T境界」を参照
古生代最後のペルム紀と中生代最初の三畳紀の境目(P-T境界)には世界的な海退があり、地球史上最大の大量絶滅があったとされる(ペルム紀末の大量絶滅)[2][注釈 2]。地球内部からのスーパープルームによる火山活動(シベリア台地玄武岩の形成)などにより、地球上の生物種の90パーセントないし95パーセントが絶滅したともいわれている[5]。また、古生代末には現在の南半球に相当するゴンドワナ地域に広い範囲に氷河が広がっていたことが、氷成礫層(ティライト)や氷河擦痕、氷稿粘土などの多くの痕跡によって確認されている[3]。
三葉虫や方解石サンゴ、紡錘虫類などは絶滅し、それまで繁栄していた単弓類などが種や属のレベルではほとんどが絶滅して、大きく衰退した[6]。軟体動物では、さまざまな二枚貝が死滅し、ゴニアタイトが絶滅するなどアンモナイト類を含む巻貝も大きな打撃を受け、腕足類もまたスピリファをのぞくすべてが滅んだ[4][6]。棘皮動物においても同様の傾向がみられ、海生生物の多様性は著しく損なわれた[2][6]。
三畳紀の自然環境[編集]
古生代末、ほとんど全ての大陸が合体し、三畳紀には北極から南極に至るパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成された[2]。また、山地をくずして内陸部に広大な平野をつくる陸地の平原化現象がおおいに進行した。内陸部の平野には乾燥気候の影響で砂漠化の進行がいちじるしく、赤色の砂が堆積していった[7]。砂漠のところどころにはオアシスが点在した[7]。
パンゲア大陸の周囲には、パンサラッサと称されるひとつながりの巨大な海洋と、大陸の東側にはテチス海と呼ばれる湾状の海が広がり、一部は珊瑚礁となっていた。
古生代終期に寒冷化した気候も、三畳紀を通じて気温は徐々に上昇していったものと推定される。ペルム紀に30パーセントほどあった酸素濃度も10パーセント程度まで低下し、ジュラ紀頃までの約1億年間、低酸素状態が続いた。
三畳紀は、広大な大テチス地向斜の発展がみられた時期と考えられている[4]。この地向斜から、2億もの年月を経たのち、アルプス・ヒマラヤ造山帯など新期造山帯と称される若い山脈が形成されていくものとみられている[4]。
三畳紀の生物[編集]
ベレムナイト(推定図)
ペルム紀末の大量絶滅の後、空席になったニッチ(生態的地位)を埋めるように、海生生物では、古生代型の海生動物にかわって、新しい分類群がつぎつぎに出現した。六放サンゴやさまざまな翼形(よくけい)二枚貝などが発展するようになり[2]、アンモナイトは、中生代まで生き残った数種をもとにセラタイト型が爆発的に増えた[6]。また、類縁するベレムナイトが著しく多数にわたって現れた[4]。棘皮動物のうちウニ類は古生代においてはまだ十分な発達をとげなかったが、中生代には急激に進化しはじめ、多くの種を生じた[3][注釈 3]。このような新しい種の出現によって、三畳紀後期にはいったん損なわれた生物多様性を再び回復した[2]。
三畳紀の海成層の示準化石として重要なものとしては、セラタイト型アンモナイト、翼形二枚貝(ダオネラ、ハロビア、モノティス等)のほか、原生動物の放散虫、貝蝦(エステリア)、ウミユリ(棘皮動物)の一種エンクリヌス・リリイフォルミス[注釈 4]があり、歯状の微化石コノドントは生物学上の位置づけが未解決の部分もあるが、層位学的にはきわめて重要である[2][3]。なお、ダオネラは、現在のホタテガイに近縁する絶滅種であり、ダオネラ頁岩は堆積学的見地からも重視される[3]。
三畳紀後期に生息していた原竜脚類、テコドントサウルス
最古のカメ、オドントケリスの化石実測図
これに対し陸上の動植物はペルム紀中に大変革を終えており、P-T境界においては海生生物におけるほどの劇的な変化をともなっていない[2][3]。ペルム紀においてすでに主竜類などをはじめとする爬虫類が水中のみならず陸上生活に適したものが増加し、三畳紀には体躯の大きなものも出現して繁栄した[3]。主竜類の中から三畳紀中期にはエオラプトルやヘレラサウルスなどの恐竜や翼竜、ワニが出現、また主竜類に近い系統からカメ類が現れた[8]。爬虫類はまた、肺呼吸を完全にし、種類によっては皮膚をウロコや硬い甲羅でおおうことによって乾燥した陸地への生活に適応していった[7]。
