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2017年03月10日

河原町の衰退を考える(2)

先日、河原町の衰退を考えるというテーマで少し書いてみましたが、河原町はもともと豊臣秀吉の時代まではその名のとおり、鴨川の河原でした。天正年間(1591年)には御土居(おどい)がつくられましたが、その場所はなんと今の河原町通りの西側、商店が立ち並ぶアーケード街のあたりだったそうです。
その後、江戸時代の初期には鴨川に新しい堤防が建設され、現在の河原町あたりの御土居はだんだんと取り壊され河原町通りが開通しました。
東海道の終点である三条大橋にも近く交通の要所だったため、河原町通りの東側に土佐や長州の藩邸が置かれたのも納得できますね。(続く)





posted by ookini8008 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都
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