2019年03月14日
“震災タイムカプセル” 拝啓 二十歳の自分へ。
下記引用する。
今年1月、岩手県・三陸沿岸の山田町でタイムカプセルが掘り起こされた。8年前、東日本大震災の
直後に埋められたものだ。
当時、大沢小学校を卒業したばかりの6年生29人全員が「二十歳の自分へ」と題して手紙を書き、
カプセルに入れた。
今年二十歳となり成人式を迎えた彼らは、今の自分に宛てた手紙と再会した。
被災によって、彼らは多感な10代を厳しい環境の中で生きてきた。復興に向けて頑張ると誓い潜水士となって
防潮堤など復興工事に携わる人。故郷を離れたものの、今も震災の記憶にさいなまれる人。
身近な人の死に向き合えずにいる人。
あれから8年。二十歳という人生の選択の時を迎えた彼らは、震災直後の自身からのメッセージを
どう受け止め、どのように次の一歩を踏み出すのか?二十歳の若者たちの旅立ちの時に密着する。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190311
上記引用。
平成23年。12歳。
平成31年。20歳。
「 被災によって、彼らは多感な10代を厳しい環境の中で生きてきた。」とある。
これが、命の根っこを見た彼等が生きるということを真剣に捉えてきた二十歳の
若者にしている、と私は思った。
被災した自分達を助けてくれた、自衛官、警察官、看護師などに影響を受け職業としている者。
あるいは、地元の復興の為に潜水士として最前線で活躍している者と、地に足を着けた若者たちだった。
人の役に立ちたい、人の役に立っていた人達を見ていたから、そう思う彼等は自然だ。
全編を通して、こんなにしっかりした二十歳の若者がいるのか、と気持ちが引き締まっていた。
みんな前をしっかり向いているのが嬉しかった。
景気が悪い社会の裏側で、日々、よじれたような旨味を目指す若者が増えている昨今、
こんなに「要・不要」をはっきりと見分けて必要なものを目指すことができている彼等
から、生きている意味を教わったように思った。
中には、自分の家はギリギリ被災しなかったので、周囲は被災者だけれど、「被災者と言えない」
と、悩んでいた青年もいた。
そうか、そんなこともあるんだ、と今頃気づいた。
山田町には何にもない、と盛岡で生活していたカプセル出しの日には来なかった青年も、
大学で研究しているのは「被災地で使えるロボットを作りたい」というものだった。
彼等がハッキリと意識しているかは分からないが、みんな「被災した日」がスタートの日
だったのではないか、と私は勝手に感じた。
「生きづらい」とか「生きにくい」とか、自分さえよければいいと「いじめ」もおかしいと
思わない若者、社会人もいる今の社会で、
「必要な事ってはっきりしてるじゃん」
と、言われているようにも感じた。
あの時、震災の時、「生きる方」の人間になった彼等から、シンプルに「生きる意味」
を伝えられた思いだ。
蛇足だと思うが、よく「ゆとり世代」とかカテゴライズされる世代があるけれど、
彼等のことを「被災世代」と言わせてもらえたら、「社会を真っ向から捉えられる世代」
となるのではないか。
力強く、迷わず、真っすぐに歩き、成長する若者世代だと確信する。
今年1月、岩手県・三陸沿岸の山田町でタイムカプセルが掘り起こされた。8年前、東日本大震災の
直後に埋められたものだ。
当時、大沢小学校を卒業したばかりの6年生29人全員が「二十歳の自分へ」と題して手紙を書き、
カプセルに入れた。
今年二十歳となり成人式を迎えた彼らは、今の自分に宛てた手紙と再会した。
被災によって、彼らは多感な10代を厳しい環境の中で生きてきた。復興に向けて頑張ると誓い潜水士となって
防潮堤など復興工事に携わる人。故郷を離れたものの、今も震災の記憶にさいなまれる人。
身近な人の死に向き合えずにいる人。
あれから8年。二十歳という人生の選択の時を迎えた彼らは、震災直後の自身からのメッセージを
どう受け止め、どのように次の一歩を踏み出すのか?二十歳の若者たちの旅立ちの時に密着する。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190311
上記引用。
平成23年。12歳。
平成31年。20歳。
「 被災によって、彼らは多感な10代を厳しい環境の中で生きてきた。」とある。
これが、命の根っこを見た彼等が生きるということを真剣に捉えてきた二十歳の
若者にしている、と私は思った。
被災した自分達を助けてくれた、自衛官、警察官、看護師などに影響を受け職業としている者。
あるいは、地元の復興の為に潜水士として最前線で活躍している者と、地に足を着けた若者たちだった。
人の役に立ちたい、人の役に立っていた人達を見ていたから、そう思う彼等は自然だ。
全編を通して、こんなにしっかりした二十歳の若者がいるのか、と気持ちが引き締まっていた。
みんな前をしっかり向いているのが嬉しかった。
景気が悪い社会の裏側で、日々、よじれたような旨味を目指す若者が増えている昨今、
こんなに「要・不要」をはっきりと見分けて必要なものを目指すことができている彼等
から、生きている意味を教わったように思った。
中には、自分の家はギリギリ被災しなかったので、周囲は被災者だけれど、「被災者と言えない」
と、悩んでいた青年もいた。
そうか、そんなこともあるんだ、と今頃気づいた。
山田町には何にもない、と盛岡で生活していたカプセル出しの日には来なかった青年も、
大学で研究しているのは「被災地で使えるロボットを作りたい」というものだった。
彼等がハッキリと意識しているかは分からないが、みんな「被災した日」がスタートの日
だったのではないか、と私は勝手に感じた。
「生きづらい」とか「生きにくい」とか、自分さえよければいいと「いじめ」もおかしいと
思わない若者、社会人もいる今の社会で、
「必要な事ってはっきりしてるじゃん」
と、言われているようにも感じた。
あの時、震災の時、「生きる方」の人間になった彼等から、シンプルに「生きる意味」
を伝えられた思いだ。
蛇足だと思うが、よく「ゆとり世代」とかカテゴライズされる世代があるけれど、
彼等のことを「被災世代」と言わせてもらえたら、「社会を真っ向から捉えられる世代」
となるのではないか。
力強く、迷わず、真っすぐに歩き、成長する若者世代だと確信する。
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