この時代の恐竜(初期恐竜)は、陸生脊椎動物のなかにあって特に大型であったわけではなく、初期恐竜と併存していた恐竜以外の爬虫類のなかに、それよりもはるかに大きく、個体数の多い種もあったと推定される[8]。中でもこの時代にワニ類を輩出したクルロタルシ類は繁栄の絶頂にあり、陸上生態系において支配的地位を占めていた。三畳紀の恐竜化石は特に南アメリカ大陸で多数検出されており、北米・アフリカ・ヨーロッパなどでも確認されている[8]。湿地帯などにのこされた爬虫類の足跡化石が多く発見されるようになるのも三畳紀に入ってからであり、これにより、肉食種が植物食種を捕食していた関係が成立していたことが推測される[3]。カメは、現存種には歯のある種はないものの、オドントケリスやプロガノケリスなど初期のカメには顎に歯があったことが確認されている[4]。また、四肢は現在のゾウガメに類似しており、陸上生活者であると考えられている[8]。三畳紀のワニ類もまた陸上生活者であり、全長は1メートルにおよばなかった[8]。
最初の哺乳類が現れたのも三畳紀であった[4]。哺乳類は、中生代を通じて小型であり、大きくてもネコか小型犬ほどの大きさであり多くの種はドブネズミかハツカネズミの大きさほどしかなかった[8]。
三畳紀には、従前は陸上でしかみられなかった爬虫類であったが、三畳紀に入ってその一部が海に進出した[8]。イクチオサウルスなどの魚竜や、泳ぐのに特化したひれ状の足をもつプラコドンなどの鰭竜類(Sauropterygia)、タラットサウルス類、板歯目などがそれである[4][8]。
魚類のうち、サメのなかまはペルム紀末の大量絶滅によって打撃を受け、その繁殖は限定的であったが、硬骨魚類は海中において顕著に繁殖した[9]。両生類は、中期に体長5メートルを越すと推定されるマストドンサウルスがあり、これは史上最大級の両生類の一つと考えられている。両生類には、分椎目のアファネランマに代表されるトレマトサウルス類のように海水に適応した種さえあったが、三畳紀を通じてその多くは衰退していった[10]。
三畳紀の植生想像図
陸上の植物ではシダ植物や裸子植物が著しく分布域を広げ[2]、ボルチアやアメリカ合衆国アリゾナ州におけるアラウカリオキシロンの珪化森林にみられるようにマツやスギの遠祖となる針葉樹が現れた[7]。種子植物でありながら独立した精子をつくるイチョウ類やソテツ類、ベネティティス類も多かった。湿地帯には、現在のシダ植物のヒカゲノカズラ科の類縁種である古代リンボクが豊富にのこり、シダやトクサも密に分布した[4]。また、古生代後期からひきつづき、ゴンドワナ植物群とアンガラ植物群とが植生を競いあっていた[2]。
三畳紀の終わり[編集]
詳細は「:en:Triassic–Jurassic extinction event」を参照
三畳紀の終わりに、再びやや小規模な大量絶滅があった。海洋ではアンモナイトの多くの種が姿を消し、魚竜などの海洋棲爬虫類も打撃を受けた。陸上ではキノドン類、ディキノドン類の大半の種といった大量の単弓類(哺乳類型爬虫類)が絶滅した[8]。三畳紀の終末を生き延びた恐竜など陸生脊椎動物は、繁殖様式(卵など)や生活様式から乾燥にとくに強いタイプのものと考えられる[8]。また、爬虫類も単弓類同様に大型動物を中心に多くの種が絶滅した。まだ比較的小型だった恐竜は、三畳紀末期には竜脚類のような大型種も出現し、そののち急速に発展していく。絶滅の原因としては、直径3.3 - 7.8km程度の隕石の落下[11]あるいは、中央大西洋マグマ分布域(Central Atlantic Magmatic Province)における火山活動との関連が指摘されている[12] [13] [14]。
三畳紀の地層[編集]
三畳紀の地層を三畳系という。
三畳紀には大規模な海進はなかったとみられており、そのため、安定陸塊においては陸成層や台地玄武岩が卓越し、海成層の分布はほとんどみられない[2]。一方、テチス海域だった地域および大洋周囲の変動帯ないし準安定地域だった地域には、しばしば珊瑚礁由来の石灰岩や層状チャートをふくんだ三畳系海成層もみられる[2]。
三畳紀の日本[編集]
日本の三畳系は、ふるくは分布範囲はきわめて狭小であるとみなされてきたが、一時期古生代に属すと考えられてきた外帯(太平洋側)のチャート層や石炭岩からコノドント化石が見つかり、これによって三畳紀の地史が大きく解明された。すなわち、従来古生代後期の地層とされてきた海洋性の石灰岩やチャート、また、海底火山岩のうちのかなりの部分が三畳紀に形成された地層であるとみなされるようになった[2]。一方、内帯(日本海側)および外帯一部には、三畳紀にすでに付加された古生代の地層と三畳紀前後に形成された花崗岩および広域変成岩が分布して、これらを基盤として三畳紀後期における陸棚性・瀕海性の厚い堆積物が比較的小範囲に点在する。その多くは炭層をふくみ、産出化石はシベリア方面の種との共通性を示している[2]。
