2020年08月14日
東大教授がこっそり教えてくれる炎上商法の真実
おっと炎上商法の悪口はそこまでだ
旅行記事の合間にリアルネタ。
ぽえよです。
さて、今回のネタは、ちょっと前にYoutubeで
絶賛泥沼化していた車中泊関連の動画。
まずはユーチューバーの「にんにん」さんの
動画をペタリング…
って思ってたら、超絶優秀なまとめサイトが
あったんでソチラをペタリ☆
人生を愉しむ情報を発信する雑記ブログ
で、動画の趣旨である「車中泊と言う単語を
商標登録した〜云々」って話はどうでもいい。
JRVAが組織体だし、ダメもとでも登録申請
位やるでしょうよ。
まぁ、まず通る話じゃないとは思うけどww。
登録申請そのものに文句を言う「にんにん」さん
も、変な言い訳している「クロワークス」さんも
噛みつき方も噛みつかれ方もズレてる気がするわ。
ままま、外野から見ると炎上商法っぽい流れだしね。
ココに関しては、多くは語るまいwww。
んで、今回の記事の本題はまとめサイト後半の
「車中泊の定義」の方。
当ブログでの道の駅の定義は。
※「24時間トイレと駐車場を無償提供」する事で
「道の駅(補助対象)」と名乗ることが出来る。
で、旅行記で何回か「仮眠」と「車中泊」を
使い分けた事があるけど、正直、線引きが曖昧で
面倒くせぇなと思っていた所に今回の炎上騒ぎ。
「にんにん」さんが、国交省に問いあわせてくれた
おかげで、※印のウラが取れましたって寸法。
要は駐車場に書いてある「無断駐車は○○万円罰金」
と同じで、法的拘束力は全く無い系標記。
さぁ、そうときたら今までの認識を一新するか
って話になるかって言うと…、、、
変わらなぁ〜〜〜い♪
そりゃそうでしょ。
だって、利用させて貰う事には変わり無いしね。
「トラックがぁ〜」「アイドリングがぁ〜」って
言っても、向こうは仕事で、コッチは遊びなんだから、
そもそも同じ天秤にかける方が間違ってる。
酒飲んでたら、珍走団が来ても動けないし、
車旅なんて全部が全部自己責任なんだから。
だから今まで通り、こんな感じで。
@枠線からは音も物も光も人も飛び出さない。
A施設の設備はキレイに使い、マナー厳守を徹底。
B原則として施設の「利用におけるルール」を厳守。
C営業時間に過度にオーバーラップする滞在をしない。
D感謝の気持ちを大切に♪
以上の要項を守って、車中泊させて頂きます!!
まぁ、こんなモンでしょうかね?
やれやれ。「仮眠と車中泊」は定義づけしても
結局管理できないんだから、システム上で除去
できない不具合(≒仕様)なんだよね。
あんまりハチの巣突っつくと法改正されちゃう
から、炎上騒動も程々にして貰いたいってのが
率直な感想だわな。
あの直木賞作家がこっそり教えてくれる炎上商法の真実
最近悲しい事件がたくさんありますよね。
「死」ってなんだろうって
ずっと考えてます…
それでね、今日は自死について
私が考えていることについて
ちょっとだけ喋りたいなと思いました。
そういうタイトルでひきつけて
再生回数を稼ぎたいって思われたくないから
タイトルはそういう感じにしなかったけど
こういう話題がダメな人は
ここから先は聞かないでください。
それから、
今日これから喋ることは特定の誰かと
関連づけないで聞いてください。
私はあくまで私の話をします。
私はね、結構本当に死にたくなった時
あるんだよね。1回じゃなくて
人生のうちに何度かあってね、
だから、今日私が喋るのは
誰かの話ではなくて自分の話。
色んな人のコメントを見ていて
自殺した人は死にたかったから、その意志を
尊重しなくてはみたいなコメントを見て
うーんって深く考えてしまって。
自分で死ぬことを選んだ人は
果たして本当に死にたかったのかなって
考えていくと、私はちょっと違う考えを持っていて。
