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2020年02月10日

俺と私の全盛期。

車で移動中FM放送のラジオを聴いていた。

毎日の話題が変わる中で、リスナーからの体験を募集するという方法らしい。

その話題が「俺と私の全盛期」というものだった。


「へ〜、リスナーの方はどんな全盛期を発信してくるんだろう?」

と、耳をダンボにしていた。

(この表現、分からない世代の方もおられるかもしれないので、「耳を大きくして」と捉えて下さい。

「ダンボ」というアニメーション映画があったのです。)

275px-Hong_Kong_Disneyland_1367.2[1].jpg

それで、誰かの体験を聴きたいと思っていたのですが、生憎すぐには発表がなく、パーソナリティーの独り言が続いていた。

目的地に到着してしまって、その後のことは解らずじまいでしたが、この「俺と私の全盛期」

ということを自分に当てはめたら何だろうと考えてみたくなった。


「全盛期。」っていうことは過去のことであって、その人にはもう「全盛期。」は終ったと認める

ってことなのか?と意地悪く思ってしまった。


「今までの人生の中で一番嬉しかったこと」とか、「一番感動したこと」、あるいは「失敗しちゃったこと」

とか「モテていた時期」とかならエピソードとして聞いてみたいと思う。


でも、生きてれば、幾つになっても、

「もう、終わった!」

と、扉閉めてしまうなんて勿体ないと思うんですよね。


死の床について初めて、自分の人生振り返って、

「ああ、楽しかった。」とか、「いい人生だったな〜。」とか「これが人生というものなんだな。」

とか感じたいと思うのですが。


もっと単純に受け入れればいいじゃないかとも思うけど、私は思う。

「え〜、こんな歳になってこんなことが起こるの〜?!」

と、いうようなことがあるかもしれないと密かに楽しみにして生きていたいと思ってるんです。


それには、それなりの努力や行動があっての話だけれど、そう思っていると、ささやかなことにも文句言ったり

不平を呟いたりしないで、

「これを何とかして乗り越えよう、頑張ってみなくちゃ!」

とチャンスに切り替えられるかなとポジティブに行動できるように思う。


何にもご褒美は無かったとしても、自分の中で

「できた!」

の結果は自信と喜びとして感じることができる。


日々の、日常の生活の中に、そんなことはいくらでも転がっている。

「今日も、予定していたことを全てクリアーできた!満足〜!」

だけで、また明日の予定を計画できる。


究極の話として、人生の最期、ベッドに横たわって死を迎える時、

「あの時の事楽しかった〜!あそこへ行ったからあの人に会えた〜!あの人に会えたから

、そこからあそこへと続いてあんな経験ができた〜!一歩踏み出してよかった〜!」

などと、経験を振り返って自然と笑みが浮かんでくるような情景を想像したいと思っているのです。


それを想像するだけで、その時の為に思い出すコンテンツをいっぱい作ろうと思う。


だから、過去の「全盛期」で終わらないで、それを越える「全盛期」が来るかもしれないことの方が楽しみだと思っているんです。


歳を重ねる毎に、物事に対して多角的に幅を持って、深さも厚みも持ってゆったりと感じることができるようになる。

だから、「全盛期」の内容もどんな風に変わっていくのか想像してみる。


私が、FM放送に投稿するなら、

「いろんな年代に、素敵な出会い、経験は其々あったけど、終わっていません。

全盛期はまだまだ先に行ってから見極めたいと思っています。」

と、なるでしょう。























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