2015年05月30日
予科練平和記念館に行きました
予科練平和記念館
茨城県稲敷郡阿見町廻戸5-1
「土浦海軍航空隊」は、阿見町の霞ヶ浦湖畔にある
陸上自衛隊武器学校一帯にあり、予科練教育の中心地として
多くの練習生たちが訓練した場所です。その敷地に隣接する
予科練平和記念館
予科練の少年たちの歴史を後世に伝え、
今と未来を考え。記念館の外観は幾何学的な
シルバーの市松模様で、予科練習生たちがあこがれた
空を映して刻々と表情をかえていく。館内は予科練の
代名詞となった制服の「七つボタン」にちなみ、「入隊」
から「特攻」にいたる7つのテーマ展示室で
ストーリーが展開されます。
桜並木のアプローチを抜けると、記念館入り口のガラスを
通して大きな写真が目に入ります。昭和を代表する写真家、
土門拳が土浦海軍航空隊で撮影した予科練習生たちの写真です。
これと重なるようにして、ガラス面には、予科練の草創期から
終戦まで彼らを見守り続けた教官のことばが刻まれています。
その左側には、土浦海軍航空隊のレリーフ。昭和初期、
阿見の地にいた彼らの物語は、もうここから始まっています。
雄翔館は、予科練戦没者の遺書・遺品約1500点を収蔵、展示しています。
予科練出身者、遺族などで構成される財団法人海原会が管理しており、
1968(昭和43)年に開館しました。
山本五十六像
雄翔園は、予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿(れいじぼ)を
おさめた「予科練の碑(予科練二人像)」を正面に配した
庭園です。中央の芝生は桜の花びらをかたどっており、
芝生まわりの敷石は錨(いかり)を、芝生の中の七個の石は予科練の制服「七つボタン」と七つの海を表現しています。池と築山は
日本列島を表し、各都道府県の場所にはそれぞれの場所から
運んだ石と、木が移植されています。
ここをクリックして確認して下さい↓↓↓
茨城県稲敷郡阿見町廻戸5-1
「土浦海軍航空隊」は、阿見町の霞ヶ浦湖畔にある
陸上自衛隊武器学校一帯にあり、予科練教育の中心地として
多くの練習生たちが訓練した場所です。その敷地に隣接する
予科練平和記念館
予科練の少年たちの歴史を後世に伝え、
今と未来を考え。記念館の外観は幾何学的な
シルバーの市松模様で、予科練習生たちがあこがれた
空を映して刻々と表情をかえていく。館内は予科練の
代名詞となった制服の「七つボタン」にちなみ、「入隊」
から「特攻」にいたる7つのテーマ展示室で
ストーリーが展開されます。
桜並木のアプローチを抜けると、記念館入り口のガラスを
通して大きな写真が目に入ります。昭和を代表する写真家、
土門拳が土浦海軍航空隊で撮影した予科練習生たちの写真です。
これと重なるようにして、ガラス面には、予科練の草創期から
終戦まで彼らを見守り続けた教官のことばが刻まれています。
その左側には、土浦海軍航空隊のレリーフ。昭和初期、
阿見の地にいた彼らの物語は、もうここから始まっています。
雄翔館は、予科練戦没者の遺書・遺品約1500点を収蔵、展示しています。
予科練出身者、遺族などで構成される財団法人海原会が管理しており、
1968(昭和43)年に開館しました。
山本五十六像
雄翔園は、予科練の戦没者約1万9千人の霊璽簿(れいじぼ)を
おさめた「予科練の碑(予科練二人像)」を正面に配した
庭園です。中央の芝生は桜の花びらをかたどっており、
芝生まわりの敷石は錨(いかり)を、芝生の中の七個の石は予科練の制服「七つボタン」と七つの海を表現しています。池と築山は
日本列島を表し、各都道府県の場所にはそれぞれの場所から
運んだ石と、木が移植されています。
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