皿貝動物群[編集]
北上山地南部の太平洋沿岸にある宮城県南三陸町皿海集落には三畳系後期ノリアン階の貝化石産地があり、集落名を採って「皿貝動物群」あるいは「皿貝化石群」と称される。ここでは、モノティスと称される翼形二枚貝の検出が特徴的である[3]。
ペルム紀
ペルム紀(ペルムき、Permian period)は、今から約2億9,900万年前から約2億5,100万年前までを指す地質時代である。ただし開始と終了の時期はそれぞれ数百万年の誤差がある。以前はドイツの地層(上下二分される)名から二畳紀(にじょうき)と呼ばれることが多かったが、近年はペルム紀と呼ばれることが多い。石炭紀の後、三畳紀(トリアス紀)の前の紀である。また、古生代の最後の紀であり、ペルム紀が終わると中生代となる。ペルム紀という名前は、ロシアのペルミという都市から名付けられた。
目次 [非表示]
1 生息していた生物
2 大陸配置
3 気候
4 ペルム紀末の大量絶滅(P-T境界事変)
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
生息していた生物[編集]
ペルム紀には、様々な植物、巨大な両生類や爬虫類が生息していた。その中には、恐竜や現生爬虫類の祖先となる双弓類もいた。哺乳類の祖先に当たる単弓類(哺乳類型爬虫類)も繁栄し、陸上には豊かな生態系が築かれていた。ペルム紀の浅い海の堆積物からは、豊富な軟体動物、棘皮動物、腕足動物の化石が産出する。三葉虫なども繁栄していた。
植物では、シダ植物に加え、イチョウ類やソテツ類といった裸子植物も繁栄を始めた。
また、特異な例であるが、この時代の微生物の培養が報告されている。約2億5000万年前に形成された岩塩層から、結晶内部に封じ込められていた古細菌と真正細菌の培養に成功し[1]、古細菌の方はハロバクテリウム科の新属新種 Halosimplex carlsbadense として記載された。
大陸配置[編集]
ペルム紀の初期には、赤道付近に存在していたユーラメリカ大陸と、南半球から北上してきたゴンドワナ大陸が衝突し、パンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成されていた。北半球にはシベリア大陸が存在していたが、やがてシベリア大陸もパンゲア大陸と衝突し、ウラル山脈が形成され、ほぼ全ての陸地が1つの超大陸としてまとまることとなった。パンゲア大陸は赤道を挟み三日月状(Cの字)の形をとった。大陸の周囲はパンサラッサと呼ばれる大洋が囲んでおり、大陸の東側(三日月形の内側)には古テチス海と呼ばれる海が広がり、シベリア大陸からゴンドワナ大陸に、小大陸や島が点々と連なっていた。
気候[編集]
ペルム紀の初期には、ゴンドワナ大陸が南極地域にあり、大規模な氷床が発達していたため、気候は寒冷だった。しかしゴンドワナ大陸が北上して南極地域を脱したことから、氷床は融解しはじめ、気温は上昇に転じた。ペルム紀の末期には激しい気温上昇が起こり、地球の平均気温は23℃にも達した。これは、6億年前から現在まででもっとも高い気温である。
ペルム紀末の大量絶滅(P-T境界事変)[編集]
詳細は「大量絶滅#ペルム紀末」を参照
ペルム紀の終わり(P-T境界)に、地球史上最大規模とも言われる大量絶滅が起こった。このとき絶滅した種の割合は、海洋生物のうちの96%。全ての生物種の90%から95%に達すると言われる。原因はまだよくわかっていないが、スーパープルームにより地球史上もっとも激しい火山活動が起き(この火山活動が現在のシベリア・トラップを形成したとされる。噴出した溶岩の量は、富士山が過去一万年間で噴出した溶岩の量の10万倍である)、それによる気候変動がメタンハイドレートを融解させて更なる気候変動が起こるなどの大規模な環境変化が発生し、大量絶滅に繋がったとする説がある。
目次 [非表示]
1 生息していた生物
2 大陸配置
3 気候
4 ペルム紀末の大量絶滅(P-T境界事変)
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
生息していた生物[編集]
