2017年03月14日
河原町の衰退を考える(3)
河原町が一番にぎわっていたのはやはり自分の記憶にある昭和30年代から50年代くらいでしょうか。道路に市電も通っており、看板条例?もない昔の写真を見るとびっくりするほどの看板が街に林立しています。
現在、ミーナビルのある河原町六角の角には駸々堂という大きな書店があり、併設の映画館(京都宝塚劇場・スカラ座)とともにたいそうにぎわっていました。駸々堂はたしか現在のラウンドワンのビルにも店舗があったような気がします。
その後本屋はブックファーストに変わりましたが、しばらくしか持たず映画館の廃館とともにあっさりと撤退してしまいました。(現在は四条河原町北東のコトクロスビルに入っていますね。)
現在、四条河原町にあるOPAビルも元はオーム社と京都書院という書店が入っていたところです。
ちょうどそのころに元は住友銀行だった四条河原町の東南角に阪急百貨店(現マルイ京都店)がオープンして、近隣の高島屋や藤井大丸への買い物客で街はまさに京都の中心にふさわしい賑わいでした。今の学生もそうかも知れませんが、ケータイもない学生時代には飲み会の待合せ場所といったら「阪急前」でしたね。
今のスーパージャンカラがあるところにも丸善ブランドの書店があり、その他個人経営の本屋さんが十数店もあったりして河原町はまさに「書店の街」でした。(続く)
現在、ミーナビルのある河原町六角の角には駸々堂という大きな書店があり、併設の映画館(京都宝塚劇場・スカラ座)とともにたいそうにぎわっていました。駸々堂はたしか現在のラウンドワンのビルにも店舗があったような気がします。
その後本屋はブックファーストに変わりましたが、しばらくしか持たず映画館の廃館とともにあっさりと撤退してしまいました。(現在は四条河原町北東のコトクロスビルに入っていますね。)
現在、四条河原町にあるOPAビルも元はオーム社と京都書院という書店が入っていたところです。
ちょうどそのころに元は住友銀行だった四条河原町の東南角に阪急百貨店(現マルイ京都店)がオープンして、近隣の高島屋や藤井大丸への買い物客で街はまさに京都の中心にふさわしい賑わいでした。今の学生もそうかも知れませんが、ケータイもない学生時代には飲み会の待合せ場所といったら「阪急前」でしたね。
今のスーパージャンカラがあるところにも丸善ブランドの書店があり、その他個人経営の本屋さんが十数店もあったりして河原町はまさに「書店の街」でした。(続く)
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