2020年09月16日
本当に優しいあなたに贈りたい いい人のやめ方 書評 自分への投資
こんにちはザンです。
今回はいい人のやめ方という本をご紹介いたします。
この本では本当に優しいあなた、そしてそんな自分につかれたあなた
それを演じることにつかれたあなた
自分らしくあるためにいい人を辞めたいあなた
そんなあなたにおすすめの本です。
さて、本当に優しく、いい人をやめるためにどうするか
いい人をやめたからと言って悪い人になるのではないと自覚することそして、自分の内にある心おだやかな自分になる可能性に気づくことであること、
そして、自分の本当の理想している人物を目指すべきとこの本では書かれています。
〇本書の内容
本書の最初にこうあります。
私たちは、子供のころから他人から嫌われればいきづらく、好かれれば余計な衝突を避けらえることを学んで成長します。そして悪い人よりはいい人であるべきだし、いい人ならば、こうすべきというルール(こだわり)のようものが、いつの間にかできあがっています。
このこうあるべきこうすべきという考え方は、わかりやすいルールですが、そうしない人を許容できなくなる危険性をはらんでいます。また、こうあるべきこうすべきと思っている自分がそうできなくなったとき、自分を否定しなくてはいけないというおまけがついてきます。
本書では、がんばって、いい人になろうとする人の心のモヤモヤを晴らすことができるように、もっと楽にいきられるようにと、仏教が説く知恵を土台として書かれている本になります。
〇1章より人の目を気にするクセをやめよう
私たちは、小学生のころから通知表で評価されてきました。そして社会に出てからは、会社の評価によって給料や昇進が決められることになります。
そんな環境にあるからこそ、人からの評価を気にしてしまうのは、ある意味では仕方のないことなのでしょう。
だからこそ、人からどう思われようと気にしませんと気負ったように人に会った場合、作者は本当にそう思っているひとはいないよと笑ってその人の肩を叩くのだそうです。
人からどう思われているかを気にしないでいられるようになるには、覚悟が必要とされるそうです。
自分の言動がどう思われているかを気にしすぎれば、私はこれでいいとおもうことができず、人からの評価を求めてキョロキョロすることになってしまうはず。
作者はそんな人のことを心の挙動不審者と呼んでいるのだと言います。
もちろん、人からの評価はよいほうがいいに決まっています。認めてもらえれば自己満足感も高まって、楽に生きていけるのですから。
そのためにあえて高評価を得ようとへつらい、媚を売る人がいることも否定できません。
でも、そんな人は、自分に嫌気がさすこともあるのではないでしょうか?
しかし、実はそんなときこそ、ひとからどう思われるかを気にしないでいられる自分をつくるチャンスなのだと作者は主張しています。
仏さまは、自分が周りからどう思われているかを気にしません。
仏さまは、いつどんなことがあっても心おだやかでいられる境地をそれぞれのやり方で目指しています。観音さまは私は慈悲で悟りを目指します。と宣言し、文殊菩薩さまは私は知恵で悟りに向かいますと決めています。
向かうべき目標もやり方も自分で決めているので、他からどう思われているかは気にしません。私たちも、他人からのアドバイスを参考にしたとしても、目標に向かって自分流のやり方をすれば、人の目を気にする必要はありません。否、そもそも気にしている余裕はないのです。
本書ではこのように書かれていました。
自分でも気づかないうちに人から変な目で見られないようにすることを目標にしていたということも考えられます。
しかし、そんな目標ではなく、もっと前向きに、会う人みんなに好きになってみよう、寝るときに、いい日だったと思えるような一日にしよう、楽に人付き合いしようなど幸せになれる目標を立てて前に進んでみようと筆者は提案しています。
〇いい子、いい人を演じなくていい
いい人、いい子など、他人から期待される人であろうとそう合わせて振舞おうとする人がいます。
しかし、それはつくられた偶像でしかなく、仮面を被っているようなもの。仮面を被り続けていれば、やがて息苦しくなるのは当然の話です。
また、世間一般でいわれる、いい人をはじめとするいい〇〇というものも、実はあてにならないもの。
たとえばいい子には親のいうことをなんでも聞く孝行者というイメージがありますが、問題は、それによって自分の考えや価値観が持てなくなってしまうこと。
場合によっては親の考えに反発し、自立して生きていくことが立派な親孝行であるともいえるわけです。
