2015年05月05日
それぞれの思い
\(^o^)/こんばんは!。konyです。
午後過ぎにメンバーから電話が入った。心情を苦しげに訴える電話だった。
両親の高齢化、両親の住まいの立ち退きから始まり、メンバーの身の回りが慌ただしくなり始めていた。
冷静を取り戻す為に、三神の祈願を再度行い、精神の安定を願い祈願し、見切り発車が必要と気持ちの切り換えをお手伝いさせて頂いた。
メンバーの一員でも有った親父は神々の思いとは裏腹に引っ越しを拒み続けていたが、体調不良がきっかけに入院と同時に家屋の撤去作業。
母親はと言うと、新たな引っ越し先に移ったが、看病の為に病院との往復で参って(∋_∈)しまったようで、ダウン。そんな歳月が二年近く、結局親父は他界。
残された母親もエネルギーのダウンで最近入院したが、もうソロソロ退院出来るけど、行く先に不安を抱えているメンバーの娘さんが母親の見舞いに行くたびに母親の思いを聞きしんどい思いをして帰って来る。
もう限界だったのだろう。取り乱してかけてきた電話はただただ聞くしかない。その間に、神々に祈願。
今年の頭まで独り暮らしで慣れていた感覚で訴える母親、現状を把握している娘さん二人の思い違い、今週末には一時帰宅と決まっているが、母親にしてはもう元気だから早く退院したいとの希望。
それがいつの間にか娘さんに対する恨みの念へと変わってしまっている。やっと危機をを感じた。
その様子が自分の両親とダブり、アドバイスすら出なかった。
自分の場合は親父が血圧で倒れ、電話でやり取りして入り込んだ道を説明しながら救急車で病院に運んでもらった。仕事も抜け出せずどうにか仕事を終え主護神に両親の居場所を確認して行くと、姉達が全員揃っていた。
ちょっと変わった姉弟なので、緊急信号を発信のが分かったようでした。
早速口には出さないが、誰が看病するかだ、やはり自分しかいない。結局山場と言われた二日間は一睡も出来ず母親と交代で看病と仕事場との往復だった。
1週間して母親ダウン。結局同じ病棟の1階に入院する羽目になった。その頃には仕事場も辞めて看病に専念した。
約二ヶ月間一睡も出来ず看病を・・・昼間は母親の病室、夜は親父の病室と・・・そんな時って何も考える事が出来ない、対処も出来ない、唯一出来るのは親父の「喉に絡む痰」の吸引を看護婦さんのやり方を覚えちょっとおかしいと思ったら吸引・・・一週間もすると時間や大体の行動が分かってくる物だ。
やっと目処が出た頃にリハビリをしようとの案で二ヶ月余りに自宅で風呂を入り仮眠を取り病院に行く予定だったが、なぜかいや〜〜な胸騒ぎで急いで行くと、昼間迄異変も感じられなかった親父が、急変していた。
原因は、看病を変わってくれた姉達を病室から追い出した数分の間の出来事だったとの事を姉から聞かされた。 レントゲン撮ると肺が真っ白状態になっていたと当番の医師から説明を受けた。
はぁ、もっと慎重に・・・リハビリが出来るようになって・・・悪いイメージだけで脳裏が破裂しそうだった。
夜中に気づいたのか母親が眠れないと病室へ、親父の様子を見てがっかりしていた。昼間ではどうもなかったのにね・・・すすり泣く母親の肩をグッと抱えるだけしか・・・
誰にもある旅立ちの日。涙がなかなか出ない。誰かと話ししたくても母親しかいない。母親を見ていると、しっかりしている。(^_^; アハハ…。芯の強い女性とは思っていたがこれほどまでとは・・・涙を子供達の前ではみせられないと言う思いでいっぱいだったのでしょう。
今自分がやるべき事は?? 無事告別式を終える事、葬儀代は十分とは言えないが大丈夫。49日終える迄は、どうにかやり繰りしながら残された母親の面倒を見る事にした。
我が一族の風習で、長男は残された親を3年忌が終わる迄一日中様子を見るとの義務があり、仕事も出来ず何処に行くのも一緒に行動を取る事にした。
そんな出来事が走馬燈の様に今メンバーの心情で興っている様子とダブって思い出していた。
何事もなく退院でき、従来の独り暮らしが出来るのならいいが、もう高齢!!!自覚を持つ迄は娘さんはしんどいかも知れませんね。
めげずに頑張って欲しい物です。てな事で、暫くはメルマガの担当もお休みです。ご報告までに!!