ペルム紀には、様々な植物、巨大な両生類や爬虫類が生息していた。その中には、恐竜や現生爬虫類の祖先となる双弓類もいた。哺乳類の祖先に当たる単弓類(哺乳類型爬虫類)も繁栄し、陸上には豊かな生態系が築かれていた。ペルム紀の浅い海の堆積物からは、豊富な軟体動物、棘皮動物、腕足動物の化石が産出する。三葉虫なども繁栄していた。
植物では、シダ植物に加え、イチョウ類やソテツ類といった裸子植物も繁栄を始めた。
また、特異な例であるが、この時代の微生物の培養が報告されている。約2億5000万年前に形成された岩塩層から、結晶内部に封じ込められていた古細菌と真正細菌の培養に成功し[1]、古細菌の方はハロバクテリウム科の新属新種 Halosimplex carlsbadense として記載された。
大陸配置[編集]
ペルム紀の初期には、赤道付近に存在していたユーラメリカ大陸と、南半球から北上してきたゴンドワナ大陸が衝突し、パンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成されていた。北半球にはシベリア大陸が存在していたが、やがてシベリア大陸もパンゲア大陸と衝突し、ウラル山脈が形成され、ほぼ全ての陸地が1つの超大陸としてまとまることとなった。パンゲア大陸は赤道を挟み三日月状(Cの字)の形をとった。大陸の周囲はパンサラッサと呼ばれる大洋が囲んでおり、大陸の東側(三日月形の内側)には古テチス海と呼ばれる海が広がり、シベリア大陸からゴンドワナ大陸に、小大陸や島が点々と連なっていた。
気候[編集]
ペルム紀の初期には、ゴンドワナ大陸が南極地域にあり、大規模な氷床が発達していたため、気候は寒冷だった。しかしゴンドワナ大陸が北上して南極地域を脱したことから、氷床は融解しはじめ、気温は上昇に転じた。ペルム紀の末期には激しい気温上昇が起こり、地球の平均気温は23℃にも達した。これは、6億年前から現在まででもっとも高い気温である。
ペルム紀末の大量絶滅(P-T境界事変)[編集]
詳細は「大量絶滅#ペルム紀末」を参照
ペルム紀の終わり(P-T境界)に、地球史上最大規模とも言われる大量絶滅が起こった。このとき絶滅した種の割合は、海洋生物のうちの96%。全ての生物種の90%から95%に達すると言われる。原因はまだよくわかっていないが、スーパープルームにより地球史上もっとも激しい火山活動が起き(この火山活動が現在のシベリア・トラップを形成したとされる。噴出した溶岩の量は、富士山が過去一万年間で噴出した溶岩の量の10万倍である)、それによる気候変動がメタンハイドレートを融解させて更なる気候変動が起こるなどの大規模な環境変化が発生し、大量絶滅に繋がったとする説がある。
石炭紀
石炭紀(せきたんき、Carboniferous period)は、地質時代の区分のひとつ。古生代の後半で、デボン紀の後、ペルム紀の前の時代を指し、これはおおよそ現在より3億5920万年前から2億9900万年前までの時期にあたる。この期間はデボン紀末の大量絶滅からペルム紀直前の数百万年に及ぶ氷河期で区切られている。
名前の由来はこの時代の地層から多く石炭を産することによる。この地層から石炭を産するのは当時非常に大きな森林が形成されていたことの傍証となる。
北米では石炭紀の前半をミシシッピ紀(Mississippian)、後半をペンシルベニア紀[1] (Pennsylvanian) と呼ぶ研究者もいる。これらはおおよそ3億2300万年前よりも前か後かで分けられる。
北サマセットでは、石炭層をコールメジャーズと呼び、上部、中部、下部に分けている。この層は古生代の終わりの2000万年の間に堆積したと考えられており、放射性炭素年代測定でおよそ3億1000万年前から2億9000年前のものとされている。[2]。
目次 [非表示]
1 生物
2 環境
3 地質
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
生物[編集]
陸上では、シダ植物が発達し、昆虫や両生類が栄えた。この時代、両生類から陸上生活に適応した有羊膜類が出現し、やがて二つの大きなグループが分岐した。竜弓類(鳥類を含む爬虫類へとつながる系統)と単弓類(哺乳類へと繋がる系統)である。当時の爬虫類ではヒロノムスなどが知られている。また、パレオディクティオプテラやゴキブリの祖先プロトファスマなど翅を持った昆虫が初めて出現した。これらは史上初めて空へ進出した生物である。
