2020年06月23日
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欠片豆知識
本、特に物語を読むときは、光景を想像しながら読みます。
想像した光景、イメージ映像は
それを呼び起こしてくれた文章から離れても、
似たような光景に出会ったり
キーワードのようなものに触れたり、
物語を読んでいる時に感じた気持ちを現実で感じた時などに
急に思い出されることがあります。
6/13の秘密の花園では
としさんのお話を聞きながら
ウン十年前に読んだ物語の一幕を思い出しました。
そしてそこから、あれこれ広がっていきました。
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ミヒャエル・エンデの『鏡の中の鏡』という小説、
残念ながらその本はもう手元にありません。
(全くのうろ覚えで話を進めていく、面の皮の厚いことよ…)
短い話が連なった作品の2つ目か3つ目に、一人の男が登場します。
背伸びしたがりの子供時代に読んだこともあり、
そして決して読後感が良い話ばかりではなく、
読み返すこともなく今に至るのですが、
うろ覚えのままにあらすじを書くと…
(以下、短編の結末に触れます)
閉ざされた街に住む男は、その街から脱出することを決める。
そのためには、自分の腕を翼にしなければならない。
その翼で城壁を越えることだけが、その街から出る唯一の術だから。
長い時間と苦労を重ねて腕を翼に変えた男は、(おそらく街を出るための試験かなにかを受けるために)通りを歩いていく。
その途中、ある人が餞別(…だったと思う)をくれる。
でも男は腕が翼になっているので持てない。
その餞別の品は、翼にくくり付けられることになった。
試験に急ぐ男に向けて、街の人が次々に餞別の品を渡す。
私たちはこの街から出られないから、せめて一緒に連れて行ってくれ、と。
あなたの幸せを願っている、と。
いつの間にか翼には地引網のようなものが絡まり、
そこにたくさんのがらくたのようなものが絡まり、
男はそれを引きずりながら、街から出る試験のために急ぐ。
結局、男はその試験に落ち、閉ざされた街から出られなかった。
…そんな話です。
閉ざされた場所を飛び越えられる、という機能以上に、
その話の中では「翼」というものに対して
街の人から憧れ、羨望、嫉妬も向けられていた…そう記憶しています。
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ある人の幸運を願う。
それは、ほんとうにその人の幸福を願っているのか。
ほんとうは、誰の幸福を願っているのか。
翼を持つその人の幸福を願っているつもりで、
持たざる我の幸福や願望を通そうとすることがないと言い切れるのか。
そういうことを、
ここ1、2年、やたらと考えます。
自分でも手に負えないくらいめんどくさい人間なので、避けられないから考えます。
6/13の秘密の花園。
親族間の諍いを抱えたお便りの主さん。
そのお返事のように語り始めたとしさんのお話を聞きながら、
途中までは、
この短い物語の一場面、重たいがらくたが絡みつく翼が頭をちらつきました。
でも最後までとしさんの話を聞くと、
翼に絡みつくものを(すべてとは言えないかもしれないけれど)切り離して、
整理して、
ご自分の人生を進むことを決めた。
そんなイメージに変化していきました。
『鏡の中の鏡』に出てくる、翼をもった男は、
切り離せなかったのかな、断ち切れなかったのかな、と思い返します。
なにを?と問われるとうまく答えられる自信はないのですが、
遥か昔に読んだ記憶と印象だけでいうなら
翼を引っ張るがらくたの重みと、
それ以上に絡みついてくる、街の人々の想念と、
なによりもそれらを拒めなかった自分の心の弱さを
切り捨てられなかったのかなと。
としさん。
お便りを寄せた方へのアドバイスの内容やその語り口が
決してきれいごとではなく、きっぱりしていて、説得力があって、
としさんも「そう」なさってきたのだろうか…と思わされました。
としさんが切り離したり整理したりしたのかなぁと私が想像したものは、いろいろあります。
様々な縁、繋がり、人間関係…
それらを遠くから見つめる人が一方的に抱く理想、幻想…
