2017年03月11日
3.11から6年目
2011.3.11
日本人にとって忘れられない日です。
14時46分には家族揃って黙とうしました。
6年目の今日というこの日に今の私の気持ちを残しておこうと思います。
2011.3.11 私は・・・
当時西日本に住んでいました。
長男2歳。
まわりのママ友は次々と第2子妊娠→出産していく中で、やっと第2子がお腹に宿ってくれた頃でした。
長男とお昼ごはんを済まし、
お昼寝から目覚めていつものように教育テレビをつけた私の目の前にあらわれたもの・・・
それは、とても現実のものとは信じ難い映像でした。
同じ日本で・・・
私たちがお昼寝していた間にまさかこんなことが・・・
「幼児には津波の映像をみせないでください」
と耳にしました。
妊娠中の私もひよっとしたらみないほうがよかったのかもしれません。
それでも、私は今、日本で起きている現実をみておこうと思ったのです。
長男にも、
「東北で大きな地震がきて、津波がきた」こと、
「たくさんの人が亡くなった」こと
「行方不明がたくさんいる」こと
「自宅に戻れず避難所生活をしている人がいる」こと
を私から伝えました。
私はたまたま西日本に住んでいたけど、
当時アパートの2階に暮らしていたので、
ひょっとしたら、今の私はいなかったのかもしれない、
ちょっとしたら、次男に会えなかったのかもしれない、
当時も今もそう思っています。
2011・3.11後の私
もしも3.11がなかったら、
私はパスポート申請することもなく、
海外旅行に行くこともなかったと思います。
それまでの私は日本は素晴らしい国だし、
海外に行く必要性を全く感じていませんでした。
日本は確かに素晴らしい国です。
震災後も海外から賞賛されていた、と聞きます。
でも、私は日本しか知りません。
日本を国内から見るだけでなく、
国外から日本を見てみたい。
そう思ったのです。
そして、私はバンコク、バリ、台湾、マレーシアなど家族で、
夫が仕事で行けない夏休みには長期で子供たちと海外旅行に行くようになりました。
そこでは、
コンビニの店員さんは仕事中でもスマホを手にしています。
電車やバスの時刻表はあってないようなものです。
それに対して怒る人は誰もいません。
子どもには当たり前のように席を譲ってくて、
優しく微笑みかけてくれます。
子供が泣いても、あやしてくれます。
道路は日本のように綺麗には整備はされていません。
日本は何でもあって便利な国だけど、
海外に行くと不便なこともたくさんあるけど、
それでも日本にはない何かがあるのです。
そして日本にいたら当たり前だと思っていたことが、
実はすごいことだったんだ、気づくのです。
日本にいたら、
一日労働しない、
外出できない、
火や電気が使えない、
空港さえ閉鎖されてしまう、
そんな日(ニュピ)が観光地バリ島であるなんて信じられません。
バリ島では停電もします。
それでも、原発は建設中止になりました。
原発事故があったにもかかわらずどんどん再稼働いく日本。
私は春休みに息子たちとバリ島に行き、ニュピを体験するのが楽しみです。
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