デボン紀から引き続いて節足動物、昆虫の巨大化も著しく、全長60cmもある巨大なウミサソリ(メガラシネ)や翼長70cmの巨大トンボ(メガネウラ)、全長2mの巨大ムカデ(アースロプレウラ)などが発見されている。これらの節足動物は陸上進出を果たした両生類や有羊膜類の貴重な蛋白源になったといわれている。逆に三葉虫は衰えてプロエトゥス目(またはプロエタス目)のみとなった。末期には数百万年に渡る氷河期が到来し多くの生物が死滅した。
巨大なシダ類が繁栄し、中でもリンボク(レピドデンドロン)は大きいもので直径2m、高さ38mのものが存在し、このような巨大なシダ類が湿地帯に大森林を形成していた。これらの巨木は標準的なものでも20m〜30mの高さがあった。
アメリカのイリノイ州には石炭紀の無脊椎動物の化石を多く出土する地層があり、ここから出土する動物群を特にメゾンクリーク動物群と呼ぶ。メゾンクリーク動物群には腕足類やウミユリなどが多く含まれ、トリモンストラム・グレガリウム(トゥリモンストゥルム)など異様な形態の動物も見受けられる。
後期にはエダフォサウルスなどの単弓類(哺乳類型爬虫類)が繁栄していく。
環境[編集]
多くの地域は年間を通して季節の変化はあまりなく、1年中湿潤な熱帯気候であったといわれる。一方で南極では氷河が形成されるなど、寒冷化が進行しつつあった。森林の繁栄により、大気中の酸素濃度は35%に達したといわれる[3](現代は21%)。このことが動植物の大型化を可能にしたと考えられている。また、植物が繁栄したことで大量の二酸化炭素が吸収され、その多くが大気中に還元されずに石炭化していったため、大気中の二酸化炭素濃度が激減した。これが寒冷化と氷河の発達、ひいては氷河期の一因とされる。
巨大な陸塊であるゴンドワナ大陸の南部が南極にあったこともあり、ここには大規模な氷河(氷床)が形成されていき、終盤に氷河期が訪れた。
地質[編集]
地質的にはバリスカン造山運動の活動期に当たる。デボン紀から存在していたライク海(リーク海、レーイック海またはミドローピアン海とも呼ぶ)はゴンドワナ大陸とユーラメリカ大陸にはさまれて末期には消滅し、これがやがて次の時代のパンゲア大陸となる。ライク海の消滅と歩調をあわせるかのように生物の陸上新出も進んだ。
この他にもシベリア大陸、カザフ大陸(カザフスタニア)などの小さな大陸が存在していた。
名前の由来はこの時代の地層から多く石炭を産することによる。この地層から石炭を産するのは当時非常に大きな森林が形成されていたことの傍証となる。
北米では石炭紀の前半をミシシッピ紀(Mississippian)、後半をペンシルベニア紀[1] (Pennsylvanian) と呼ぶ研究者もいる。これらはおおよそ3億2300万年前よりも前か後かで分けられる。
北サマセットでは、石炭層をコールメジャーズと呼び、上部、中部、下部に分けている。この層は古生代の終わりの2000万年の間に堆積したと考えられており、放射性炭素年代測定でおよそ3億1000万年前から2億9000年前のものとされている。[2]。
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1 生物
2 環境
3 地質
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
生物[編集]
陸上では、シダ植物が発達し、昆虫や両生類が栄えた。この時代、両生類から陸上生活に適応した有羊膜類が出現し、やがて二つの大きなグループが分岐した。竜弓類(鳥類を含む爬虫類へとつながる系統)と単弓類(哺乳類へと繋がる系統)である。当時の爬虫類ではヒロノムスなどが知られている。また、パレオディクティオプテラやゴキブリの祖先プロトファスマなど翅を持った昆虫が初めて出現した。これらは史上初めて空へ進出した生物である。
デボン紀から引き続いて節足動物、昆虫の巨大化も著しく、全長60cmもある巨大なウミサソリ(メガラシネ)や翼長70cmの巨大トンボ(メガネウラ)、全長2mの巨大ムカデ(アースロプレウラ)などが発見されている。これらの節足動物は陸上進出を果たした両生類や有羊膜類の貴重な蛋白源になったといわれている。逆に三葉虫は衰えてプロエトゥス目(またはプロエタス目)のみとなった。末期には数百万年に渡る氷河期が到来し多くの生物が死滅した。
巨大なシダ類が繁栄し、中でもリンボク(レピドデンドロン)は大きいもので直径2m、高さ38mのものが存在し、このような巨大なシダ類が湿地帯に大森林を形成していた。これらの巨木は標準的なものでも20m〜30mの高さがあった。