いい上司の理想像も、優しい、頼れるなど人によってさまざま
同じようにいい部下にしても従順である、自立して動くなど、人の好みは一様ではありません。
多くの選択肢が様々な人物像すべてを網羅し、演じることはそもそも不可能だということなのに、無理をして不可能なことをやろうとするから疲れてしまう。
本書ではこう書かれています。
ですから、周りから期待される人物像を演じるより、自分が理想とする人物像を思い描いて、それに近づくようにしたほうがいいでしょう。昔のお坊さんたちは、親を捨てて出家しました。彼らは、親の肩をもんだり、一緒に旅行に行くのは小さな親孝行で、人々を救うこと事こそ大きな親孝行と考えて出家したのです。
また、古代中国のある国の王は、会議で自分の意見に反対する過信や自分より優れた意見を言うものがいないことを憂慮したそうです。
理想の王は世間が考えているような絶対的な権力者ではなく、自分の考えを堂々と言う家臣がいる王であるとしていたのです。理想的な上司や部下について考えさせれる、示唆に富んだ話です。
そこで、他人が一方的に決めた理想像にこたえるのではなく、自分が理想とする人物を目指すべきだと著者は主張しています。
そうすれば、あれこれ仮面をつけなくてすむはずだから。
そればかりか、これまで無理につけていた仮面も自然とはずれ、素の自分のよさ、魅力、才能が発揮できるようになるというわけです。
いい人をやめたからといって、悪い人になるわけではない。作者はそう指摘しています。なぜなら人は、表裏あるコインとは違う。
もっと別の心おだやかな人になれる可能性があるわけです。
いい人を演じるあなた、ぜひ読んでみませんか?
それではノシ
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今回はいい人のやめ方という本をご紹介いたします。
この本では本当に優しいあなた、そしてそんな自分につかれたあなた
それを演じることにつかれたあなた
自分らしくあるためにいい人を辞めたいあなた
そんなあなたにおすすめの本です。
「いい人」のやめ方 他人のことが気にならなくなる (リベラル文庫) [ 名取芳彦 ] 価格:748円 |
さて、本当に優しく、いい人をやめるためにどうするか
いい人をやめたからと言って悪い人になるのではないと自覚することそして、自分の内にある心おだやかな自分になる可能性に気づくことであること、
そして、自分の本当の理想している人物を目指すべきとこの本では書かれています。
〇本書の内容
本書の最初にこうあります。
私たちは、子供のころから他人から嫌われればいきづらく、好かれれば余計な衝突を避けらえることを学んで成長します。そして悪い人よりはいい人であるべきだし、いい人ならば、こうすべきというルール(こだわり)のようものが、いつの間にかできあがっています。
このこうあるべきこうすべきという考え方は、わかりやすいルールですが、そうしない人を許容できなくなる危険性をはらんでいます。また、こうあるべきこうすべきと思っている自分がそうできなくなったとき、自分を否定しなくてはいけないというおまけがついてきます。
本書では、がんばって、いい人になろうとする人の心のモヤモヤを晴らすことができるように、もっと楽にいきられるようにと、仏教が説く知恵を土台として書かれている本になります。
〇1章より人の目を気にするクセをやめよう
私たちは、小学生のころから通知表で評価されてきました。そして社会に出てからは、会社の評価によって給料や昇進が決められることになります。
そんな環境にあるからこそ、人からの評価を気にしてしまうのは、ある意味では仕方のないことなのでしょう。
だからこそ、人からどう思われようと気にしませんと気負ったように人に会った場合、作者は本当にそう思っているひとはいないよと笑ってその人の肩を叩くのだそうです。
人からどう思われているかを気にしないでいられるようになるには、覚悟が必要とされるそうです。
自分の言動がどう思われているかを気にしすぎれば、私はこれでいいとおもうことができず、人からの評価を求めてキョロキョロすることになってしまうはず。
作者はそんな人のことを心の挙動不審者と呼んでいるのだと言います。
もちろん、人からの評価はよいほうがいいに決まっています。認めてもらえれば自己満足感も高まって、楽に生きていけるのですから。
そのためにあえて高評価を得ようとへつらい、媚を売る人がいることも否定できません。
でも、そんな人は、自分に嫌気がさすこともあるのではないでしょうか?
