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2015年02月11日

修行の始まり

\(^o^)/こんばんは!、konyです。

幼い頃から描いていた海外への出店。。。

親父はうみんちゅで、台湾の商人達と取引をしていたと母親や姉達から聞かされていた。

その証拠の台湾のお札がぎっしり詰まった素麺箱が5つも6つも自宅のくちゃぐゎ(お仏壇の裏にあるお年を召した方々の小部屋)に山積みされていた。

それをオモチャ代わりに幼馴染み達と商品の売買をしていた。(^_^; アハハ…。

台風で住んでいたかやぶき家の屋根が吹っ飛びお札も何処へ飛んで行ったやらの状態でスッカラカンの家族が再スタートしたのが小学校終え中学校上がる時だった。

後で気がついたのですが、両親の嘆き悲しむ姿が妙に寂しかった哀しかった。

数ヶ月過ぎて、夜中に両親の談話を聞いた。それはそれは涙が止まらない程・・・・

台湾の知人に自分が中学校へ上がると将来の事を考え台湾で学問の道を歩ませたいとの事でやり取りしていたという、あの素麺箱に入っていたお札が留学資金として貯めていた資金だった。。

寝ながらのうろ覚えだったが、台湾に行かされる??? ちょっと\(゚o゚;)/ウヒャーしながら、子供ながらちょっと涙ぐんで鼻をすすっている音にジーンと胸が熱くなっていた。

数日が経過して、家庭訪問で担任の先生が来られていた。島には高校はないから那覇へ行くか台湾へ行かせるか?と将来の事で先生と話ししていたようだ。

今ではスッカリ忘れているが、幼い頃、台湾の知人が来ると、広東語やピン南語、志那語等、語源が似ているのか親父は片言で話していた。母は親父達の会話に耳を傾けて目を細めて聞いていた。後で知ったのですが、母親は二十歳台に台中や台北でバスガイドをして日本の観光客を案内していたとの事だった。

休む暇も無く働きづめの両親。その思いは自分を台湾へ留学させる事が夢で希望だったと後になって知った。その後、叔父さんから自分の名前の由来を聞かされた。なるほど・・・と自分なりに納得していた。

なにかあると「お前は世の中を一人で渡るんだから」学問はしっかりしなさいとか、余り人を信じるなとか、商人になりなさいとか・・・

そう言う背景には複雑な人生の営みがあったのだろうと今は想い出として受け止めている。

そんな事もあり、ネットで特に海外へのサイトへの出店は憧れでしたが、どうやら夢が叶えられそうです。

できれば、県産品を中心にチャレンジしたいですね。

皆様にはご迷惑おかけするかも知れませんが、ご協力お願いします。




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ハイサイ、沖縄在住のkonyです。 身の回りで日々興っている意味不明の出来事へ、多彩なイメージを膨らましながら対処し解決しています。 それでも判らない事が多すぎます、(×_×;)(´。`)。 そんな諦めの悪さが解決の発想転換に繋ぎコツコツと解決しています。
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