アメリカのイリノイ州には石炭紀の無脊椎動物の化石を多く出土する地層があり、ここから出土する動物群を特にメゾンクリーク動物群と呼ぶ。メゾンクリーク動物群には腕足類やウミユリなどが多く含まれ、トリモンストラム・グレガリウム(トゥリモンストゥルム)など異様な形態の動物も見受けられる。
後期にはエダフォサウルスなどの単弓類(哺乳類型爬虫類)が繁栄していく。
環境[編集]
多くの地域は年間を通して季節の変化はあまりなく、1年中湿潤な熱帯気候であったといわれる。一方で南極では氷河が形成されるなど、寒冷化が進行しつつあった。森林の繁栄により、大気中の酸素濃度は35%に達したといわれる[3](現代は21%)。このことが動植物の大型化を可能にしたと考えられている。また、植物が繁栄したことで大量の二酸化炭素が吸収され、その多くが大気中に還元されずに石炭化していったため、大気中の二酸化炭素濃度が激減した。これが寒冷化と氷河の発達、ひいては氷河期の一因とされる。
巨大な陸塊であるゴンドワナ大陸の南部が南極にあったこともあり、ここには大規模な氷河(氷床)が形成されていき、終盤に氷河期が訪れた。
地質[編集]
地質的にはバリスカン造山運動の活動期に当たる。デボン紀から存在していたライク海(リーク海、レーイック海またはミドローピアン海とも呼ぶ)はゴンドワナ大陸とユーラメリカ大陸にはさまれて末期には消滅し、これがやがて次の時代のパンゲア大陸となる。ライク海の消滅と歩調をあわせるかのように生物の陸上新出も進んだ。
この他にもシベリア大陸、カザフ大陸(カザフスタニア)などの小さな大陸が存在していた。
デボン紀
デボン紀(デボンき、Devonian period)は、地質時代の区分のひとつである。古生代の中ごろ、シルル紀の後、石炭紀の前で、約4億1600万年前から約3億5920万年前までの時期を指す[1][注釈 1]デヴォン紀と記載されることもある。イギリス南部のデヴォン州に分布するシルル紀の地層と石炭紀の地層にはさまれる地層をもとに設定された地質時代である。デボン紀は、魚類の種類や進化の豊かさと、出現する化石の量の多さから、「魚の時代」とも呼ばれている。
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1 デボン紀の環境 1.1 陸上の環境
1.2 海洋環境
2 生物の進化 2.1 硬骨魚類の進化と両生類の出現
2.2 昆虫の出現
2.3 サメの出現
3 大量絶滅
4 注釈
5 出典
6 参考文献 6.1 魚類の進化に関して
6.2 昆虫の起源に関して
7 関連項目
8 外部リンク
デボン紀の環境[編集]
陸上の環境[編集]
デボン紀の開始時期にあたる約4億2000万年前、複数の陸塊同士(ローレンシア大陸やバルティカ大陸など)が衝突し、ユーラメリカ大陸が赤道直下に誕生した。現在の北アメリカ東海岸、グリーンランド、スコットランドがユーラメリカ大陸の一部であった。ユーラメリカ大陸には、陸塊の衝突時にできた巨大な山脈があった。その山脈が大気の流れを大きく遮り、恒常的な降雨を周辺地域にもたらしていた。そのため長大な河川が出現し、この河川に沿って動植物が大陸内部まで活動範囲を拡げていくことが可能となった。
前代のシルル紀には既に植物の陸棲化は開始していたが、デボン紀には河川に沿って大規模に植生域が拡大していったアーケオプテリス(またはアルカエオプテリス、Archaeopteris)などのシダ状の葉を持つ樹木状植物が誕生したことにより、最古の森林が形成されていった。この森林の拡大にしたがい湿地帯も同時に形成されていった。[2][3]
河川と森林そして湿地帯の存在が生物種の進化を支え、さらに大陸内部の気候は、乾季や、時には大規模な乾燥期もあったため、後述する昆虫類や両生類など、より乾燥に強い生物種の誕生を促した。
海洋環境[編集]
海洋では河川から流れてくる栄養もあり、コケムシやサンゴ[注釈 2]が大規模なコロニー(個体群)を形成していった。このコロニーに、腕足類、ウミユリ、三葉虫、甲殻類、直角殻のオウムガイなどが生息し、豊かな海を形成していた。アンモナイトもこの時代に誕生した。この豊かな海の時代に、板皮類などの古いタイプの魚類が繁栄を極めていた。サメなどの軟骨魚類もこの時代の海に出現した。
生物の進化[編集]
硬骨魚類の進化と両生類の出現[編集]
