2010年08月12日
それぞれの25年
今日は、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落してから25年目にあたるんですね。
実は、その報道をするために主人は、撮影に参加していました。
当時、主人は、フリーのVE(ビデオ エンジニア)でした。
それで、フジTVの下請け会社から電話が来て、急に行くことになりました。
日航機の墜落事故の撮影と聞かされていたかは、もう覚えていませんが、
とにかく出掛けて行きました。
そしてそれから1週間、帰ってきませんでした。
泊まりになることは、全く予想していなくて、着替えなど持って行かなかったと思います。
主人が、撮影していた現場は、遺体収容所の体育館だったようです。
詳しいことは、話してもらえませんでしたが、とにかく体育館は、暑かったみたいです。
遺体を確認するためのお医者さんもたくさんいたみたいです。
主人は、あまり生ナマしい話はしませんでしたが、この日が来ると、主人もあそこに行っていたなぁと思います。
実際に被害に遭った遺族の方々は、本当に辛く悲しい思い出ばかりだと思います。
あれから25年経ち、主人は、その間にフリーのVEを辞め、知り合いの方と会社を興し、その後解散
して、自分で会社をつくりました。
被害に遭われたご遺族の方々にとっての25年間もいろいろな事があったことと思います。
亡くなられた方は、帰ってきませんが、ご遺族の方々には、少しでもしあわせな人生であって欲しいと思います。
そして亡くなられた方々の魂が安らかであることを心から祈っています。
eyesPowerさんが、鉄工所の生産販売管理ソフトを作ったそうです。
こちらです。
↓ ↓ ↓
生産販売管理ソフト
実は、その報道をするために主人は、撮影に参加していました。
当時、主人は、フリーのVE(ビデオ エンジニア)でした。
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とにかく出掛けて行きました。
そしてそれから1週間、帰ってきませんでした。
泊まりになることは、全く予想していなくて、着替えなど持って行かなかったと思います。
主人が、撮影していた現場は、遺体収容所の体育館だったようです。
詳しいことは、話してもらえませんでしたが、とにかく体育館は、暑かったみたいです。
遺体を確認するためのお医者さんもたくさんいたみたいです。
主人は、あまり生ナマしい話はしませんでしたが、この日が来ると、主人もあそこに行っていたなぁと思います。
実際に被害に遭った遺族の方々は、本当に辛く悲しい思い出ばかりだと思います。
あれから25年経ち、主人は、その間にフリーのVEを辞め、知り合いの方と会社を興し、その後解散
して、自分で会社をつくりました。
被害に遭われたご遺族の方々にとっての25年間もいろいろな事があったことと思います。
亡くなられた方は、帰ってきませんが、ご遺族の方々には、少しでもしあわせな人生であって欲しいと思います。
そして亡くなられた方々の魂が安らかであることを心から祈っています。
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投稿者:A-chan|14:35
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