しかし、実はそんなときこそ、ひとからどう思われるかを気にしないでいられる自分をつくるチャンスなのだと作者は主張しています。
仏さまは、自分が周りからどう思われているかを気にしません。
仏さまは、いつどんなことがあっても心おだやかでいられる境地をそれぞれのやり方で目指しています。観音さまは私は慈悲で悟りを目指します。と宣言し、文殊菩薩さまは私は知恵で悟りに向かいますと決めています。
向かうべき目標もやり方も自分で決めているので、他からどう思われているかは気にしません。私たちも、他人からのアドバイスを参考にしたとしても、目標に向かって自分流のやり方をすれば、人の目を気にする必要はありません。否、そもそも気にしている余裕はないのです。
本書ではこのように書かれていました。
自分でも気づかないうちに人から変な目で見られないようにすることを目標にしていたということも考えられます。
しかし、そんな目標ではなく、もっと前向きに、会う人みんなに好きになってみよう、寝るときに、いい日だったと思えるような一日にしよう、楽に人付き合いしようなど幸せになれる目標を立てて前に進んでみようと筆者は提案しています。
〇いい子、いい人を演じなくていい
いい人、いい子など、他人から期待される人であろうとそう合わせて振舞おうとする人がいます。
しかし、それはつくられた偶像でしかなく、仮面を被っているようなもの。仮面を被り続けていれば、やがて息苦しくなるのは当然の話です。
また、世間一般でいわれる、いい人をはじめとするいい〇〇というものも、実はあてにならないもの。
たとえばいい子には親のいうことをなんでも聞く孝行者というイメージがありますが、問題は、それによって自分の考えや価値観が持てなくなってしまうこと。
場合によっては親の考えに反発し、自立して生きていくことが立派な親孝行であるともいえるわけです。
いい上司の理想像も、優しい、頼れるなど人によってさまざま
同じようにいい部下にしても従順である、自立して動くなど、人の好みは一様ではありません。
多くの選択肢が様々な人物像すべてを網羅し、演じることはそもそも不可能だということなのに、無理をして不可能なことをやろうとするから疲れてしまう。
本書ではこう書かれています。
ですから、周りから期待される人物像を演じるより、自分が理想とする人物像を思い描いて、それに近づくようにしたほうがいいでしょう。昔のお坊さんたちは、親を捨てて出家しました。彼らは、親の肩をもんだり、一緒に旅行に行くのは小さな親孝行で、人々を救うこと事こそ大きな親孝行と考えて出家したのです。
また、古代中国のある国の王は、会議で自分の意見に反対する過信や自分より優れた意見を言うものがいないことを憂慮したそうです。
理想の王は世間が考えているような絶対的な権力者ではなく、自分の考えを堂々と言う家臣がいる王であるとしていたのです。理想的な上司や部下について考えさせれる、示唆に富んだ話です。
そこで、他人が一方的に決めた理想像にこたえるのではなく、自分が理想とする人物を目指すべきだと著者は主張しています。
そうすれば、あれこれ仮面をつけなくてすむはずだから。
そればかりか、これまで無理につけていた仮面も自然とはずれ、素の自分のよさ、魅力、才能が発揮できるようになるというわけです。
いい人をやめたからといって、悪い人になるわけではない。作者はそう指摘しています。なぜなら人は、表裏あるコインとは違う。
もっと別の心おだやかな人になれる可能性があるわけです。
いい人を演じるあなた、ぜひ読んでみませんか?
それではノシ
「いい人」のやめ方 他人のことが気にならなくなる (リベラル文庫) [ 名取芳彦 ] 価格:748円 |
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