CMで〜す。今年も一般公開講演会を開催する。
http://jmty.jp/okinawa/eve-work/article-pix5 去年は中部での開催でしたが、今回は那覇市での開催です。
午後過ぎにメンバーから電話が入った。心情を苦しげに訴える電話だった。
両親の高齢化、両親の住まいの立ち退きから始まり、メンバーの身の回りが慌ただしくなり始めていた。
冷静を取り戻す為に、三神の祈願を再度行い、精神の安定を願い祈願し、見切り発車が必要と気持ちの切り換えをお手伝いさせて頂いた。
メンバーの一員でも有った親父は神々の思いとは裏腹に引っ越しを拒み続けていたが、体調不良がきっかけに入院と同時に家屋の撤去作業。
母親はと言うと、新たな引っ越し先に移ったが、看病の為に病院との往復で参って(∋_∈)しまったようで、ダウン。そんな歳月が二年近く、結局親父は他界。
残された母親もエネルギーのダウンで最近入院したが、もうソロソロ退院出来るけど、行く先に不安を抱えているメンバーの娘さんが母親の見舞いに行くたびに母親の思いを聞きしんどい思いをして帰って来る。
もう限界だったのだろう。取り乱してかけてきた電話はただただ聞くしかない。その間に、神々に祈願。
今年の頭まで独り暮らしで慣れていた感覚で訴える母親、現状を把握している娘さん二人の思い違い、今週末には一時帰宅と決まっているが、母親にしてはもう元気だから早く退院したいとの希望。
それがいつの間にか娘さんに対する恨みの念へと変わってしまっている。やっと危機をを感じた。
その様子が自分の両親とダブり、アドバイスすら出なかった。
自分の場合は親父が血圧で倒れ、電話でやり取りして入り込んだ道を説明しながら救急車で病院に運んでもらった。仕事も抜け出せずどうにか仕事を終え主護神に両親の居場所を確認して行くと、姉達が全員揃っていた。
ちょっと変わった姉弟なので、緊急信号を発信のが分かったようでした。
早速口には出さないが、誰が看病するかだ、やはり自分しかいない。結局山場と言われた二日間は一睡も出来ず母親と交代で看病と仕事場との往復だった。
1週間して母親ダウン。結局同じ病棟の1階に入院する羽目になった。その頃には仕事場も辞めて看病に専念した。
約二ヶ月間一睡も出来ず看病を・・・昼間は母親の病室、夜は親父の病室と・・・そんな時って何も考える事が出来ない、対処も出来ない、唯一出来るのは親父の「喉に絡む痰」の吸引を看護婦さんのやり方を覚えちょっとおかしいと思ったら吸引・・・一週間もすると時間や大体の行動が分かってくる物だ。
やっと目処が出た頃にリハビリをしようとの案で二ヶ月余りに自宅で風呂を入り仮眠を取り病院に行く予定だったが、なぜかいや〜〜な胸騒ぎで急いで行くと、昼間迄異変も感じられなかった親父が、急変していた。
原因は、看病を変わってくれた姉達を病室から追い出した数分の間の出来事だったとの事を姉から聞かされた。 レントゲン撮ると肺が真っ白状態になっていたと当番の医師から説明を受けた。
はぁ、もっと慎重に・・・リハビリが出来るようになって・・・悪いイメージだけで脳裏が破裂しそうだった。
夜中に気づいたのか母親が眠れないと病室へ、親父の様子を見てがっかりしていた。昼間ではどうもなかったのにね・・・すすり泣く母親の肩をグッと抱えるだけしか・・・
誰にもある旅立ちの日。涙がなかなか出ない。誰かと話ししたくても母親しかいない。母親を見ていると、しっかりしている。(^_^; アハハ…。芯の強い女性とは思っていたがこれほどまでとは・・・涙を子供達の前ではみせられないと言う思いでいっぱいだったのでしょう。
今自分がやるべき事は?? 無事告別式を終える事、葬儀代は十分とは言えないが大丈夫。49日終える迄は、どうにかやり繰りしながら残された母親の面倒を見る事にした。
我が一族の風習で、長男は残された親を3年忌が終わる迄一日中様子を見るとの義務があり、仕事も出来ず何処に行くのも一緒に行動を取る事にした。
そんな出来事が走馬燈の様に今メンバーの心情で興っている様子とダブって思い出していた。
何事もなく退院でき、従来の独り暮らしが出来るのならいいが、もう高齢!!!自覚を持つ迄は娘さんはしんどいかも知れませんね。
めげずに頑張って欲しい物です。てな事で、暫くはメルマガの担当もお休みです。ご報告までに!!
CMで〜す。今年も一般公開講演会を開催する。
http://jmty.jp/okinawa/eve-work/article-pix5 去年は中部での開催でしたが、今回は那覇市での開催です。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/3622415
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック