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高鍋(財部)城=日向国児湯郡

高鍋(財部)城    ※延宝元(1673)年までは財部城と称した。

日向国児湯郡財部(のち高鍋)に所在した中世〜近世の城郭。

中世初期の築城。築城者は財部土持氏かその一族と思われる。

城主は土持氏→伊東氏→島津氏→秋月氏と変遷した。

高鍋城堀跡


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高鍋城石垣



古代以来の日向の豪族・土持氏は、古代末〜中世には、土持七頭と称して、有力な7氏の土持支族があった。

鎌倉時代初期に、日向に下向した関東御家人・伊東氏は、平和的手段(婚姻等)や、武力行使によって、古代以来の日向の名族・土持氏の勢力圏を侵蝕し、次第ニ勢力圏を拡大していった。

長禄元(1457)年、伊東祐尭は、財部土持氏と、小浪川に戦い、勝利を収めた。土持景綱は、新名爪(宮崎市)六十町を与えられることを条件に、開城して、新名爪別符に移った。

伊東氏の領有に帰した財部城の守将は、落合氏であった。

元亀三(1572)年、伊東氏と島津氏は、日向支配をめぐって、真幸(まさき)盆地で衝突(木崎原の戦)し、伊東氏は大敗し、有力武将の多くを失い、ついに、昔日の勢力を回復することができず、天正五(1577)年、伊東義祐は、その一族とともに、大友氏を頼って豊後に去った。

島津氏の領有に帰した財部城の守将は、鎌田筑前守政心であった。

天正十四(1586)年、大友宗麟は、九州制覇を目前にした島津氏の圧迫に抗しきれず、豊臣秀吉に助けを乞うた。

天正十五年四月六日、豊臣秀吉軍(日向口の総大将は羽柴秀長)は、耳川を渡って、財部城を落し、さらに、高城を囲んだ。

同四月廿五日、島津義久は、戦力の相違を悟り、降伏した。

豊臣秀吉の九州仕置後、秋月種長が、日向櫛間院・新納院を宛行われ、初め、種長は櫛間院に入り、慶長九年、財部城に入った。

延宝元年、財部を高鍋と改めた。


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日向高岡・天ヶ城(島津藩麓城)

日向高岡・天ヶ城(島津薩摩鹿児島藩関外本城麓城)

慶長五年、日向国諸県郡のうち、飯田・八代・内山の3郷を合わせて高岡郷を創設し、「関外四ヶ所之本城」として、外城を取建て、麓城天ヶ城と唱えた。








天ヶ城遠景










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飫肥城=伊東日向飫肥藩=日南市

飫肥城 伊東日向飫肥藩 宮崎県日南市飫肥

天正十五年、伊東祐兵は、豊臣秀吉の島津氏制圧に戦功をあげ、日向国内に十四ヶ所千七百三拾六町を宛行われ、はじめ、宮崎郡宮崎城に入り、のち曽井城(宮崎市古城)に移り、ほどなく、飫肥城に移った。その後、明治四年まで、伊東氏の居城であった。


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飫肥城・大手門を望む

































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飫肥城旧本丸址=宮崎県日南市

飫肥城旧本丸址 宮崎県日南市飫肥

南北朝時代から近代初めまで、日向国宮崎郡(のち那珂郡)楠原(一部は板敷)に所在した城。南西は酒谷川、東北は山川、北西は山に連なる小丘上にある。



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築城年代は、未詳だが、南北朝初期の築城か。築城者、築城期の面積などは不明だが、南北朝期以来、島津氏の、飫肥北郷・南郷を防衛するための拠点であったと推定されている。

  戦国時代は、島津氏と伊東氏の間で、争奪が繰り返された。

天文年間頃までは、新納近江守忠続、島津修理亮忠康、島津豊後守忠朝、島津豊後守忠広、島津豊後守忠親などの居城であった。

  伊東氏の勢力圏に入ってからは、伊東祐兵、上別府常陸守、福永宮内少輔などの居城で、伊東氏四十八城の一とされた。

  天正五年、伊東氏は、島津氏によって、日向を追われ、島津氏の部将上原長門守尚近が入った。

  天正十五年、伊東祐兵は、豊臣秀吉の島津氏制圧に戦功をあげ、日向国に、十四ヶ所千七百三十六町を宛行われ、はじめ、宮崎城に入り、のち、曽井城(宮崎市古城)に移り、ほどなく、飫肥城に入った。








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