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2018年12月18日

「太宰治とタケの映像から(2)」

「太宰治とタケの映像から。(1)」の続きです。





私は、「時間」を残す映像がどんなに貴重かと、常々思っている。

この記事を書きたいと思った一番の気持ちは、この映像のことなのだ。




太宰治のことは詳しく知られている。

しかし、彼の故郷を思う気持ちの根底にあるものが、こんなに普通の温もりを求めるものだったと

わかる、現実的な映像は、時間を止めなければ残らなかっただろう。






画面の隅に映っているのが撮影者の柳沢さん。




ウィキペディアにはこんな映像までは載っていない。

最後年のたけだったと推測するが、太宰治の歴史の中でどんなに貴重なものか、

彼が「平和」という言葉で表している人なのだ。




私は日々、いろんな場面で取り敢えず映像、写真に残すことにこだわっている。

近しい人ならばボイスレコーダーでもいい、動画であればもっといいだろう。

その人が存在したということが残るのだ。

撮るのが得意な人がいると、その周りの映像は残る。

けれど、お互いに撮りたいものだ。




私は、亡くなった母の声も残すことができた。普段の話し方を再生できる。

母の「遺影」は母が後年でも一番綺麗な写真を選んだ。

お洒落だった母はこれを一番喜んでくれたと思う。

普段からカメラを用意して撮っていたからだ。




何故か「遺影」が、いかにも集合写真を引き伸ばしたようなものと分かるような「取り敢えず」の

ような写真であることがある。

何故、普段から「人」を見つめないのかと思っていた。




特に、娘が母親の「遺影」を適当に扱っている葬儀に出会った時、娘の暮らし方の意識に

首を傾げたくなる時がある。

(近しい人の葬儀だったので、怒りに近いものが湧いてきたことがある。)




丁度一年前の今頃、向田邦子さんの記事を書いている。

彼女の恋人はカメラマンであったので、彼女が本当に輝いている時期に、いろんなポーズ

で、彼女の一番綺麗な角度を撮っていたのだ。

だから、お洒落にこだわりを持っていた彼女は本当に美しい。




そこが、凄く羨ましいのです。

「一日でも若い日、あるいは記念の日、そして普段の日」の自分自身をももっと撮っておきましょうというのが、

今回の本題なのです。

あるがままの姿が最高だと思います。




たけさんの映像を見て、それが「あった場合」と「ない場合」では、

”プレミアムカフェ選 生誕100年 太宰治と故郷「津軽」”という番組の奥行も違ったのではないかと思います。




これからも、周りの日常の映像を大事にしていくつもりです。







































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