本当は生きたかったけど、それを社会が
許さなかったって私は感じたかも。
社会による殺人っていうのかな…。
自殺って言葉は自分で自分を殺したって書くけどさ、
本当に楽しく幸せに生きていたら、
死にたいって思わないと思うのね。
だからさ、死にたいって
思ってしまう人がいることは、
社会のバグだと思うんだよね。
例えば私も
本当に死にたいな
死のうかなって思っちゃったこと、
何度かあるの。
こういうこというと
かまってちゃんとか言われて
死にたきゃ死ねって言葉を
かけられるけどね、
実際に行動に移さなくても
本気で考えちゃった人って
結構多いんじゃないかなぁ。
まぁ、私はそういうことすぐに
思っちゃうタイプみたい。性格的に。
私、友達とある時、
誹謗中傷について喋っててさ、
友達が死にたくなったことってない
って言ってびっくりしたの。
私はすべての人は多かれ少なかれ
みんな死にたいと思いながら
生きてるんだと思ってたの。
自分がそうだから、みんなもそうだと思ってたんだよね。
なのに、あ、別に死にたいとか
思わない人がこの世にいるんだ!
ってびっくりして。
で、その時に私は結構
人より「死」について
考える機会が多いかもって
思ったんだよね。
まぁ、人の気持ちなんて
推測しか出来ないから、
死にたい気持ちを人と比べること自体が
あんまり意味はなくて、
人は結局自分の心しか理解できないし
自分の心さえ理解できないことも多いから
誰かとやたらと比べずに
自分の心と向き合って
折り合いをつけていかなくちゃ
いけないんだと思う。
ただ、自殺の原因は、本人ではなく、
社会のひずみにあると思うんだよね。
例えば、アメリカで、同性愛者の
男の子が同性愛をバカにされて、
死んじゃったって事件がありました。
で、その子が死んじゃった直接的な
原因って、その子のことを
馬鹿にした人だと思うの。それは
明確に加害者がいるよね。
でも、その背景には同性愛者を
排除してきた歴史とか、
バカにするような描写をしてきた
コンテンツとかがあるはず。
そして、人を攻撃する人って
自分も病んでることが多いんだよね。
私もさ、誹謗中傷の裁判やってるでしょ。
で、やっぱり、公開できる範囲とできない
範囲があるけど、すごい嫌なこともされてるの。
それで、嫌なことされて
自分の心にダメージ受けるとさ、
人にもダメージ与えたくなっちゃうの。
与えないけどね、気持ちはわかるんだよね。
自分の悲しみをわかってもらえなくて苦しいから
誰かにわかってほしいんだよね、
でも誰もわかってくれなくて、
だから同じ苦しみを味わえばいいって
なっちゃうのかなって思う。
私もさ、やっぱり
自分の発言が炎上したら、
同じようなこと言ってるのに
炎上しない人を見ると
私ならこれで炎上するのに
この人は炎上しなくていいな
って思っちゃうのね。
で、いいなって思えるのは心が健康な時、
私だって心がダークサイドに落ちている時って
いいな、が悔しいなになることがある。
これがもうワンランクダークな方向に行くと
人をや社会を恨んじゃうと思うよ。
それまで炎上したことがない友だちがある時
炎上してさ、
「炎上って別に無視すればいいじゃんって思ってたけど
自分が炎上してやっと
春香の苦しみがわかったよ」
って言ってくれたことがあるの。
それさ、嬉しいとか言っちゃいけないけど
「わかってくれた!?」って思うよね。
やっぱりさ、狙って炎上してるんですねとか
炎上商法とか言われるのつらいよ。
元気がある時は、はいはい、炎上商法ってことで
もういいですよって感じになるけど、
気持ちが落ちてる時にそういうこと言われるとさ、
ああ、もう意図的に炎上して話題作りする人だって
思われてるんだな、死にたいな―!って思うよね。