現世の魚類の大部分が属する硬骨魚類もデボン紀に登場した。大陸河川域で棘魚類から分岐、進化したと考えられている。[注釈 3]乾季などで気候が乾燥する時期には、水中の酸素濃度(溶存酸素)が低い環境にあるため、ハイギョやシーラカンスなどの肺を持った肉鰭類が登場した。さらにデボン紀後期には、ハイギョ類のエウステノプテロンか近傍の種[注釈 4]から、アカントステガやイクチオステガといった両生類が出現した[注釈 5]。
ちなみにアジやタイなど、現世の大部分の硬骨魚類が属する条鰭類の真骨類には肺がないのは、遊泳力向上のために肺が浮き袋に変化したからである。そのため、デボン紀の硬骨魚類は条鰭類であっても肺があり、空気呼吸をしていたと思われる。実際、デボン紀に登場し現生する条鰭類ポリプテルス目、ガー目、アミア目は、空気呼吸ができる。
昆虫の出現[編集]
前代のシルル紀には、既にダニ(鋏角類)や、ムカデなどが属する多足類が陸上に出現しており、節足動物の陸棲化は脊椎動物よりも進んでいた。さらに約4億年前のデボン紀前期には、昆虫類が誕生した。
この昆虫類を含む六脚類の起源は、先行して上陸していた多足類である、と以前は考えられていた。しかし、遺伝子解析から昆虫類は、カニやエビが属する甲殻類や、ミジンコやフジツボが属する鰓脚類が、六脚類により近いと判明している。この結果から、昆虫類は現生の淡水のミジンコとの共通の祖先種から、後期シルル紀の淡水域において生息していたと考えられる。その祖先種から、前述の河川と陸上の境界域で進化を重ね、陸棲化したのが昆虫だと考えられる。実際、出現当初の昆虫類の化石は、淡水域と陸上であった場所でしか発見されておらず、また現生の昆虫のほとんどが陸棲である。
デボン紀の昆虫は、現在発見されている化石からは翅の獲得はみられず、原始的な形態であった。現在の昆虫類は、動物種の大半を占めるほど多種であるが、その多様な進化は石炭紀以降で顕著になったと思われる。
サメの出現[編集]
サメなどの軟骨魚類は、前期デボン紀には存在していた[4] 。ただし歯の化石[注釈 6]には、それよりも古いシルル紀末期のものもあるため、厳密に言えば、起源は前代のシルル紀にあると考えられる。
サメの祖先は不詳であるが、板皮類に求める説が強い。例えば2008年には、現生のサメが持つ胎生能力を板皮類も持っていたことが発見され、共通の起源が示唆されている。
中期デボン紀には、クラドセラケ[注釈 7][注釈 8]が登場した。捕食生物であり、7対の鰓[注釈 9]を有し、硬い歯、背びれ、尾びれの形状と、現生のサメと変わらない形態をしていた。
大量絶滅[編集]
デボン紀後期から石炭紀初期は、5大大量絶滅の一時期であり、特に前述のサンゴ礁を作る赤道域の浅海域で選択的に絶滅が起こっている[5]。この大絶滅により、海洋生物種の82%が絶滅した。その中には、デボン紀に繁栄を極めたダンクルオステウス[注釈 10]などの板皮類[注釈 11]や、原始的な脊椎動物である無顎類の大部分[注釈 12]や、プロエタス目を除いた三葉虫の大部分[注釈 13]が含まれる。
炭素、酸素、ストロンチウムなどの同位体測定や、元素分析による古環境解析から、気候の急激な寒暖の変化、海水面の後退、乾燥化、低酸素化、などの大きな環境変化がデボン紀後期に繰返し発生し、おそらくこれらの環境変化が大量絶滅の要因だとは考えられている[5][6]。
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1 デボン紀の環境 1.1 陸上の環境
1.2 海洋環境
2 生物の進化 2.1 硬骨魚類の進化と両生類の出現
2.2 昆虫の出現
2.3 サメの出現
3 大量絶滅
4 注釈
5 出典
6 参考文献 6.1 魚類の進化に関して
6.2 昆虫の起源に関して
7 関連項目
8 外部リンク
デボン紀の環境[編集]
陸上の環境[編集]
デボン紀の開始時期にあたる約4億2000万年前、複数の陸塊同士(ローレンシア大陸やバルティカ大陸など)が衝突し、ユーラメリカ大陸が赤道直下に誕生した。現在の北アメリカ東海岸、グリーンランド、スコットランドがユーラメリカ大陸の一部であった。ユーラメリカ大陸には、陸塊の衝突時にできた巨大な山脈があった。その山脈が大気の流れを大きく遮り、恒常的な降雨を周辺地域にもたらしていた。そのため長大な河川が出現し、この河川に沿って動植物が大陸内部まで活動範囲を拡げていくことが可能となった。
