2017年05月15日
永谷園
永谷宗円とはWikiによると
「中国から日本にもたらされた茶は、南宋に渡った栄西が『喫茶養生記』で茶の効能を説いたように、当初は寺院での修行や薬用として飲用されていた。
やがて各地で栽培が広がりますが、、宇治の特定の茶師は、幕府の許可を得て高品質の碾茶の製造を独占して、富裕層が好んだ抹茶とは違い、庶民は色が赤黒く味も粗末な「煎じ茶」を飲んでいた。
そんな中、宗円は15年の歳月をかけて製茶法を研究し、味もすぐれた緑の新しい煎茶(正確には「だし茶」である)を作り上げた。この宗円が発明した「青製煎茶製法」はその後の日本緑茶の主流となる製法となった。宗円は完成した茶を携えて江戸に赴き、茶商の山本嘉兵衛に販売を託したところ、たちまち評判となり、以後「宇治の煎茶」は日本を代表する茶となった。宗円の煎茶を販売し大きく利益を得た「山本山」では、明治8年(1875年)まで永谷家に毎年小判25両を贈った。」
宗円は自身が発明した製茶法を近隣にも惜しみなく伝えたため、「永谷式煎茶」「宇治製煎茶」は全国に広がることとなった。」とあり、現在、お茶漬けのりなどで有名な「永谷園」の開祖でもあるそうです。
宇治田原の「永谷園」はその永谷宗円が暮らした住居跡に、製茶道具や「焙炉(ほいろ)」跡を保存するため昭和35年(1960)に建設された施設であり、隣接する神社に「茶宗明神」として祀られたそうです。
現在は土日のみ公開されており、10分ほどのビデオと簡単な案内、そしてお茶の接待が受けられます。
公共交通機関ではなかなかいけない場所ですが、車なら宇治田原町の中心部から10分程度、足を延ばせば信楽までも遠くない距離なので、ドライブの途中に寄られてはいかがでしょうか?
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