理解されないって、結構な苦しみなんだよね。
人間が感じるストレスで一番大きいのは「身近な人の死」、そしてその次が「理解されないこと」
だそう。だから、「理解されない」とか「誤解される」ってすんごい負荷がかかるんだよね。
私の周りのメンタル強い人も、炎上で、SNS辞めた人たくさんいるよ。
その人達の中にはもともと、炎上なんて大したこと無い
むしろ炎上してみたいとかって言ってた人もいるよ。
でもね、量の問題なの。普段のSNSでの小競り合いと、注目を浴びたときの
群がってくる量はもうレベルが違う。そして、SNSだけでは終わらないの。
嫌がらせが現実世界に及ぶんだよね。それは、SNSで攻撃している人たちとは
別の人たちかも知れないけど、もうとんでもない悪意が降り注ぐの。
でもさ、悪意って、理由があるんだよね。
私、結構犯罪に関する本を読んでてね、
今はこれを読んでるんだけど
19歳で4人を射殺した犯人は
犯行動機が「貧乏が憎い」ってことだったし、
友人をリンチで殺した女の子は、もともと親から
虐待を受けていて、暴力っていう解決法しか知らなかったりね、
一つの事件には
貧困とか虐待とか、いろいろ絡んでくるわけよ。
ただ、だからといって、誰かに自分の苦しみを
ぶつけたらそれは犯罪なんだよね。
人は自分の苦しみを
消化する中で成長していくから、やっぱり、
自分が向き合うべき困難に向き合わずに、
誰かに安易にぶつけちゃって人の人生を壊すのは
私は明確にとりしまるべき犯罪だと思います。
だけどね、加害者も社会のバグの
被害者だなって思うことはある。
でも、それはもうね、
人それぞれ何かしら
人から見えない困難と向き合っているわけだから
自分だけが大変なんだって思っちゃうのは未熟だよね。
みんな大変だから。大変かどうかは見た目ではわからないから。
私は自分が辛い時に
自分を踏みとどまらせるための考えを
たくさんみつけました。
死にたいと思って生きることは
もう死んでいるのと変わらないから、
今あの世にいると思って、
やり残したことやろう、とか、
この命はもう捨てたと思って、
自分のためじゃなく、人のために生きよう、とか、
でもそうやって本当に苦しい一瞬を乗り越えて
ずるずると生きているうちに
また自分への欲とか希望が湧いてくるんだよね、
不思議なことに。
もちろんそれは自分だけの力ではなく
周りの支えがあるんだけどね。
ただ、私なりに、この言葉やこの考えが役に立った
っていうのはあるから、
苦しい瞬間を
「やり過ごす」技術や言葉をたくさん
誰かに伝えたいと思ってる。
そういう言葉を、本の中に散りばめて、
どこかでつらい思いをしている人の元に届けるのが
今の私にできることかな、と思います。
あとね、最後にこれを言いたいから、
この動画をとろうと思ったんだけど、
みんな、幸せになろう。
自分が幸せになったらダメだって思ってる人や
幸せになることに罪悪感を感じてる人たくさんいるでしょ。
でもね、自分が幸せになって
満たされていることは、
すごく大事なことなの。
もちろん幸せでいるために自分の努力も必要だと思うけど
つらいことがないっていう状態は
前提としてある程度
世の中の理不尽が解消されないと、
実現しないのね。
だから自分の幸せと
社会の安定やフェアネスはつながってるの。
自分が幸せになることや
自分の幸せのために頑張ることは
それ自体が社会貢献
なの。
だから、自分の幸せを見くびったり、
犠牲にしたりしないでね。
自分の幸せは自分だけのものじゃなくて
みんなのものだからね。それを忘れないで。
今日はこのメッセージが今つらい誰かに届くといいなと思って
とりました。
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