前代のシルル紀には既に植物の陸棲化は開始していたが、デボン紀には河川に沿って大規模に植生域が拡大していったアーケオプテリス(またはアルカエオプテリス、Archaeopteris)などのシダ状の葉を持つ樹木状植物が誕生したことにより、最古の森林が形成されていった。この森林の拡大にしたがい湿地帯も同時に形成されていった。[2][3]
河川と森林そして湿地帯の存在が生物種の進化を支え、さらに大陸内部の気候は、乾季や、時には大規模な乾燥期もあったため、後述する昆虫類や両生類など、より乾燥に強い生物種の誕生を促した。
海洋環境[編集]
海洋では河川から流れてくる栄養もあり、コケムシやサンゴ[注釈 2]が大規模なコロニー(個体群)を形成していった。このコロニーに、腕足類、ウミユリ、三葉虫、甲殻類、直角殻のオウムガイなどが生息し、豊かな海を形成していた。アンモナイトもこの時代に誕生した。この豊かな海の時代に、板皮類などの古いタイプの魚類が繁栄を極めていた。サメなどの軟骨魚類もこの時代の海に出現した。
生物の進化[編集]
硬骨魚類の進化と両生類の出現[編集]
現世の魚類の大部分が属する硬骨魚類もデボン紀に登場した。大陸河川域で棘魚類から分岐、進化したと考えられている。[注釈 3]乾季などで気候が乾燥する時期には、水中の酸素濃度(溶存酸素)が低い環境にあるため、ハイギョやシーラカンスなどの肺を持った肉鰭類が登場した。さらにデボン紀後期には、ハイギョ類のエウステノプテロンか近傍の種[注釈 4]から、アカントステガやイクチオステガといった両生類が出現した[注釈 5]。
ちなみにアジやタイなど、現世の大部分の硬骨魚類が属する条鰭類の真骨類には肺がないのは、遊泳力向上のために肺が浮き袋に変化したからである。そのため、デボン紀の硬骨魚類は条鰭類であっても肺があり、空気呼吸をしていたと思われる。実際、デボン紀に登場し現生する条鰭類ポリプテルス目、ガー目、アミア目は、空気呼吸ができる。
昆虫の出現[編集]
前代のシルル紀には、既にダニ(鋏角類)や、ムカデなどが属する多足類が陸上に出現しており、節足動物の陸棲化は脊椎動物よりも進んでいた。さらに約4億年前のデボン紀前期には、昆虫類が誕生した。
この昆虫類を含む六脚類の起源は、先行して上陸していた多足類である、と以前は考えられていた。しかし、遺伝子解析から昆虫類は、カニやエビが属する甲殻類や、ミジンコやフジツボが属する鰓脚類が、六脚類により近いと判明している。この結果から、昆虫類は現生の淡水のミジンコとの共通の祖先種から、後期シルル紀の淡水域において生息していたと考えられる。その祖先種から、前述の河川と陸上の境界域で進化を重ね、陸棲化したのが昆虫だと考えられる。実際、出現当初の昆虫類の化石は、淡水域と陸上であった場所でしか発見されておらず、また現生の昆虫のほとんどが陸棲である。
デボン紀の昆虫は、現在発見されている化石からは翅の獲得はみられず、原始的な形態であった。現在の昆虫類は、動物種の大半を占めるほど多種であるが、その多様な進化は石炭紀以降で顕著になったと思われる。
サメの出現[編集]
サメなどの軟骨魚類は、前期デボン紀には存在していた[4] 。ただし歯の化石[注釈 6]には、それよりも古いシルル紀末期のものもあるため、厳密に言えば、起源は前代のシルル紀にあると考えられる。
サメの祖先は不詳であるが、板皮類に求める説が強い。例えば2008年には、現生のサメが持つ胎生能力を板皮類も持っていたことが発見され、共通の起源が示唆されている。
中期デボン紀には、クラドセラケ[注釈 7][注釈 8]が登場した。捕食生物であり、7対の鰓[注釈 9]を有し、硬い歯、背びれ、尾びれの形状と、現生のサメと変わらない形態をしていた。
大量絶滅[編集]
デボン紀後期から石炭紀初期は、5大大量絶滅の一時期であり、特に前述のサンゴ礁を作る赤道域の浅海域で選択的に絶滅が起こっている[5]。この大絶滅により、海洋生物種の82%が絶滅した。その中には、デボン紀に繁栄を極めたダンクルオステウス[注釈 10]などの板皮類[注釈 11]や、原始的な脊椎動物である無顎類の大部分[注釈 12]や、プロエタス目を除いた三葉虫の大部分[注釈 13]が含まれる。
炭素、酸素、ストロンチウムなどの同位体測定や、元素分析による古環境解析から、気候の急激な寒暖の変化、海水面の後退、乾燥化、低酸素化、などの大きな環境変化がデボン紀後期に繰返し発生し、おそらくこれらの環境変化が大量絶滅の要因だとは考えられている[5][6]。