あなたのしあわせを願う、あなたのためを思うという言葉で呪いをかける人…
見えない心の内に手を突っ込んであぁかな、こうかなと探ってはネットに放流する、私のような人間の想念も、その人の翼を絡め取るがらくたのひと欠片となりうるかもしれないし、そういうものも切り離したのかもしれません。
…という妄想をまたひとつ放流するという。
自分の翼で飛び城壁を越える、自分の人生を生きる。
自由になるには派手さばかりが必要なわけではなく、
淡々と、粛々と、
大切なものを見極めて拾い上げていく。
拾うことは選ぶことであり、選ばなかったものを捨てることであり、
選べない、捨てられない人は様々な縁や思惑、想念に絡めとられていく。
…こんなことは、深い思慮などなくとも指先だけで書けるし、
口先だけでいくらでも言えます。
でも
これをほんとうに実行するまでには
思うとおりの結果が得られないことを受け入れたり
諦めたりすることが必要だろうな…と想像します。
お便りの主に宛てたアドバイスは
ご自身の体験から生まれたものなのでしょうか。
もし、そうだとするなら、
深い縁に淡々と向き合う心境に至るまでに
どれほどの諦めを経て、どれほどの決断をなさってきたのだろうか…と考え込んでしまいます。
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さみしくないわけがない、
辛くないわけがない、と思うのです。
最近のとしさんに感じる、突き抜けたような明るさは、
どうしようもないさみしさや辛さ、諦めがブーストになっているのではないか?なんてことも
頭をちらつきます。
純然たる妄想です。ごめんなさい。
それでも、縁や情に
その翼を絡めとられるくらいなら、
淡々と整理して切り離すものは切り離して、
処理していく力すら推進力に変えて、
自分が大切だと思う人や事柄や
何かを大切だと感じる自分自身の心を守る方へと舵を切る方が
ずっと良い。
勝手ながら、そう思います。
個人的なことで最近、
どんな人に対しても「ずっと与え続けてくために」生きなくたって、良いんじゃないのかな?と、
ふと思ったことがありました。
…いろいろ思い詰めていた若き日もあったもので。
としさんにおいては、
このような歌詞を書かれるくらいですから、お若い頃から理想や指針や自分の在り方といったものに関して、
まっすぐに、なにかしら思うところがあられたのかもしれませんし、
唐突なようですが、例えばカルトの手口としては、
個人の幸福や所有はエゴイスティックな行為であり最も忌むべきもののひとつとして掲げられることが多いようです…。
(そんな価値観を植え付け、個の自我を踏みつぶして「奉仕」や「献身」を要求しておきながら、そのカルト団体幹部が私腹を肥やしているというケースもあるあるな案件…という…)
非人道的なやり方で価値観を揺さぶられ汚され続けたそのひとが、
様々な出会いや挑戦、そして幾年もの時間を経て、
「自分の」大切なもののために、人生の残りの時間を使っていこう…とか、
あの人を、この人を大切だと感じる「自分の」実感というものを
もっともっと大事にしてみよう…とか、
ただそれだけのことを心に決めるまでには、
私なんぞが想像してもしきれないほどの難しさがおありになったのではないかと、
そう思ってしまいます……
あなたが大切だから
あなたを大切だと思う自分の心が大切だから、
あなたに与えたいし
あなたに与え続けたい…
多くの縁や人間関係の中から、そんな「あなた」の存在を、
哀しさや辛さ、申し訳なさといった様々な感情と共に見極めていかれたとして。
そのあとに訪れた結果が、
からりとした明るさだったり
はっきりとした物言いだったり、
逆に口をつぐむことになったり、
例えば私が思い描くものと違っていたりしても、
あぁそうなんだなぁ…と思えるのが、
自分自身へのねがいです。
自分の人生をほんとうに大切にすることは
表面的には誰かの想いと逆行することがあるかもしれないけれど、
それでも、そうあっていただけたら。
「逆行」するところだけを取り上げてしまうことは避けて、
ほんとうにその人が自由な翼で羽ばたくことを私の第一においていけたら。
そう思います。
とりとめもなくつらつらと…ここまでにします。
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