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2023年09月18日
Cインド編(X)人生が180度変わった出会い
みなさんこんにちは、ノンコです
前回の番外編を見てくださり、ありがとうございます!今回はそんなインドでのインターシップの話に戻って、私が1ヶ月後何をしたのかを詳しくお話ししていこうと思います!
契約にあったインターンシップが終わろうとしていた頃、私は目標である大学院に行くためにヨーロッパへ移ろうか考えていました。
そんな時社長から言われた一言。
「もし大学院までに月日があるなら、ぜひそれまでインドに居てほしい」
とのこと。お話はいただいたことは嬉しかったのですが、やはり心配になるのは私の体力。(ひどい時は朝5時から夜11時過ぎまでインドでのミーティングや日本の会社との会議を行なっていました。
日本ではたくさんの人が遅い時間まで働いていることは理解していますが、私にはどうしてもそこまで遅い時間まで体力がもたないというのをよく理解していました。
そこで何が必要になるか。それは
YES NOはっきり言うこと
です。
え?そんなこと?と思ったかと思いますが、これが意外とできない人が多いんです。(私もそうでした。)特に上司や雰囲気に流されて、曖昧な返事をしてしまい、それにより後悔したことがなん度もあります。他の国はわかりませんが、インドでははっきり自分の気持ちを通して大丈夫です!
もっとわがままになった方がインドで生きていくことができます!
そして私が提示した条件は以下の3つです。
@9時から18時までとて提示した時間をしっかり守る
A提示した時間にしっかり集合する
B無理矢理インドカレーを食べさせない(水や油が体に合わない場合が多いため)
今思えば、これを会社の社長によく言えたなと思うのですが、もしこれを了承してくれない場合、私は続けることができないとはっきりこのまま言いました(笑)
やはりここがインドのいいところ。時間に非常にルーズですが、全てにおいて柔軟なんです。その人柄(?)のおかげで残り3ヶ月続けることになりました。(笑)
ある日の夜、ドバイや米国でソフトウェアの会社のCEOとのミーティングがあり、今にも底をつきそうな体力で会場へ向かいました。
以前のブログにも記述しましたが、大学院で私は防衛省を学びたいと思っていました。ソフトウェアのことについてはあまりわかっていなかったのですが、その社長は私の卒業後インドで働くという大胆な行動に非常に興味を持ってくださりました。
ここでその社長が一言。
「もし3ヶ月後時間があるなら、アメリカでインターンシップをしてそのまま大学院に行くこと考えてみて!」
アメリカでの費用は多額になるため大学院に関して正直アメリカは候補に入っていませんでした。インターンをしながら大学院に行けるなんて、しかもそんな大きな会社からオファーをもらえるとは美味しい話すぎて少々不安ですよね・・・
しかしインドの社長もその場にいたため、「考えておきます」と言い、その場を後にしました。
それから1ヶ月後が経ったある日その社長から連絡がありました。
実は、きっと社交辞令として言ったんだろうと正直思っていたのですが、
「今ドバイにいるんだけど、チケット送るから1週間来ない?」
と急なご招待。
提示された日時は3日後で、インドの方々はやはり柔軟すぎるというか、日本人の私にとっては急すぎて驚くことが多々ありました。
話を戻しますと、ちょうどその一週間は私の社長が海外へ出張に行くと言うことで私も自由にうごけるなんとも奇跡的なタイミング!!!
しかし、ドバイであの社長と仕事ができるという思いと同時に、このことが発覚すれば今の社長はどう思うかなとか、大学側はどう思うかなと何度も何度も考えました。
ここでこの悩みを解決するのが
「まあどうにかなるだろう」
と言うなんとも楽観的考えで、どうせ1週間だけだしインドでの仕事をリモートでしっかりとやれば何も言われないであろうと考えた私は、ドバイへ行くことにしました!(笑)
後に話しますが、この楽観的な考えというのは物事に挑戦する上で非常に大事な力となるのだと今すごく実感しています。
ドバイでの1週間はほぼ家から出ず、ずっと部屋の中でお仕事に没頭しました。時々行われるミーティングに参加したのですが、様々な業種のCEOとお話をさせていただく機会があり、すごく興奮したのを覚えています(笑)
まさにこんな感じ!経歴も素晴らしい方々ばかりで、自分もいつかこうありたいと思わせてくれるような情熱溢れる場でした!
そこで社長から
「一つの業界に絞る必要ないから、たくさんの人と話して本当に君が情熱を感じるものを追求すればいい」
就職活動というものが存在しないアメリカでは、大学の後1年間バケーションを取ったり、インターンシップに1年ついたり、大学院へ進学したりと本当に様々な選択があるみたいです。
やはり自由を謳う国は、選択も自由に広がっており、それゆえにクリエイティブな人材がたくさん生まれるのかもしれません。
私の夢だった大学院の入学は目の前に控えており、米国に行くとなるとヨーロッパでの大学院生活を諦めなければなりません。それは私にとって今までで一番大きな決断でした。
「ではどのように決断したんですか?」
と周りから聞かれることがありますが、決断に関する本や、様々な学生の体験談を見て、聞いて、と3週間決断するのにかかりました。
そんな「選択」について、私なりに次回のブログにまとめてみますので、参考にしたい方はご覧ください!
