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2020年02月19日

第2の人生の目的、意味

「随想2:第1の人生、第2の人生の横比較」
なのですが、
進化論で考えるから訳が分からなくなるのだと思う。

武田先生の答えはどうなるのだろうか?
第2の人生の目的、意味をどのように見い出すのだろうか?
進化論(動物)で答えが出るのだろうか?

「一生、雑魚であれ。死ぬまで学ぶ心を忘れない。
一生、旅人であれ。死ぬまで出会いの喜びを忘れない」
という言葉がありました。
私は、一生、雑魚ですが、一生学びたいです。

物忘れを良いように解釈すれば、それだけ知識を取り込んだからです。
若年は、知識が少ないから物忘れも少ないです。

「無明長夜」という言葉があります。
以下、ネットより
「無明長夜(むみょうじょうや)の燈炬(とうこ)なり 智眼(ちげん)くらしとかなしむな」
親鸞「正像末和讃」(『真宗聖典』503頁)

 標題のことばは、親鸞の最晩年の著作「正像末和讃(しょうぞうまつわさん)」の一節です。
 この「正像末和讃」が書かれた年齢は、83歳から86歳頃にかけてと推測されています。この頃親鸞は「目も見えなくなりました。まったくなにごとも忘れ果ててしまい、他人に何かを教えるような身ではなくなりました」と述べています。それでもなお彼は晩年に次から次へ著作や手紙を書き続けていきました。親鸞をそこまで促したものは何だったのでしょうか。

 親鸞の晩年は13世紀中頃にあたります。この時代多くの人々が大地震や極端な冷夏など自然災害のただ中に生きていました。そのことからもたらされる飢饉や伝染病などによって、決して生活することが容易ではなかった時代に、人々は筆舌に尽くしがたい悲惨な現実に直面したにちがいありません。

 標題のことばは、そのような中で刻みつけられたのです。意訳すれば、次のようになります。
 いつ明けるか分からないほどの暗く長い夜の中であっても、私を照らす大きな灯(ともしび)がある。そうであるから、智慧
 がなく、愚かさをさけることのできない身であっても、その自分をかなしむことはない。

 親鸞が表わす「無明長夜」とは、大災害から受ける苦痛のみならず、その中で生きる人々が更にどのような現実を作り出していくかということを踏まえての表現といえます。「無明」とは、仏教において人間の苦しみや迷いを生み出す最も根本的な原因です。自己の存在にとらわれ、苦しみを超える智慧を全くもたない人間の心を指すことばです。苦しみや怒りは、更なる苦しみと怒りを生みだし続けていくという私たちの現実の姿、つまり出口の見えない暗黒の闇の中を生きあぐねる私たち人間の実感を「無明長夜」という言葉は表わしています。

 私たち人間は、愚かさを避けることのできない存在です。愚かさを覆い隠し切れず、自らの愚かさを自覚するからこそ、人は自らの人生に大きな灯(ともしび)となる存在が、とてつもなく大切であることを思い知るのでしょう。そのような灯が確かにあり、また出遇(あ)うことができたからこそ、親鸞は、その言葉を自他の灯となることを願い、力尽きるまで書き続けたのです。仏の智慧に照らされている私たちは、目の前にどれほど過酷な現実があっても、また絶望的な状況を生きるしかなくても、生きる意義と自身の尊さを失わずに確かに生きていけるのだと、親鸞は標題のことばを通して私たちに伝えているのです。


武田邦彦先生の本


徳島県 鳴門市

鳴門市といえば「鳴門海峡の渦潮」!!
 イタリアのメッシーナ海峡、カナダのセイモア海峡とならんで、世界三大潮流のひとつと言われています。潮流の速さは大潮時には時速20km以上にもなり、日本一の速さと言われています。さらに渦の大きさは世界最大級と評されています。
 轟音をたて逆巻く渦に吸い込まれそうなスリルを体感したいなら「観潮船」で、渦潮を真上から眺めるなら「渦の道」でお楽しみいただけます。
 鳴門海峡の速い潮流にもまれた「鳴門鯛」は、こりこりした歯ごたえの引き締まった身と適度な脂のりが特徴の一級品です。春は、「桜鯛」、秋は「紅葉鯛」と呼ばれ一層おいしくなります。
 また、鮮やかな緑色が特徴の「鳴門わかめ」も渦潮を生み出す激しい潮流により育まれたものです。最近は「鳴門わかめのしゃぶしゃぶ」が人気で、舌の上で踊るような瑞々しい新わかめの食感は「シャッキリぽん」という感じで爽やかです。
鳴門市は、1918年6月1日。徳島県鳴門市にある板東俘虜(ふりょ)収容所でドイツ兵捕虜によって、ベートーヴェン「第九」交響曲がアジアで初めて全曲演奏されました場所です。
 初演の背景には、収容所所長である松江豊寿をはじめとする、職員の捕虜に対する人道的な処遇や、捕虜と地元民との国境を越えた心温まる交流など、まさに「第九」が持つ人類愛の精神を体現した史実がありました。
 その精神は現在でも市民を中心に受け継がれ、毎年6月第一日曜日に開催している「第九」演奏会をはじめ、ドイツ・リューネブルク市との姉妹都市交流、友好のコスモス交流など、多くの活動が行われています。
 「第九」アジア初演。またその背景にある戦争の最中、国境を越え育まれた友好の絆。そして今なお鳴門市民に引き継がれている「第九」やドイツ兵捕虜が残してくれた財産。これらが、「なると第九」の原点であり、他の「第九」にはない鳴門市固有の財産であるとともに、こうした背景を持つ「なると第九」は、鳴門市から世界に発信すべき誇りでもあります。
 写真は、鳴門市とドイツとの友好の絆を顕彰する「ドイツ館」の完成を祝し、初の野外演奏会を行った、第13回ベートーヴェン「第九」交響曲演奏会の様子です。
 こうした出来事を背景に、鳴門市では、2018年6月1日に迎える、「第九」アジア初演100周年記念を大きな契機ととらえ、戦略的に「なると第九」のブランディングに取り組むとともに、板東俘虜収容所に関する史実を継承し、友愛の精神とともに平和の尊さを広く発信していくため、ユネスコ「世界の記憶」登録を目指し、様々な施策を実施しています。

鳴門市 ふるさと納税

「徳島県 ふるさと納税」の検索結果

宿泊 徳島県


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