2018年10月09日
多様性?
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最近、某議員のLGBT 差別発言から「多様性を認めるべき」と言う発言があったという。私は特にネトウヨでもねと小夜でもないがツイッター上では両者を非難したり「自分側に都合よく解釈」されたトンデモ理論が飽きさせてくれない。ブログのネタのもなりますし。
しかし深刻な被差別者・被害者の存在となると微妙に感じるのでは。
例えば日教組問題。忙しい先生が不良生徒を更生させ共産主義戦士に仕立てるよりは育ちのいい、勉強が元からできて勉強する気がある生徒をかわいがりいい学校に進学させたほうが教師の評価が上がり昇給昇格につながる。
「勉強できる生徒だけえこひいき!」「腐ったリンゴを放り出すなんて」という非難は昭和の古いドラマの話。
不良でほかの生徒に迷惑をかける生徒も教師は同じように扱わなければならない。愛によって更生させる。それが多様性を認める事。不良生徒がほかの生徒を気付着けるから排除は差別になり、彼らの存在を認め彼らに傷つけられる被害者の存在を認めるのも多様性。そういう「被差別者である不良」に傷つけられる被害者は「彼らに理解が足りない差別者」。
これもトンデモ理論だとは思うが事実としてこういう事が成り立っているのだ。それこそ「被差別者でもない差別者でもない『偉い人』」が上から目線で被害者に「彼らに傷つけられるのは彼らへの理解が足りない差別者だからだ!」
LGBT差別と言うものも有名政治家が知れにかかわる話をしたことで炎上してはいるが、本来差別ではないものに「支援のための税金」を使うのはおかしい、と言う程度の話と議員さん側のアカウントは擁護する。
しかし彼女を擁護する立場に人間は「ネトウヨ」という存在でありヘイトがらみの発言を含めてとても信頼できるものではないことは確かだ。
しかしながらかくいう私もLGBTに多少の偏見はある。
これがそれまでのLGBTのマスコミや漫画などのメディアに取り上げたイメージによるものであることは否めないが。
のんけの男性が愛を受け入れなければ「差別」普通の異性間ではありえない性交渉、そしてそれは性犯罪として新聞紙面をにぎわすこともある。
「性犯罪は異性間のものが圧倒的なのに同性間の性犯罪を大きく取り上げるのはLGBT差別だ!」と冗談交じりにツイートしたものがいた。これは沖縄米兵の「沖縄地元民の犯罪が圧倒的に多いのに米兵の犯罪は大きく取り上げる」というネトウヨアカウントを皮肉ったもので私には若干不快だ。美しいホームページを作るなら Z.com
しかしながら性犯罪・性的衝動とはいえ「女性の体を持った者の女性に対する性犯罪」は聞いたことが無い。
これはどういうことなのか?別の議員さんが言った「LGBTは趣味だから」。
こういった部分はむしろ「認めなければならない」私たちの理解よりLGBTの方たちに説明責任があるのではないか。
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