前回の番外編を見てくださり、ありがとうございます!今回はそんなインドでのインターシップの話に戻って、私が1ヶ月後何をしたのかを詳しくお話ししていこうと思います!
インターンシップ1ヶ月終了
契約にあったインターンシップが終わろうとしていた頃、私は目標である大学院に行くためにヨーロッパへ移ろうか考えていました。
そんな時社長から言われた一言。
「もし大学院までに月日があるなら、ぜひそれまでインドに居てほしい」
とのこと。お話はいただいたことは嬉しかったのですが、やはり心配になるのは私の体力。(ひどい時は朝5時から夜11時過ぎまでインドでのミーティングや日本の会社との会議を行なっていました。
日本ではたくさんの人が遅い時間まで働いていることは理解していますが、私にはどうしてもそこまで遅い時間まで体力がもたないというのをよく理解していました。
そこで何が必要になるか。それは
YES NOはっきり言うこと
です。
え?そんなこと?と思ったかと思いますが、これが意外とできない人が多いんです。(私もそうでした。)特に上司や雰囲気に流されて、曖昧な返事をしてしまい、それにより後悔したことがなん度もあります。他の国はわかりませんが、インドでははっきり自分の気持ちを通して大丈夫です!
もっとわがままになった方がインドで生きていくことができます!
そして私が提示した条件は以下の3つです。
@9時から18時までとて提示した時間をしっかり守る
A提示した時間にしっかり集合する
B無理矢理インドカレーを食べさせない(水や油が体に合わない場合が多いため)
今思えば、これを会社の社長によく言えたなと思うのですが、もしこれを了承してくれない場合、私は続けることができないとはっきりこのまま言いました(笑)
やはりここがインドのいいところ。時間に非常にルーズですが、全てにおいて柔軟なんです。その人柄(?)のおかげで残り3ヶ月続けることになりました。(笑)
人生が180度変わった出会い
ある日の夜、ドバイや米国でソフトウェアの会社のCEOとのミーティングがあり、今にも底をつきそうな体力で会場へ向かいました。
以前のブログにも記述しましたが、大学院で私は防衛省を学びたいと思っていました。ソフトウェアのことについてはあまりわかっていなかったのですが、その社長は私の卒業後インドで働くという大胆な行動に非常に興味を持ってくださりました。
ここでその社長が一言。
「もし3ヶ月後時間があるなら、アメリカでインターンシップをしてそのまま大学院に行くこと考えてみて!」
しかしインドの社長もその場にいたため、「考えておきます」と言い、その場を後にしました。
ドバイへ招待
それから1ヶ月後が経ったある日その社長から連絡がありました。
実は、きっと社交辞令として言ったんだろうと正直思っていたのですが、
「今ドバイにいるんだけど、チケット送るから1週間来ない?」
と急なご招待。
提示された日時は3日後で、インドの方々はやはり柔軟すぎるというか、日本人の私にとっては急すぎて驚くことが多々ありました。
話を戻しますと、ちょうどその一週間は私の社長が海外へ出張に行くと言うことで私も自由にうごけるなんとも奇跡的なタイミング!!!
しかし、ドバイであの社長と仕事ができるという思いと同時に、このことが発覚すれば今の社長はどう思うかなとか、大学側はどう思うかなと何度も何度も考えました。
ここでこの悩みを解決するのが
「まあどうにかなるだろう」
と言うなんとも楽観的考えで、どうせ1週間だけだしインドでの仕事をリモートでしっかりとやれば何も言われないであろうと考えた私は、ドバイへ行くことにしました!(笑)
後に話しますが、この楽観的な考えというのは物事に挑戦する上で非常に大事な力となるのだと今すごく実感しています。
ドバイでの1週間
ドバイでの1週間はほぼ家から出ず、ずっと部屋の中でお仕事に没頭しました。時々行われるミーティングに参加したのですが、様々な業種のCEOとお話をさせていただく機会があり、すごく興奮したのを覚えています(笑)
そこで社長から
「一つの業界に絞る必要ないから、たくさんの人と話して本当に君が情熱を感じるものを追求すればいい」
就職活動というものが存在しないアメリカでは、大学の後1年間バケーションを取ったり、インターンシップに1年ついたり、大学院へ進学したりと本当に様々な選択があるみたいです。
やはり自由を謳う国は、選択も自由に広がっており、それゆえにクリエイティブな人材がたくさん生まれるのかもしれません。
最大の選択
私の夢だった大学院の入学は目の前に控えており、米国に行くとなるとヨーロッパでの大学院生活を諦めなければなりません。それは私にとって今までで一番大きな決断でした。
「ではどのように決断したんですか?」
と周りから聞かれることがありますが、決断に関する本や、様々な学生の体験談を見て、聞いて、と3週間決断するのにかかりました。
そんな「選択」について、私なりに次回のブログにまとめてみますので、参考にしたい方はご覧ください!